タイ旅行記
1
1980年代後半だった。僕はパチンコ屋でアルバイトをしてそして、溜まったお金で、友達とタイランドに行く事になった。何でも「地球の歩き方」って本が必要らしく
「ギザギザ買って来いよ」言われたから本屋に行くと有った。「これ、ください」
飛行機の切符は友達が用意した。
空港
友達は待っていた。
「待っていたぞ、何だ?お前ジャケットなんか着て南国に行くんだぞ」
「だって寒いじゃんか?」
「あっちは暑いんだ。お前ばっかだなぁ?」
「何だと?」
「リゾートだよリゾート聞いた事無いのか?」
空港で友達は
「軟膏買ってこうか?」言うから
「へ?」って(タイガーバームでないぞ)
5時間飛行機で飛んでタイランドへ飛行機の間
「カメラ持ってきたか?」と聞かれたから
「無いよ」って言ったら
「2000円で売ってやるよ」って言うから
「要らないよ」って言った。海の上を飛んでいたから波が見えた飛行機から、スチュワードルームで
「気持ち悪い」言った。
飛行機の中
友達は旅行中ずーっと自分の写真ばかり撮って
「自分勝手な奴だなぁ」と思った。
「俺は世界中を旅したんだ。お前なんか駄目だ。俺はオーストラリアにも行ったし俺はマスターカード持っているし」自慢げに言った。
「キャッチみたいのに引っ掛かるなよ」友達は言った。
タイランドの空港で
キャッチはやはり来た
「コッチッコッチ」俺達は無視した。
友達は構わず空港の案内にパタヤビーチのバスを聞いた。
「10番だ。何か食おうか?ところでお前お金幾ら持って来ているんだ?」聞くから
「4万だ」
「ばっかお前2週間も滞在するのに持って来いよ、まぁ俺が貸してやるが・・そうだカードお前?」って言うから郵便局のを出すと
「お前は駄目だ」と言われた。当時。郵便局のカードは国内のみだった。
ハンバーグみたいのを食い。煙草を吹かしているとバスの時間が来た。
「行くぞ」
「おう」
そこから5時間位で夜のパタヤへピンクのネオンがあっちこっちでビカビカに光っていた。
2
日本国にて
2週間前
友達の家で麻雀していると友達は
「何でもEの奴は作家に成りたいって、言っていたぞ」
僕は「何だ?作品見せてくれよ」
友達は「それが嫌がるんだよ」
僕は「何だよ!そんな作家居るのかよ」って言った。置時計がジリジリ鳴った。
「何だ!あいつ何時に寝て何時に起きているんだ?」
「ロン。その3ピンだよ」
「へ?幾らなの?」
「計算してみろ?」
「親の倍満24000点か?」僕は言った。
「こっちは何?これツモったらスーアンコだよね?」ってトイトイ3アンコウを見せると
「はぁシャアが付いてトイトイホーだ」インチキ麻雀。総合計で10万円位払ったんだが
「それよりお前、何で?学校来ないんだよ」
「いやそれが・・・」僕は戸惑った。
統合失調症の現れだった。その時には精神科デイケアなんかもナイトケアなんかさらさら知らず。福祉に興味持った奴を馬鹿にしていた。社会事業大学だかに進んだ奴が居た。僕は高等学校生だった。勉強しなさいしなさいと言われ続け病気の進行は早くなった。知っているなら統合失調を教えてくれよ、そん時。恨みこそしないが、教えてくれなかった病気は家族を巻き込む問題になった。その後であった。
3
僕は文章を作る事を趣味にしている。勿論プロ作家みたいのは憧れたが、佳作になったのが1ッ個だけ「僕の引越し ギザギザ仮面」まぁその作家に成りたかった奴に触発されたのが有る。以降、僕は統合失調症を病み大学は戻るには戻ったが冷や汗と緊張で行けなくなってしまった。障害年金の話は27歳になった時初めて知ってそれ以上になる生活保護までの道のりは遠かった。まぁこんな話も有ったんだよね
4
話は戻って
タイランドではテゥクテゥクってタクシーが有っていきなり
「100バーツ」って吹っ掛けて来るから
「ノウ20バーツ」って言うと
「OKOK30バーツ」と目的地まで連れてってくれた。空港では金の仏像が有って70億だって時価
