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13/5/13

「ベルボーイの夢 in ベトナム」のお話

Image by Olia Gozha

ベトナムで宿泊するいつものホテルで、いつものベルボーイが僕を迎えた。
そしていつもの決まった日本語の台詞で僕のスーツケースを運んでくれた。

「おかえりなさい、お元気ですか?」

相変わらず上手になっていない発音で矢継ぎ早に僕に話しかけてくる。

 「今回はベトナムの他はどちらの国を訪問するのですか?」

 「お仕事は順調ですか?」

 「お体はよろしいですか?」

インドネシア⇒マレーシア⇒ベトナムと旅してきた上での夜の到着で、僕の体は正直疲れきっている。

下手な日本語でずっと話してくる彼が時々うっとうしくも思えることがある。

でも今回は一人旅であることも手伝ってか珍しく彼と話してみようと思った。

僕の得意のイタズラ心もあり、大げさな態度で彼に話しかけた。

「相変わらず日本語上手だねえ。どうやって勉強してるの?」

早くしゃべると理解できないので、ゆっくり話してもまだ分かっていないみたいだった。

今度は更にゆっくりと英語で聞いてみた。

やっと僕の質問が理解できたようで、いつもの満面の笑顔で答えてくれた。

日本語と英語のミックスでの変な会話の中から、彼の背景が見え始めた。


貧しい家庭(母子家庭)で育った彼は高校を卒業後、このホテルのベルボーイとして働き始めた。通常勤務では雇ってくれなかったので、夜の勤務になったのだという。

いづれ自分で何かしらのビジネスを始めるために先ずは英語の勉強を開始した。

何とか英語が形になりどうにか日常業務が安定し始めた頃、子供の頃から憧れを持っていた日本に対しての思いが膨らんできた。

そこで彼は日本語を勉強しようと決心したのだ。


日本との接点は何も無かったと言う。

日本人の友達がいるわけでもなく、ただ漠然とテレビや映画で目にする日本、高品質を有する電化製品や自動車の製造国である日本、それらに親近感を覚えたのだろう。

それでも彼は目を輝かせながら僕に言った。
 

「日本は美しい」

この言葉を聴いて僕は心を打たれた。

そして思い切り日本人の代表としてお礼が言いたかった。

僕の故郷、日本を「美しい」だなんて・・。ありがとう。うれしくて涙がでそうになった。


彼は日本人の先生を探したのだと言う。

学校に通うには時間もお金も無く、なんとかして安い料金で日本語を学べる環境をつくりたかった。

そして行き着いたのが今の先生なのだとか。(日本人だと言っていた)

月謝を聞いたら確かに安い。

1ヶ月=800円弱だそうだ。

この国での相場が分からないが、彼が安いと言っていたからそうなのであろう。

僕はその日本人の先生にたまらなくお礼が言いたくなった。

「あなたのような日本人がいて誇りに思います。どうかこの青年に素敵な日本を教えてあげてください。そして少しでも彼の日本語が上手になりますように。」

1ヶ月800円ポッキリで彼に日本語を教えるだなんてどれだけ骨の折れる作業であろうか。


「いつの日か日本で会えるといいね」僕は言った。

彼は一瞬だけ恥ずかしそうにうつむいたかと思うとすぐに顔を上げて微笑みながらこう言った。

 「いつの日か必ず「美しい日本」に行けるといいね。でも僕の国はまだ貧しいから海外にいける人は少ないよ」


ベトナムは急速に経済が発展しているが、それでもまだまだ貧しい人はたくさんいる。

一見悲しげなこの言葉をこの輝いた笑顔で言えるのは何故だろう?

そしてその言葉の奥底に秘めるものはなんだろう?

夢や希望なのかそれとも絶望感なのか。

きっと日本で生まれ育った僕には彼の心の中までは理解できないことだろう。


翌日ミーティングを終え、空港でバンコク向けの飛行機に乗る準備をしていた。

荷物検査の列に並び、パソコンをバックから取り出しながら、僕は昨夜の彼の言葉を思い出していた。

「いつの日か「美しい日本」に行けるといいね。」

彼はこの先、一生この荷物検査の列に並ぶことはないのかもしれない。

いや、空港に来ることさえもないのかもしれない。

テレビや映画で見る日本を「美しい国」だと信じて生涯を終えていくのかもしれない。

本物の日本を目にすることもなく。

僕はこの列に並ぶことができて光栄だ。

仕事だからとか、家族と離れ離れだとか、いろんな言い訳をしながら疲れた体に鞭打って一人苦労を背負っている風に装ってはいるが、本当に幸せなことなんだ。

 

そう、世界中の中でこの列に並べるのは一握りの人たちしかいないのだから。

僕は心から日本に生まれたことに感謝した。

日本人でいられることを誇りに思えた。

そして、もし彼がいつの日か本物の日本を目にしたとき、彼の胸に抱く「美しい日本」が彼の想像以上のものであることを心から願っている。

僕はそんな気持ちでここベトナムから遠い日本を眺めていた。

おしまい

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