Introduction
まだ「ゆず」が横浜で路上ライブをやるよりずーっと前。1980年代の半ばに。原宿歩行者天国バンド・ブームというのがあった☆ そのブームを起こしたのはオレたち。ロック・バンド 「ロックンロール・ジーニアス」
ちょっと有名な、知る人ぞ知る オレたちのバンドは3年間ほどに渡り同じ路上の同じ場所に毎週日曜日に現れ、爆音のストリート・ライブを行った。
たちまち人が集まり、ファンが出来、ファンがNHK に投書したことで TV が取材に来てから多くの新聞、雑誌、民放TV、海外メディアなどが取材に来て大騒ぎになる。海外からの旅行者が見せてくれる旅行ガイドブックには永いことオレたちが載っていた。
その後、YAMAHA のコンテストで優勝し、外国人のプロデューサーも付き将来を約束されたかのように見えたオレたちは突然失速し、バンドを解散☆ ファンの前からも姿を消した。。
何人もの当時のファンが、ジーニアスのその後を探している、という話が耳に入ったが沈黙を守ってきた。今やっと、冷静にあの頃の封印を解いてもいいかな、という気持ちになったので、当時書き留めていた日々の出来事を解放する。
熱い、熱い。真夏のような日々だった。
短期間でファンをつくり、マスコミに取り上げられ大きな音楽コンテストでも優勝しメジャーな音楽事務所と契約書を交わしたオレには「バンド で成功する方法」を語る資格があると思う。
その後失速したので多くの人が知るメジャーなミュージシャンにはなれていないが、そうなる直前までは行った。
だからあなたも、この物語に散りばめられたヒントを使って行動すれば、ある程度のところまでは行けるだろう。その後は、運があるかどうかだ。オレにはあの時、最後の運が足りなかった。
でもあなたなら、その運もつかみとり「成功」することができるかもしれない。
幸運を祈るーー
作者:ロックンロール社長 池松 kaz
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プロフィール
ロックンロール社長 池松 kaz
株式会社ジーニアスインターナショナル代表。
Smart CrutchJapan 代表。Lily Nily Japan 代表。Funky Station 代表。渋谷区在住。
貿易会社社長として活動する一方、ロックバンドのシンガー、サイドギタリスト、作曲家、作詞家としても活動し、音楽とビジネスの融合を目指す仕事を展開している。
ロックンロール社長のこれまでの経歴
1983年、この物語のバンド「ロックンロール・ジーニアス」を結成。
1984年、高円寺にバンドのプライベート・スタジオを作る。1985年、原宿歩行者天国にスタジオの機材を持ち出して爆音のストリート・ライブを決行。
NHK に取り上げられ新聞、雑誌、TV、海外メディアなどの取材が押し寄せ毎回700人以上が取り囲む人気バンドとなった。
それを真似してストリートに出てくるバンドが増え、その後原宿歩行者天国バンド・ブームとなってゆく。1988年、ヤマハBAND EXPLOSION’88関東甲信越大会 グランプリ受賞。1989年、武道館で行われるアマチュアBANDコンテスト「世界大会」への出場権を獲得するが、その年 昭和天皇が崩御されイベント中止。
幻の大会となる。
1989年「ロックンロール・ジーニアス」解散。
1990年、NTT サウンド・オン・ザビーチ ベスト・ヴォーカリスト賞受賞。1996年、某大手音楽メーカーと契約。デビュー直前にいまわしいトラブルに巻き込まれデビューがボツに。
「JAPS」「Kaz-Wild」「Mahogany Travelin’ Band」など、さまざまなグループを結成、解散してはチャンスの糸口を探すがいずれも成功せず。長い迷走と不遇のトンネルに入りこみ抜け出せず・・
1997年、音楽活動のかたわらやっていたバイト感覚のトラック運転手が本業に。さらに早朝の新聞配達もやっていたため睡眠時間3時間。。地獄モード突入。
その後一念発起し「自分の大事な音楽を守るためには起業し、自分が自分の音楽のスポンサーになるしかない!アーティスト起業しよう」と資金を貯めながらさまざまな実験とリサーチを繰り返した後、2013年 3月、輸入総代理を獲得するスクールに入り 高機能おしゃれ松葉杖「スマートクラッチ」、ニューヨーク発こどもジュエリー「Lily Nily」2つの輸入総代理を獲得。
その後トラック運転手を辞め貿易業をスタート。
2013年 9月、株)ジーニアス インターナショナル設立。音楽とビジネスの融合を目指し活動中!