「もってっちゃおうか?」冗談が出た。これはバンコクでの話しになるが、パタヤビーチではバスの運ちゃんに連れてって貰った「リトルダックホテル」に泊まった。パタヤではリゾート気分だが、お金が無いので、プールで遊んでいた位。飲み物でも注文したかったが、我慢した。タイの遊園地みたいな施設に行った。観光スポットで、タイでは不思議と年配の人に遭わなかった。これは偶然か?そこでは、象が演技して見せたりしたり色んな踊りを披露して最後に拝むから真似したら
「お前馬鹿にし過ぎ」と友達に言われた。友達怒っちゃって4時間位シカトされた。
夜
夜店を廻ってレストランに入った。
「ギザギザ肉食えよ、俺は毎日食っているから」
トムヤムクン・グリーンカレー・タイスキ全部食ったが
「何だよ?こんな物かよ」
次の日
友達とシューティングレンジに鉄砲打ちに行こうって言うんで歩いた。ジリジリと太陽は僕達を照付けたが、ソープランド街みたいな所を過ぎてシューティングレンジへ
「ここか」
「入ろうぜ」
店の人がヘッドホンみたいな物を差し出した。
「こうかな?」
小さいピストルを撃った。次に
「いいね、38口径の鉄砲撃ってみたいな」
バキューン打って蒸気が漂う銃口を眺めていると
店の人はブルブル「ノンノン」焦っていた。
友達は「お前ばっかだなぁ」一歩間違えれば死んでいたかもぞっとする。
ヘッドホンを試しに外してみたら
「バッキューン」煩い。友達はショットガンとか打ちたがっていたが辞めたらしい。俺達が撃った後を見せてくれた。
「お前のが命中率高い気に食わない」と友達は言った。
パタヤではラン島に行く手筈を友達がやってくれて翌日行った。
その夜
「俺はこの地球の歩き方読んじゃうから先に寝てくれ」と言われた。薄暗い中俺は寝た。
次の日
タイの人は「ハリーアップ」と俺達は焦って船に乗った。
船に乗って4時間位掛かった、
「遠いな?何時着くんだ?」
船の上で僕達はまたタバコを吸っていた太陽はジリジリと真っ青な空で広い海だった。
現地に着くと
ラン島は開発が進んでいて海には魚は居なくてウニが沢山いた。
「アーユージャパニーズ?」おじさんが
「イエスアーユーエンジョイ?」
「イエスイエス」ここの景色は最高だとそのおじさんは言った。
椅子があったからちょこっと、タオルを掛けといたら
「オニイサン30バーツ」だって
シュノーケルやるって友達が
「ウニしか見えないぞ」って言ったら
「俺の水中眼鏡海水が入って来るよ」と泣いていた。
水上バイクに乗ったりした。とにかく僕はお金が無いので焦った。
リトルダックホテルからバンコク行きのバスに乗って5時間バンコクに着いた。何でも友達の知り合いで中国人が経営するホテルに泊まった日本語が通じるのでちょびっと楽だった。中国料理を食った何食ったか覚えて無い。外に出てアイスクリームを買うと7バーツって言うから払ったらホテルの店主は「そんな物は2バーツだよ」って言われた。そこから有名なカオサン通りに行った。ホテルを探していた。
友達は「こんな所がいんじゃない?」奥の方に有る小奇麗なホテルだった値段も安く
「500バーツ」一泊だった当事1バーツが6円で今は2円位でしょ。当時3000円だった。それで、僕は財布の底が無かった。結局その友達から借りるんだがこれは日本国に着いたら返さねばと思っていた。約15000円も借りてしまった結局。王宮ワットプラケオとか言った。中は広く1日じゃあ満足に見る事は出来ないなと思った。涅槃像?っワットポーに行った。ワットと言うのはお寺の事で、ワットアルンに行った。何でも三島由紀夫が書いたって言う暁の寺で俺達は頂上でタバコを吸った。だって灰皿置いて有るんだもん。ワットアルンに行くのに川を渡らねばならなかった。川を横切る船に乗った。
「2バーツ」だった。ヤオプラヤー川とかと言う川は、濁っていて臭い。地元の連中が水遊びなんかしていた。ワットアルンでは階段が丈夫に施工してないから上に上がるまで大変だった。ヤオプラヤー川は、魚なんかは居ない川だなと思った。
其の夜、有名な日本で言う歌舞伎町みたいな所に行こうと友達を誘ったが
「一人で行って来い」
冷たい奴だなぁと俺は思い気にせず歩いて行った。お金は200バーツしか持ち合わせがなかった。通りには着いたが
