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17/2/15

本当の強さ

Image by Olia Gozha

0.みなさんへ

私が尊敬し、人の本当の温かさを感じた人。
その人は元プロレスラー。
「プロレス」っていうと抵抗感を持つ人もいますよね。
ただ、このストーリーではみなさんに人の本当の温かさを感じてほしくて、私が経験したプロレスという側面から、それをお伝えできたらと思います。

(1)私とプロレスとの出会い

私は1980年生まれの男の子。
「男の子」って言っても、もうオジサン、いや、オッサンです。
小さい頃から体が弱く、運動も全然ダメ。体育は5段階評価で3をもらえたら「奇跡」とでもいうくらいの子供でした。
背だけは小さい頃から高い方でしたが、体つきは肥満そのもの。
そんな子供が初めてプロレスというものを見たのは、小学生の時。
土曜日か日曜日の午後だったと思うのですが、テレビを見ていた祖母の部屋で、タイツだけを履いた裸の人たちが闘っていたのを目にした記憶があります。
ただ、当時は全く興味がなく、「太陽にほえろ!」や「8時だよ!全員集合」といった人気番組を祖母といつも一緒に見ていた一環で目に入ってきていたのだと思います。

それから月日は流れ、私も高校受験を控える中学3年生になっていました。
毎日の就寝は受験勉強でだいたい深夜の0時。
それからベッドに入り、テレビを見ながら眠りに入る。
当時は、音楽番組や色々なジャンルの世の中で売れているもののランキングを教えてくれる情報番組などが深夜に放送されており、何かと役に立ったのを覚えています。
そんな中、たまたまテレビのリモコンを変えた先に、パンツ1枚で全身血だらけになっている人が移っているじゃありませんか!
それまでもチャンネルを変えながらプロレスというものは目にはしていたと思います。
しかし、マッチョな裸のオジサンが寝転んだり、走ったり、飛んだりしている姿の一瞬だけを目にしても何も興味をそそられなく、すぐにチャンネルを変えていただけでした。
しかし、この真っ赤に染まっていく人を見た時は、チャンネルを変えられるわけがなく、どうしてテレビで殺人が放送されているのかと、ただただ見入ってしまうだけでした。
そして、もう1人画面に映っているタイツ姿のオジサンは、血だるまになっているその人の出血箇所を思いっきり叩き、手についた相手の血液を自らの顔にぬぐい、赤く染まった顔で笑っているではありませんか!
全く意味が分かりませんでした。これは何なんだろうと。
その夜、私は恐怖による震えが残ったまま眠りに就いたのを覚えています。

(2)翌日
私の家は厳格な父親がおり、夕食時のテレビの主導権も父にありました。
そして、いつも父は19時から始まるNHKのニュース番組を見ており、この日、私は、前日の深夜に映し出された殺人事件(プロレスのこと)がどうなったのか、あの怖い人はちゃんと逮捕されたのかと、気にしながらニュースを見ていたのを覚えています。
しかし、NHKではそのようなニュースは取り上げられず、私は前日目にした衝撃をどう処理して良いのか、どうして警察は踏み込まないのかと考えながら、こともあろうに、その殺人事件を放送したテレビ局に電話をし、この番組が新日本プロレスという団体の試合を放送していることをつかみました。
そして、NTTの電話番号案内を利用し、同団体の事務所に以下のような電話をかけたのです。

新日本プロレスの事務の方「はい、〇〇プロレスリングです。」

「(裏社会の人間を装った口調で)おい、△△(相手を血だらけにした選手)の家の電話番号教えろ!!」

新日本プロレスの事務の方「申し訳ありませんが、こちらでは△△選手のご自宅の電話番号は存じておりません。」

「あんな、人を血だらけにして、良いと思ってるのか!気を付けろ!!(と、一方的に電話を切る)」

全くプロレスというものが分かっていない証拠です。
ただ、子供ながらに、こんな脅し(?)の電話をしたことで、相手を血だらけにした選手が少しは生き方を気を付けるのではないかと、浅はかな期待を抱き、そして、それゆえに、私はあの血だらけになった選手と、血だらけにした選手、それぞれのその後がどうなったかが気になり、毎週この番組を見るようになりました。

(3)震えから、情熱へ
毎週末の深夜、私は怖いながらもテレビをつけ、そして、対戦相手を血だらけにしたあの選手が画面に映し出された際には、どうしてか体は震え、しかし、それをこらえながら、また、この選手がボコボコにやられている姿を見るとどこか快感も感じながら、徐々に私はプロレスに惹かれ出していきました。
「プロレス」に対する見解は人それぞれですが、私は、真剣勝負にドラマを作りながらお客さんを納得させ、勝敗を争っていく過程に、大きな魅力を感じ、いつの間にか自分もやってみたいと思うようになっていました。
よって、それからの中学生活は、小遣いは毎週発刊のプロレス雑誌に消え、週末深夜の放送を見た後は、それを録画しておき、翌日以降に再度見る。動きの不明な技があったり、マイクで何を言っているか分からないレスラーがいれば、再度スロー再生を行い、それぞれ布団相手に(たまに母親か姉が犠牲者)その技ができるようになるまで、また、言っていることが分かるようになるまで、何度も巻き戻しを繰り返していました。更に、放送時にはラジオでもテレビの電波を受信し、それをカセットテープに録音し、受験勉強をしながらそれを聞いており、最終的には、大会に臨むレスラーのインタビュー内容や実況アナウンサーと解説者とのやり取りを空で話せるくらいにまでなっていました。










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