最近のできごと
高機能おしゃれ松葉杖「スマートクラッチ」は、日本に輸入すると革命的に受け入れられ順調に売り上げを伸ばしていたが、海外製品特有の作りの粗さに悩んでいた。
そこで本国メーカーと交渉し、日本のテクノロジーとものづくり精神をプラスして進化させることを決定。「輸入総代理」から「製造総代理」へと次なるステージに移った。
ところが、製造には高額な「金型製造費用」が必要であることがわかり、家一軒買えるほどの金額に夢を断念させかけた。が、気を取り直しクラウドファンディングに挑戦!
500万円の資金を集める予定だったが、多くの方が賛同。結果的に目標額を大きく上回る1400万円超の資金獲得に成功し、「奇跡を起こした」と言われる☆ 日本製造実現を現実のものにし「製造メーカー」になった。
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では、第1話を どうぞ。

【 第1話 】 原宿歩行者天国
はじめて原宿の歩行者天国に乗り込んだ日。
緊張して胃がキリキリした。
オレたちのスタジオには、エレベーターというものがついていない。
4階のスタジオから階段でふうふう言いながら機材を下ろすんだ。大変だよ。汗びっしょりかいて。何往復もして機材をおんぼろワンボックスカーに積み込む。そうやって。
大量の楽器とアンプ類で、タイヤがぺしゃんこになった車で原宿に着いたんだ。
10時頃着いたけど、まだ車がびゅんびゅん走ってる。
「アレ? 今日歩行天やらないのかなあ」
不安になっていると、昼すぎに白バイが何台もやってきて、走りながら円錐形の赤いパイロンをぽんぽん路上に置いていく。歩行者天国がはじまったんだ。
「よかった。」
ホッとして、機材を車から降ろしはじめていたらさ、
「なんだ、てめえら!!」
「・・・・・」
いきなり白バイに怒鳴られた。
「てめぇらみたいなのがいるから、こっちの仕事が増えるんだ」
あっち行けって。
本当にこういう言い方するんだよ、下品というか・・ 白バイって昔そういう・・追いかけられる側だった連中でも成れるのかな? どうなんだろ。夜中に走りながら爆音まき散らしてた連中が今は白バイ隊員に混じってんじゃねーか? と思ったもん。ホントに。
・・・でも、優しい白バイの人もいて。
「アレ? 君たちバンドやるの? いい機材持ってるねぇ。いやぁ、本官も昔ギターをやってて・・・・」

なんて話で盛り上がって応援された。ちょっとエライ人だよ、白バイのリーダーかなんか。
まあ、当時の原宿歩行者天国は開放的だったな、今みたいに規制でがんじがらめじゃない。多少のことには目をつぶってくれて。割と自由にやらしてくれたな。
「やったあ。おまわりさんが味方なら、恐いものナシだぜ」
ホッとして又 機材をセッティングしていると、
「コラ お前らァ! 誰の店の前だと思ってんだ。商売の邪魔だ、あっち行け」
今度はそばでタコ焼きをやいてたテキ屋のおじさんがスゴんで近づいてくる。
パシャパシャパシャ、 カメラ持ったヤツらがシャッターを切った。

あそこらへんはスクープ写真を狙ってる 素人やフリーのカメラマンがうじゃうじゃいた。 面白い事件に発展すればいいのに、みたいな感覚で舌なめずりしてやがるんだ。パパラッチどもが。
「俺っちの店の前に来んじゃねえよ、タコ」
頬に長い切り傷があって、手にはタコ焼きの千枚通し持ってるでしょう? 刺されるかと思ってさ、ひやひやした。
「ヤバいんじゃないの? やっぱり・・・帰ろうよ
弱気になるメンバーをなだめて、
「スイマセン、オレたち、今週からここでやらしてもらおうと思って」
高いテキ屋の缶ビールを買って、飲みながら
「迷惑かけないようにやりますんで、駄目ですかね?」
他のメンバーもぞろぞろやってきて、皆でビールを買った。スタッフも、友人たちも。。
一気に何10本かビールが売れたら、少しおじさんも柔らかくなったんだよね。
「そうかぁ、本当は困るんだけどな。どういう音楽? ロック? うーん、ちゃんと毎週来れるのか? 毎週来るなら 俺んとこの店の専属バンドにしてやってもいいんだがな」
「はい。そりゃあ もう」
「来たり来なかったりじゃ駄目だぞ」
「わかってます」
店の専属って言ったって、屋台だし、ホコ天だし・・なんて理屈こねたら大変なことになる。ここは素直に、今 味方になってくれそうなものにはしがみつくんだ。溺れないように。
そうやって、認めてもらって。
やっと自分たちの場所。「溜まり場」を確保できたんだ。
