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17/2/15

You used to be my everything〜あなたは私の全てだった〜

Image by Olia Gozha

16歳だった。



もう、15年前の出来事だなんて時の流れの速さにドン引きしてしまう。




あの頃、英語に興味を持ち出した時期で、



文法ぐちゃぐちゃなりに英語をしゃべる度胸だけはずいずい競歩を始めていた。



16歳の夏休み、2週間だけオーストラリアはパースという街に海外研修が決まった。



フライトの経費削減のためか


大阪→マレーシア→3時間次便待ち→パースのコース。


そんな3時間滞在を女友達3人引き連れ空港を散策。


そこで彼に出会った。




彼の名前はDan.




彼は、道に迷ったらしく「両替所はどこか?」と聞いてきた。




英語がままならない&マレーシア空港初体験の私たちは一緒に探すことに。




比較的、英語をしゃべろうとするバイタリティーだけは持ち合わせていた私が

他の3人への通訳係となった。


聞くところによると、


彼はミュージシャンを目指す警察官。


バイオリンとピアノにたけており、その年に警官をやめて音大に進むんだとか。



すごく分かりやすい英語を話してくれていたんだろう。


なぜだろう。

高校にきているアメリカ人の先生よりスラスラ理解できた。



実は彼も、


大阪→マレーシア→イギリスへ帰る途中だったらしく、日本に1週間滞在していたんだとか。



話に共通点が生まれ、私の一挙一動になぜかウケてくれたのかよく笑ってた。



当時、彼は21歳。



その頃、私は長期間にわたって年上の男からのストーカー行為に悩まされ、



家に帰れば父は急性アルコール中毒で、



「男」ってものに失望していた私に、なんだか彼は一筋の光がさしたようだった。



「メールアドレス交換しよう」と彼が言った。



たまたまノートを持っていた私が代表で彼のメアドを教えてもらうことになった。


私たちのフライトの時間になり


バイバイをした。


ドキドキしてた。



オーストラリアに着いて、部屋を与えられ、そこにはパソコンが準備されていた。




さっそくhotmailでDanにメールを送ってみる。



すると、びっくりするぐらい返信が早くて、ちょうどログインしたところだとのこと。




「日本に1週間いたときは誰とも話ができなかった。

なんで日本にいるときに君と会わなかったんだろう」


そんなことを言われて16歳の私は舞い上がるしかない。




その彼からのメールの締めはいつも



"thinking about you always"

(君のこといつも考えてるよ)



だった。



今思えば、遊ばれていただけなのかもしれない。


でも、曇っていた私の毎日が輝きだした。



パースでの研修を終える頃には私の頭はブリティッシュモード全開だった。




「もう16歳になったんや。これからは自分で稼いだお金で海外旅行をしたい!」




と強く思った。




帰国後2日目には、居酒屋のバイトの面接を受け、すぐに働き始めた。





「春休みにDanに会いにイギリスへ行く!」




この決意が心の支えだった。




店長にはいじめられる、終了時間も遅い、宿題もたっぷりある上、朝は6時起き。



当初は何度も泣いてたけど、あきらめる選択肢は皆無だった。




一生懸命英語も勉強して、お金も貯めて、彼に会いに行くんや!



秋になる頃、私と彼は晴れて恋人同士になった。



毎朝チャットやメールをしたり、時々文通もした。



彼がビデオチャットでバイオリンやピアノを弾いてくれるのを聴いてから学校へ行くのが習慣になっていた。




指折り数えて春休みを待った。




いかんせん、私はまだ16歳。



親が娘を一人でイギリスへ行かせるはずもない。




私の3月の1ヵ月をまるまるイギリスへ旅立つ予定をしていた。



親を納得させるため、私は2つの旅行スケジュール行程を作成し、提出した。



Plan A: 彼と過ごすパターン



plan B:彼が悪い奴で、イギリスに行ったはいいが、路頭に迷ったとき用パターン




入念にプランニングした企画書を見て、



母は一言。




「何も言えねぇ。行ってきなさい」



(北島こうすけは、うちの母から名言を伝授されたんではないかと疑って止まない私)



母は最初の1週間一緒に湖水地方を一緒に回ろうと提案してくれた。


心配してくれたんだろうな。うん。




それからもあくせく働いた。


辛い仕事も、耐えれたんだ。



人を想う気持ちの原動力に初めて気付かされた。





私はあの時、




16歳だった。

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