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17/2/10

うつ病とは、ゼリーの中に落ちたアリさん

Image by Olia Gozha

 うつ病ってやつは、ゼリーの中に落ちたアリになるようなもんだ。働きアリだから、昔はしょっちゅうこっそりジュースのコップに忍び込んで、腹にたっぷり果汁を溜めて、上手に泳いでコップから這い出しては、巣に運んでた。


ところが! ある日、ジュースだと思って足を突っ込んだのが、ゼリーってやつだったんだ。いつものように泳ごうとしても、足が動かい。それどころか、もがけばもがくほど体が沈んでいく。息がつまって死んでしまいそうだ。

 

仲間たちがカップの淵に並んで、いろんなことを言っている。

「がんばれ」

「ほら、前足をもっと動かすんだ」

「なんでそんなところに落ちたんだ」

「ぼくらはみんな心配しているんだぞ」
 

中には

「そのゼリーはおまえの心が作り出した幻想だ」「その気になりゃ出れるはずだ」

「おまえは自分で好き好んでそこにいるんだぞ」「考え方を変えろ」

という忠告も聞こえる。聞こえる・・・はるか遠くから、ゼリーを通ってかすかに伝わってくる声は、ひとつひとつ、ぼくの心に突き刺さる。だって、君たちの声は、このゼリーの中で聞こえる唯一の「音」だから。そして、一生懸命に君たちが言うことを試してみても、どれ一つうまくいかない。それどころか、頑張れば頑張るほど、ぼくはずぶずぶと深くゼリーの中に潜ってゆく。


はるか遠くにぼんやりと見える。ゼリーのカップから目を逸らし、足早に通り過ぎていく仲間たちの姿も。


 1年がたち2年がたち3年がたつ頃に、ぼくはようやく、このうっとおしいゼリーの中でもなんとか泳ぐことが出来るようになった。カップの淵に並んでいた仲間たちは、ぼくが泳げるようになったのを見て、拍手した。そして、「これでもう安心だ」と胸をなでおろして去っていった。カップの前を通り過ぎてゆく、ぼくの知らないアリたちは、ぼくがジュースの中を上手に泳いで汁を集めている最中だと思い込み、なんの疑問も持たずに通り過ぎてゆく。


ある日、ぼくはとうとうゼリーの上に頭を出すことに成功した。そして、ぼくたち働きアリが汁を運ぶやり方で、つまり、カップの淵にやって来た仲間に、甘くて重いゼリーを口移しで渡してやり、それを仲間が巣に持ってゆく、そういうふうに、ぼくも、また働くことが出来るようになった。重くて甘いゼリーは、仲間たちに喜ばれた。


それでも、ぼくはまだゼリーの中から這い出すことが出来ずにいる。いつの日か、這い出すことが出来るのかどうかすら、ぼくには分からない。もう一度、自由になりたい。木の幹に歯を立てて、樹皮をひっぺがし、樹液をたっぷり吸うのもいい。花粉まみれになりながら、美しい花の蜜をちょっと分けてもらうのもいい。そうしたら、甘くて重いゼリーは、もう仲間に渡してやることが出来なくなる。でも、ぼくはぼくのアリ生を生きることが出来るだろう。


ここから出られる道が無いわけではない。一つは、どこかの坊やが走って来て、ゼリーのカップを蹴飛ばして、ひっくり返してくれること。もう一つは、木の枝か何かが落ちて来て、うまくゼリーに突き刺さってくれること。そうしたら、ぼくはゼリーから這い出せる。解放される。ただし、どちらもぼく自身の力では起こせない偶然だ。そういう偶然が起きることを期待したり、祈ったりはしないことにしている。辛くなるからね。


 それからまた1年がたち2年がたち3年がたったころ、ぼくはとつぜん、すごいことに気づいた。ゼリーが減っている・・・ 考えてみりゃ当たり前さ。毎日毎日、ちょっとずつ仲間にあげているんだから。このゼリー、全部仲間に渡し終えた時、ぼく、自由になるんだ! まだ、このゼリー汲みという、クソ苦しいけど、ぼくがどうしてもやらなきゃいけない・・・いや、やりたい仕事がここにあるんだ。・・・たとえば、こういうお話を書くこととかね。


この仕事が終わった時、たぶんぼくは木の幹をかじりに行く。ゼリーはあとカップ半分くらい。

自由になったらどこに行こうかな。

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