「ようし、いよいよだ。おい、みんな 見回してみろよ。客がうじゃうじゃいるじゃないか! 早く演ろうぜ」
いそいそ準備をして。
ところがさ、いざ演奏をはじめてみると ぜんっぜん受けないんだな、これが。それ以前に客が寄って来ない。素通りして行くの。
「アレ? おっかしいな。音が小さいのかな? もっと大きくしてやってみようよ」
ボリューム上げたら、今度は耳をふさぎながら通り過ぎて行くんだもん。もう、どうしようもない。
結局、初日は惨敗だった。
打ちのめされて、スタジオに帰ってから大ミーティング大会を開いた。
「やっぱりさ、皆バラバラに勝手なこと演奏してるって感じだからさ。もっとリズム合わせていこうよ」
「そうだねぇ。まずリズムだよ。リズム」
トミノスケのタイコは、どんどん早くなってっちゃうし。全員それにつられて、ワーッと走っていっちゃう。
なぜ早くなるかというと、それはヘタだからだ。
悔しいからあんまり言いたくないけど、当時のオレたちときたら・・・ ヘタくそ素人だったんだよ。ライブハウスでしかやったことがない。ライブハウスなんて超ぬるま湯だ。身内が見にきてるんだから厳しいことも言われない。心の中じゃ「ド下手」と思っても、友達だから、そこはまぁまぁまぁ。。まぁ、まぁ、で済んじゃうなんて過保護な場所だよ。いきなり見知らぬ道行く人の冷たく厳しい目にさらされてやっと自分の立ち位置、実力のなさに気づいた。オレたちはヘタなんだ、ってことに。。
ヘタは「音のスキマ」を楽しめない。その「空間」が恐い。だから、スキ間が出来ると、すぐ誰かがそこを埋める。テンポを早くしていけば、スキ間はできづらいからね。どうしても 走った演奏になっていっちゃうんだ。
てことは、うるさいってことさ。スゴく耳障り。全員でガチャガチャ、音をかき鳴らしてるだけだから、音楽でも何でもない。歌なんか聞こえやしない。おかげて声は強くなったけどね。
当たり前だ。あの大音量と戦ってたらさ。イヤでもロックボーカリストが出来上がる。
次の週は―――雨で、歩行天中止だったのかな?
うん。ここぞとばかり、徹底的にリズム合わせの練習をした。
ドラムとベース、ギターとキーボードっていうふうに。2人ずつがまず合わせて、徐々に全員が参加していく。
リズムの「表」と「裏」を取る練習とかね、タンタンタンタン、 ンタンタンタンタ、 タンンタ、ンタタン、 タタン、ン、ンタタ・・・
やる事にはこと欠かないよ。素人さんたちだから。
あと、客寄せ用の「オープニングテーマ」を作ったんだ。「いきなり演奏するより、まず人の気を引いて立ち止まらせようよ」ってね。
「ジャーン」って白玉でコードを伸ばして、音と同時に全員がパッと散らばるの。ダーッ、と駆け出す。
あるいは「ティン、コン、ティン、コン」 オルタネイトピッキングで、客が寄ってくるまでずっときざんだりして。
そういう練習を動き付きでやった。公園で。
ラジカセに練習テープを吹き込み、それを鳴らしながら「ウォリャー」とキメのポーズを作る。フォーメーションで、この音の時、誰々はどこに移動する、みたいにね。公園にいる人には笑われたけど、カンケーないさ。そんなこと。

「スコーピオンズ」っていうバンドのビデオを見ながら、皆で「うわぁ、スゴいね。誰かのヒザの上に乗って弾いたりするんだあ」ちょうど、運動会の人間ピラミッドみたいにね。人の上にのぼって弾く。
「マコトはさぁ、ギターとか回してみたら?」
ストラップごと回すのが、海外でハヤっていたし。
実際やってみたら「ガシャーン!」 ストラップ・ピンが抜けて レスポールが飛んでった。 砂利の上を自慢の「タバコ・レスポール」がガリガリガリ・・ レスポールのサーフィンだよ。何十万もするギターがサーフィンしたおかげで擦り傷がついたけどボディーは助かった。マコトの顔は真っ青になってたけどね。
「太くて長いロック・ピンで ネジがぬけないようにしなきゃ駄目かぁ」
こりないところがあいつのいい所なんだよな。
そういう準備をして、再びストリートに出たんだ。
まあ。そう簡単には変わらなかったけど、それでも徐々にね。ポツ、ポツと立ち止まる人が出てきた。
「いいか。1人だけでいい。1人が1人、客をつかまえろ。1人だけに向かって演奏しろ。1人だけの目をずっと見つめて演奏するんだ」
オレが言うと、女のメンバーは張り切った。
「よォーし。あたし、あのシマのシャツ着た男の子にするよ」
「じゃあ あたしは、あの坊主頭の少年担当!」
「自分の客を100%納得させるんだぞ。よっしゃ、行け。GO !」
