苺、これが私の与えられた名前。
苺、この漢字を見たほとんどの人は"いちご"と読むだろう。だが不幸にも、私の名前はストロベリーと読む。ストロベリーというとケーキやパフェなどにと、子供から大人まで愛される果物の帝王といえる存在である。
だが、これが人間の名前で使われると光速でDQNネームとなる。DQNネームとはいわゆるネットスラングで、明らかに社会生活を送る上で浮くこと間違いなしみたいな名前の人間に認定される一種の勲章のようなものだ。
このいわゆるDQNネームで私の人生が幸せであったことはこれまでにはないし、これからもないだろう。もしかしたら、珍名前ハンターなるものが出現し、私のところへ訪れるかもしれないが、碌なやつではないだろう。
DQNネームである以上、人間と人間が関わる上で重要な第一印象でかなりの不利益を被る。
名前をいっても笑われ、名刺を渡しても笑われ、
いっそ笑うなら腹を抱えて笑ってくれと思う時さえある。どんだけ真面目な主張をしても、名前が名前だからとふざけた人間だとみなされることも少なくない。
これまでの27年間、多くの恥をかいて生きてきた。
初めは小学生の自己紹介。もちろん周りにそんな人はいないから、好奇心旺盛な同い年の友達は私にいろんな質問をしてきた。小学生のころはそこまで周りに理性がないから、容赦ない言葉が当時小学生の私の心を抉った。
中学生になると、小学生の頃よりはマシだった。それでも私が厨二病で、ストロベリーと名乗っている身も蓋もない噂が流れた時はさすがにへこんだ。名前の事もあり、内面的な性格になり真の自分を出すことを恐れていた。中学生の時の唯一の心の癒しは、来世生まれ変わった時にどんな名前で生まれてくるかを考えノートにひたすら書いていくことだった。
候補は書き出すと、枚挙に暇がなかったがそんなことをしても無駄なのは中学生の私にだって分かっていた。
高校生にもなると、入学当初の自己紹介を除けば、集団ということをできるだけ意識しなくても生活できた。だが、やはり友達は少なかった。それでも境遇を理解して友達であり続けてくれた友達は今でも友達だ。
1番苦労したのは間違いなく大学時代のとき。より正確にいうと就職活動だった。どれだけ、SPIの点が良かろうが資格があろうが、エントリーシートではねられる。営業希望の私にとって、相手から不思議がられる名前はデメリットでしかなかった。
私は表に出ない仕事を選んだ。大学時代は経済学部だったが、エンジニアという職を選んだ。
入社して5年たった今でも悪戦苦闘の毎日。押しつぶされそうである。
親を恨んでいないといえば嘘だ。名前が違えばもっと楽に、もっと明るく振る舞えのだと思う時もある。
それでも、戸籍上で名前を変えなかったのは、親が私をお腹を痛めて産んでくれたことへの感謝に他ならない。名前を変えることで、自らが中身以外全て別の人間になってしまうのではないかという恐怖もある。
今日も仕事を終えて帰ってくる。
もうすぐ28歳になる私は今日もいつものように、家の天井を眺める。
親は何故、桃とか杏子とか古風さも可愛らしいさもあるような果物の名前をつけてくれなかったのかと考えるがもちろん答えは出ない。