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13/5/19

NPO型組織の理想論(実際の取り組みから考える)

Image by Olia Gozha

NPOでの組織やコンセプトの持ち方をあるNPO法人で実際に行ってみました。

そこから得られたことを書きます。

書くにあたって...

①決して自分の力だけではない

②あくまでも私個人の主観である

③あくまでも一個人の意見である

④備忘録に近い

まずはここから。


NPOの本来あるべき姿とは何か

阪神大震災後に広がったと言われるNPOという組織形態。非営利活動団体である

為、基本的には社会貢献やその名の通り営利目的がないことをベースにしている。

詳しくはwikiでhttp://ja.wikipedia.org/wiki/NPO


で、実際にNPOで取り組んだ内容。

それは、NPOとしてあるべき姿を何か、を組織から考えることだった。

NPOとは会社と違って強制してやるものではないし、参画する人の行動力に掛かっていることが多い。しかし例え取り組む内容が良くても、一人に関わる負荷が大きすぎると、人に依存した組織になり、また企業のような縦割りになると、やっていることが「業務」になってしまう。NPOでの取り組みが業務になってしまうこと、これが一番怖いと思っていた。


私自身、もともとNPO法人GIFT(http://npo-gift.net/)がNPOではなく、組織として立ち上げる際のメンバーだったが、目的や自分がやりたいことの不一致で、1年以上関わらず、むしろ立ち上げる段階では外れていた。確か、09年の夏頃だったと思う。


そして、11年春、あの東北大震災後、GIFTに戻ることになった。何かしたい、という気持ちと、組織としての方向性が変わっていたこともあり、簡単なデザインのお手伝いから始めることにした。


関わっていくうちに一つの課題に直面した。それは組織の縦割りと業務化だった。決して悪い訳ではないが、今後の発展(参画者を増やすこと、事業を拡大すること)においては、やはりみんな仕事とNPOのニソクノワラジを履いているので継続が難しくなる。何よりスタート時点において、きっちりと事業ごとに担当者がいることはもちろん必要だが、全員が事業のことに関わるものの、年齢が下だから、とか役職が無いから、関わる業務が制限される、ということを避けたかった。なにより、NPOの本来あるべき姿は、緩やかに繋がることであると考えていたので、ある方法に取り組んだ。

①GIFTを縦割りではなく、渦巻き型の組織に変えること

②役職者(理事)は極力減らし、事務局を中心とした活動を行う

③事務局は黒子役であり、調整役。つまりは組織内のフィクサーになる


具体的な内容としては図で説明して行く。


A. 組織を事務局中心とした渦巻き型に置く





C.波形のマークは事業を表し、事業が生まれてくると人が集まる


A→B→C(C→B)と遷移して行くが、そこで大事なことは、渦巻きである所以は中心になればなるほど事業が渦巻きの中心にいく。事業に対して人がたくさん付くと、その事業がNPOにとってその時点での中心事業となる。また、事業だけでなく、企業と違い強制が無いこと各自の都合に合わせて参画出来なくなる時もあるという特性上人も流動的に動くため、事業が中心にあっても、人が緩やかに離れていくことも想定しておく。

さらに、事業に関わる人が少なくなり、推進力が落ちてきた場合、渦巻きの中心から人が離れていく場合、事業自体も渦巻きから遠くなっていく。もちろんステークホルダーがいてる場合もある為、消滅すること、もしく人が辞めるということは最小限に抑えることは最低限必要なことである。しかし、それよりも大事なことは緩やかに繋がり続けること、である。

現在、女性向けフットサル教室を中心にしたフットサル事業、ランニング教室を中心にしたランニング事業が一番渦巻きの中心にあるが、他にもどんどん増えていくだろう。


具体化をする為の手段

そしてこの渦巻き型に、今の自分がどこにいるかというと恐らく一番外側に近い。この渦巻き型の組織を提案し形にする為に動いてた時、私は事務局近い、しかし役職を持たない組織内のフィクサーだった。NPO自体は役職の上も下も無く、並列であることの特徴は渦巻きの外に居てても、行動次第で真ん中に近づく。

事務局は最高の裏方となり、各事業の黒子となってサポートしていくことに注力し、各事業のバランスや組織全体のマネジメントを客観的にみることが大事である。とにかく縦割りの組織から渦巻き型の組織への移行は誰もやってこなかったことであり、まずは当時からある事業を1から10に、新しく取り組んだフットサルやランニングを0から1に育てるところ、そして事務局機能の強化に注力した。

現在は、フットサル教室もランニング教室も各事業の担当者、そして事務局が頑張ったお陰で、参加者も、そして渦巻きの中にいる参画者も多くなり、さらに違うプロジェクトが稼働したり、次の世代が運営、運用に入ったり、またステークホルダーが増えたりと着実に進歩していると思う。

現在、私は、渦巻きの一番外側にいるが、また事務局に近いところで、関わりたいと思っている。





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