ダーッと駈けてって、ヘタくそな割りに情熱のこもった目で、自分だけを見つめられると、何だか自分のためだけに演奏してくれているように思えてくる。悪い気はしない。その姿を見た第三者の客も、思わず 「熱い2人の関係」を面白がって見たりして。
そんな所から、客は食いついてきた。
オレは集まって来た客を少しでもつなぎ止めようとして、ヤマハの箱型スピーカーにのぼった。それを見ていたマコトが真似して反対側のスピーカーに飛び乗る。
「ウォーッ」という拍手がわき起こった。
よしよし、受けてるぞ。爆音とケンカするように、オレはシャウトする。
情けないことに、すぐノドがつぶれて声が出なくなった。
発声法もへったくれもないから。ただバックの音に負けないようにシャウトするだけだから。でもね。オレ、これで発声を覚えたんだ。
声がつぶれて。「どうしよう」と思ったけど、とり合えず歌うしかない。他に歌ってくれる奴はいない。1人1人、自分のことで精一杯だから。持ち場を死守、みたいな。
無理して声を出そうとするんだけど、「ハー」ってかすれて、声にならないの。しょうがない。ノドに負担をかけないように。ノドを広げて、炎症を起こした箇所に触れないように空気を出す。
実はこれが腹式呼吸の基礎なんだよ。長く息を吐く、発声の練習の意味がやっとわかった。最初はハッキリした声にならないから、心もとないんだけどね。
それから、毎週ストリートで演奏して帰ってくると、腹が痛い。「どうしたんだろう?」と思ってたんだけど、ある日気づいた。
「アッ、ずっと歌ってたからだ。そうか、腹から声を出すってこういうことなのか!」
発見だよ。
人間の体って、まるで大きな袋。長いチューブ。腹の袋から、いっぱいに詰まった空気を長いチューブに向かってしぼり出すんだ。声を出すって、歌うって、そういうことなんだよ。それが理解できてから、ねばりのある、太い声が出るようになってきた。

レパートリーは5曲しかなかったけど、1日3ステージ。曲の順番を変えながら、さも新曲のようなフリをして切り抜けてたの。冷汗ものだ。
「あっ、あの子、又来てるよ」
トモコ チビ太が気づいたのかな? 気弱そうな少年が、次のステージも見に戻ってきてくれたんだ。
「あっ、また来てる」
「ほんとだァ。うれしいね」
何度も来る常連になってくれたの。常連第1号。そのうち皆が気にして、その少年を捜すようになってきた。
「きてる。きてる。」
「ホントだ。また、こぶし 握ってるよ」
オレがシャウトしながら、客に言ったんだよ。
「イェーイ。ノッてるかい? 恥ずかしかったら、別に無理しなくていいからさァ。でも 楽しいと思ったら、“心の中”だけでも そっと こぶしを振り上げてくれよなーッ!」
そしたらね、少年が反応してくれたんだ。大人しい子だよ。シャイな少年。でも彼、精一杯自分の心と戦ってくれた。
両方の手を“ぎゅっ”と握りしめて、その手を振り上げるんじゃなくて、下にね。突き下ろしてた。曲に合わせてずっと。体が小刻みにゆれて、顔はぎゅっと口を結んで、紅潮している。表情は乏しいけど、充分楽しんでくれてるのが解るよ。
「こぶし少年」
オレ達は、彼に敬愛を込めてそう呼んでいた。
「ジーニアス」を認めてくれた、はじめてのファンだからね。うれしくて いつも彼の姿を捜していたんだ。
= つづく =
★原宿ストリート・ライブ決行当初
はじめのころは、あまりお客さんもいなかった。
それでも路上に座り、Genius の演奏を聴いてくれる人たちが少しずつ増えていった。。写真はリード・ギターのマコト・クレイジーと、キーボードのヤスコ・クイーン。Live演奏が終わったばかりで、奥の客は興奮がおさまらず立ち上がって咆哮している。徐々にそういう客が増えていく☆
左奥に見えるのが、ボクらを「専属バンド(笑 」にしたテキ屋のおじさんの屋台。喧嘩っ早いおじさんで、
しょっちゅう誰かとトラブルを起こしてましたよww

時代背景
この物語の背景は、1980年代の半ばーー
足音をしのばせてバブル景気が静かに近づいていた頃だ。戦後の高度成長期の総決算ともいうべき急上昇の好景気が、もうすぐそこまで近づいていて、誰もが心なしか明るかった。バブル真っ只中の下品な豪華さはないけれど日本の未来を信じられた。音楽的には、それまでロックの主流だった洋楽を抑えて、BOØWY がブレイクのきざしを見せ始めていたし、その後に続くブルーハーツやらビジュアルバンド勢がインディー・シーンから飛び出し始めていた。タテノリ・バンドはまだ台頭しておらず、音楽のノリは「たて」ではなく「横ノリ」が主流であった。太い眉毛でジュリアナのお立ち台で踊る女性が急増していた。