「シャッチョウサンンシャッチョウサン」
と声を掛けられたが無視してセブンイレブンに入ったジュースを1本買って帰り道が分からなくなってしまった。道をあるいていると男性が
「ファッツハップン?」
「フェアステーション?」
駅を探していた。その男性はタクシーを捕まえてくれたが
「アーユースピークイングリィッシュ?アーユーアジャパニーズ?」って聞くから
「OKアイムスピークイングィッシュアイムジャパニーズ」って言ったが暫くすると
「ユーダメダメ」と言われた。
「グッバイ」と
「サンキュウ」と別れた。
なけなしのお金を全額運ちゃんに払った。
次の日
そこからタイ人の原宿と言われる何とか通りに行ったがショッピングモール内で友達は
「お前と別行動する」とか言って別れた3時にここな言った。モール内をウロチョロしていたら場所が分らなくなって約束の3時に間に合うかと思ったら間に合った。
「お前何していたんだ?」聞くから
「いやドリアンが幾らするかな?って、思っていた所だ」と答えた。
「マンゴスチンが美味いよ」友達は言った。マンゴスチンは剥くと白い実が出る果物の女王様と言われているらしい。
5
翌日
そこからアユタヤに行くってんで、電車の切符を買った。電車は、満員の満員180パーセントの乗車率。屋根の上に座っていたタイの人。アユタヤは結構遠くて何時間も掛かった。
「どうだ良いだろ」僕は友達に見せた。サングラスだった。眩し過ぎて白い床に反射する光は俺の左目を直撃した。何故左目かと言うとコンタクトレンズが左目にしか入って無かった。先程歌舞伎町とか言ったが、その時も左目しか見えずイライラした。俺はコンタクトレンズも買う事が出来なかった。日本国で2・3週間前位から食器荒い洗剤で洗ってぶっ壊した右目のレンズ。気にせず働いていたがイライラした。「地球の歩き方」に書いてある通りアユタヤに着くと直に山田長政が有名だから
すぐに「ヤマダナガマサ」とインチキタクシーの運ちゃんが「6000バーツ」としつこくした。ちょっと道を行ったら自転車で後ろに客席が付いたのを150バーツで乗せてくれるってんでそれに乗った。ここは凄いな。見渡す限りのぶっ壊れ平原あっちこっちに仏像が壊れながら有った。
「ココ」
ポイントポイントを廻ったが、結局何も無い平原だった。帰りに友達がどうしても「ワットベンチャマポビット」に行きたいと言うのでテゥクテゥクに乗って行った。綺麗な寺院だったが、誰が管理しているのかな?と思った位。帰りの電車はなかなか来ず。タバコを吹かしていた食事は「カオパット」か「バミーナム」日本で言えばチャーハンとうどんを中心に食べていた。バンコクに戻って銀行でなく、金行通りって所に足を運んだがお金の無い我々が行くところでは無かった。うん百万うん千万うん億円の世界。ちなみに換金は何処でしたかと言うと街の中に、換金所がいくつも有ってそこでした。その後何か食べようと言ってビールを注文すると「シンハ」と言うビールに氷を入れて持って来た「何だよ氷入りのビールなんかまず」って友達は言った。雷魚の料理を食いたかったが「ノンノン」無いと言われた。その足で泥棒市場と言われる市場に行くと知らないおじさんがスーパーファミコンだかファミコンだかを偽造チャッカッチャッカしていた。
「これだよこれ」何本も一本のカセットに入っているって奴。ファミコンのカセット
「50インワンって書いて有るぞ」
「馬鹿!待て!こっちは600インワンだ」
馬鹿だから買っちゃった。後に空港でチェックされるとびびりながら帰るのだが
帰国数日後「アレは駄目だ」と友達が漏らした。
6
その日は昼間はカオサン通りで過ごした。有名なレストランで食事をしたが2バーツ4バーツなんて加算してって結局日本円で800円だった。
その夜
ホテルで友達は
「ギザギザの持ってきたこの洗顔フォーム気持ちいいな」と言った。何が気持ち良いだよ!俺はお金が無いんだ!。
夜
屋台が出るので行った。2人別行動した。焼き鳥みたいのを焼いているので
「コレ?バード?」聞くと
「ノウ」角の真似した。タイの人。
