中学に入って離れに自分の部屋をあてがってもらえ、きれいさがうれしくて週末には必ずラジオのヒットチャートを聞きながら掃除していた。ある日突然、その部屋に奇妙な音が現れた。柱がきしむような「ピシ!」という音が繰り返される。集中して聞くほど頻度も増えた。日中には窓際で聞こえ、寝に入ってからは布団のすぐそばで「ピシピシ」と発する。足先で二度、次にその真上、その次は頭の先というように一分に一回、三十分も鳴り続けただろうか。恐怖で震えたが最後は疲れ果てて寝た。一人の部屋でしか聞かず幻だと言われればそれまでだ。ある夜思い切って寝る前にラジカセの録音ボタンを押した。女の人の声が聞こえたらと思うと怖くて再生できなかった。ある日恥を忍んで母親に音のことを打ち明けた。
「ああ、あんたの部屋に移ったのか」
母はこともなげに言った。
*
精神科医中井久夫氏の「分裂病(統合失調症の旧名)と人類」を読んで学生の頃の私は救われた。
「健常者もすべていわゆる統合失調症の症状を体験する。ただしそれは数秒から数十秒である」
例えば自転車で人ごみの中を突っ走ると追い抜く人の会話の一句一句を拾う。切れ切れに耳に入ってきた言葉が聴きのがせぬ何かの(たとえば自分への批評の)兆候となる。そこからさまざまな「異常体験」への裂け目がはじまる。しかし「振り回されぬ」ようじっとしていれば、この兆候的なもののひしめく裂け目は閉じ消えていく。「統合失調症性異常体験」は、恐慌状態からほぼ見逃される場合まで大きな幅があるという。
中井は統合失調症になる可能性はすべての人類が持っており、近い症状は誰にも起こると考える。一方でなりやすい人を「統合失調症親和者」と想定した。「もっとも遠くのもっともかすかな兆候をもっとも強烈に感じ、その事態が現前するごとく恐怖し憧憬する」「先取り的な構えの卓越」する者だという。草原の何キロも先の獲物の匂いをかぎ分けるブッシュマンにも例えられていた。人類の中で一定の割合をしめるという。
私は実際、人ごみの中で自分を噂する声を子供のころによく聞いた。空耳だと思いながらも対人に恐怖した。自ら人の輪に入っていけず、小心を補うよう偉くならねばとの観念に捕われ、かつなれない自分を見つけた。大学の頃、進路を機に精神の危機に陥り、親友とさえ会話できなくなり、新しい研究を妄想し行動しかけた。留年を決めた後、日々キャンパスの芝生に座り物思いにふけり専門外の本を読んだ。その中に中井久夫があった。病的な学生に中井は一筋の光を与えた。兆候を先取る人種なのだと。
中井の著作に触れ救われた人は少なくなかっただろう。
今、学生時代のこの記憶を呼び戻したのも中井の文章だった。私の仕事、障害福祉事業の管理者から手渡された「『つながり』の精神病理」では、そもそも健常者というものは定義できない、と持論を強めていた。
「第一、実際的に、いわゆる正常者の異常現象というものはいくらでもあるわけだが、これをどう考えるか、である(Ⅱ精神健康の基準について)」
この文章にひっかかった。
「正常者の異常現象」とはなんだ。かつて経験した「あれ」か。私は再び中井の事例にはまっていたのか。中学の時の体験は、幻聴でもないが他人に話してわかってもらえる内容でもなかった。
*
部屋で聞いた「異常音」は母親の方が先に知っていた。以前は母屋一階の寝室に頻繁に出没したという。母が毎日寝室で経を唱えるとなくなった。その後私が聞いたので「お前の部屋に移ったのか」と言ったのだ。代々日蓮宗の檀家であり母自身も信心深い。何よりわが家の隣が寺だ。
「数年前に今の和尚さんが来られた時、ここには何かいますね、と言っていたよ」
母は私が学校にいる間に私の部屋で経を唱えた。数日後には音の頻度が減り平穏は戻った。母の言うとおりだった。
しかしシャワーのごとく耳に叩き込まれた音は忘れられない。以後も聞き続けた。
離れは階段を挟んで二階の両側に私と妹の部屋がある。ある夜寝ていると「ドシン!」とかなりの音が妹の部屋から聞こえた。妹がベッドから落ちたと思った。翌朝顔を合わせた瞬間に妹が「兄ちゃん、昨日ベッドから落ちたやろ」と言った。大きな物音は二つの部屋の間つまり階段上の何もない空間で鳴っていたのだ。妹に打ち明けたが、彼女も以前から奇妙な音や気配を感じていた。母屋の二階にはテレビのある洋室と、仏壇がありふすまで二部屋に区切られた和室がある。妹は洋室でテレビを一人見ている時、背後に気配を感じ続けた。祖父の霊が見守ってくれていると考えることにした。その時和室の一角からは何度も「ピシ」の音が聞こえていた。