1本3バーツ位で旨かった。友達はパイナップルがお好みで「ムシャムシャ」食べるわ、食べるわ、その夜キックボクシング、ムエタイを見に行った現地の言葉でムエタイは通じず「ボクシング」と言うと「ハイハイ」と言って通じた。試合はラジャダムナンスタジアムで行われたがキックボクシングの試合は吉凶で2つのスタジアムが有ったその夜はそこだった。試合は柵の遠くからしか見る事が出来なかった。リング近くの切符が高く7000バーツもしやがるから買えなかった。タイの人はキックが決まる度に「ムーイムーイ」と歓声を上げていた。向こうの人は何でも賭け事の対象にしているらしくあんまり強い選手は毛嫌いされるとか。選手もキックでお金にならないと知るやボクシングに転向するって言うのが通例だ。
その夜寝て次の日
「蛇園に行きたい」と友達が言うものんで、歩いた歩いた。とにかく僕達の旅行は歩きに歩いた。
施設の人に「ここ蛇園」って聞くと
「ノンノンアスアサカライコウカココニ?」と友達は誘われたが
俺が金無いって言うと
「お前金位ちゃんと持って来いよ」って怒っていた。結局蛇園には行かず俺達は帰国の途についた。
帰国の直前に動物園に行きたいと友達が言うのでバスに乗った。
「これどうやってお金払うんだ?」
バスの中に女の人が居て筒みたいな物に
「ココ3バーツ」と言われた。成る程これに入れるのね?動物園は普通の動物園で俺達はタバコをプカプカ吹かしていた。子供達が風船に水を入れて膨らましそれを矢で撃とうとしていた。何回も失敗するから
「ちょと言ってやれよ無駄だって」って友達が言うから
「嫌だよ変な事に巻き込まれたらどうするんだよ?」って言った。アメリカ人っぽかった。
そして帰国。僕にとって冷や汗物だったお金が無いからその後僕は
「有難う」と15000円を返した。大学に帰ってからだが、もう15年前になるその後タイで暴動が起きた。
「新聞見たかよ?」
「知っているよ、俺達には関係ないよ帰って来たじゃない?それより負けちゃったな」ボクシングの試合結果だった丁度僕らが行っていた時に試合が有って頻りに友達が
「テレビ付けんなよ」って言っていた。鬼塚対何とかってタイの人だった。何でも録画して見たらしい。作家になりたかった友達はIだかEだかとか言った。
そいつには「お前は友達じゃねーもんな」と言われた事が有る。女が好きでいやらしい奴だった。そいつらしきプロの作家は今居ない。当時パソコンは出たてでワードなんて便利な物は無かった。それとそいつがどうしたこうしたは、別問題だが。
ちっちゃな頃から僕は大人になったら何になるんだろうって不安だった。タイの飛行機を待っている間タバコを消すための砂に俺は確かに火の付いたタバコを指した。中国人街で昆虫を入れる箱にゴキブリを仰山入れていた。中国人らしき人。どっかで買われどっかで繋がれているタイの人可哀想か?精神の病気に掛かった俺が可哀想なのかは知らないだが、確かに俺はあの時居て作家になろうなんて事は思いもしなかった。ただ俺は記憶を辿って書いているだけで今は、日記その他資料みたいな物は一切、手に持ってない僕のパソコンを実際見てくれれば分かると思われるが、テレビに出てくるような本にまみれています。みたいな作家では無い。その後
7
パチンコ屋で
「ギザギザ行って来たか?」
女性従業員「タイなんてお洒落ね」
「それがお金持ってかなかったから大変な目の逢った」と言った。その後いい気になり調子に乗っているとチョットした事で仕事場の友達と喧嘩になった。追われた僕は或る古本屋に勤めた。そこにも作家志望の奴が居て原稿用紙を沢山持っていた。
「ギザギザ君エロから書くんだよ」
原稿を沢山持っているみたいだった。文芸に当時は興味が無かったので
「見せてくれ」とは言わなかったでも彼はエロを書くのだ。と言ってエロ本なんかを参考にしながら書いていた。
「へ?」事実描写がそこからが多かった昔の話で、この平成の世にそんなもの書かないでも作家に成れますを、示したい。僕は只記憶の中の友達と今の友達がいる事で、あーあ俺は産まれて来て間違いじゃなかったんだなって考える。タイは若いうちに行け。君も友人と行け。
END
ギザギザ仮面