五人家族のうち三人が異常音を聞いていた。妹が霊と言うのは飛躍しすぎだと思ったが、他に納得できる解釈もなかった。
数年後、大学に入って出会った彼女を家に呼んだ。泊まることになり夕食の後母屋の二階で彼女としゃべっていた。彼女の背後から「ピシ」音が三回鳴った。「祖父がいる」と妹が指摘した一角だった。びっくりしたのはその音ではなく、彼女がその音に全く気付かないことだった。彼女には何も話さなかった。
「ピシ」音は家以外でも聞いた。それがかつて部屋で聞いたと同じ音なのか、建物がきしむ音なのか感覚で区別した。所属学部の図書館の階段下は「ピシ」音の「スポット」だった。進路に悩みはじめ図書館に通ううちに気が付いた。
研究者の進路を断念した私は留年し、企業の研究開発職に就職した。対人が下手で挨拶や電話応対さえできず上司にどやされ続けるうち、部署内の階段の踊り場にピシ音の「スポット」を発見した。
仕事に慣れてきた数年後のある夜、怖い話でブレイクした稲川淳二のテレビ番組を観ていた。照明が落とされ、彼が怪談を話し出すとアナウンサーが叫んだ。
「ポルターガイストが起こりました!大きなラップ音がします!」
怪奇現象がスタジオで起こるというパターンだ。ただの演出ではと疑った。音声が捉えたのは古くから知っているあの「ピシ」音だった。凍り付いた。私の経験よりはるかに音が大きい。ただしその質は同じだ。自分の知っている「ピシ」音が、ポルターガイスト現象のラップ音だと初めて知った。異常体験が標準に言語化された瞬間だった。
言葉がついたら怪奇現象でも普通に口にできる。話の上では彼女も興味を持った。その頃彼女と旅行に行った。伊勢志摩の古びた民宿で久しぶりにラップ音に出会った。音の話を聞いても彼女は今しがた真上で鳴った音に気づかない。それもわかっている。けれどこの時はひらめいた。
「ほら、電灯の傘の上で鳴った…もう一回同じ場所で鳴るよ」
今までラップ音を聞くことはあっても予期することはなかった。確信したのはこの一度だけだ。彼女が静かに待つと
「ピシ!」
彼女は驚いたが私は嬉しかった。音を家族以外の人と初めて共有できたからだ。
*
これが最後のラップ音となった。
実際には聞いただろう。私は音に注目しなくなった。彼女と結婚し、会社では中堅になり、対人恐怖は薄らいだ。人あたりが悪くても結果を積み上げれば成果につながることを学んだ。ある意味で鈍感になり、そつなくふるまうようになった。
とは言え職場仲間には私の考えがわかりにくかった。アイデアは理解を得られず実施した後で「まさかそんな方法で」と言われた。何キロも先の獲物を捕ることはできないが、やや飛躍のある思考で研究開発をした。
会社が事業改善案を全社員に求めた。500名から私の案だけが拾われ、全社一丸の商品開発プロジェクトを任された。周りの人はなんであいつがと感じたろう。会社のため何ができるか二年前から温めていた私にとっては飛躍ではなかった。ただリーダーをすることは想定外だった。この草原は途方もなく広く獲物は捕まらなかった。苦労を通して社内人脈は広がり、次にはどんな広い草原の獲物の臭いもかぎわける自信が生まれた。だが肝心の草原はなくなり、結果を積み上げる日常だけが残った。
それが理由で会社を辞めた。
普通に転職はしなかった。かつての私みたいな若者の支援をめざして小さなNPO法人を訪ねた。再び兆候を感じ取るべき草原に降りたのだ。紆余曲折を経て障害福祉事業を仲間と立ち上げた。
だが数年で経営は安定し、新規事業も打ち出さない今、再び中井の文章を手に取った。親になり精神福祉に関わってから読む中井久夫は以前とは違った。読み取れる幅も広い。しかし最も強く感じたのはこの声だ。
「あなたは安定したいの?」
障害福祉事業では障害者と支援者とに立場が分かれる。総じて世界は法律や科学で区分された輪郭がある。私たちはその立場で物事を見聞き語る。野生の思考はいらない。
しかし中井は言う、そもそも健常者というものは定義できないのだと。私は何を支援者づらしてきたのだ。耳を澄ませば今もラップ音は聞こえるだろう。よからぬ噂は頭から離れない。日々の情報に一瞬一瞬ざわつく。本当は、世界は不思議でわからないことばかりで一寸先は闇だ。人はその闇を歩く、兆候を頼りに。
この基準で生きることで私は私に戻る。草原にもまた降りるだろう。