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17/2/8

手相

Image by Olia Gozha

年末に必ずお詣りに行く神社がある。 

新しい年のお札をいただいて、本殿でお詣りをして、参道の途中にある手相占いの屋台で

おじさんに手相を見てもらう。それが毎年の恒例行事だ。

一昨年の年末のことだ。 手相見のおじさんが、ふと私に尋ねた。

「ダンナさんは、元気?」

「あの…結婚はしてないんですけど…」 と私。 

「ダンナさんは、あなたのことをとても大事に思っているよ。だからね…」 私の返事が聞こえなかったのか、おじさんは話し続ける。遮ることもできず、結局私は 「はあ、そうですか…。」 と答えるしかなかった。 

一体どういうことだ?ズバリ的中!とはいかずとも、毎年それなりに 「ああ、なるほど。確かにそうかも。」 と思えることを言ってくれるおじさんなのに、今回はなんとも的外れだったなあと、がっかりしてしまった。

そして去年の年末。手相見のおじさんは、なんとまた開口一番 「ダンナさんは元気?」 と

尋ねたのだ。

「ダンナさんは、いません。」 

またか、と内心うんざりしている私を、おじさんはしばらく黙って見つめていた。そして、それ以上その件には触れず、健康面や金銭面の話に終始した。

占いは所詮、占いだ。私の年恰好からして、結婚していれば、そろそろ夫の身体にガタが来ていても決しておかしくはない。オバさんたちにハッタリで投げかけるには、ダンナさんの話題は

きっと持って来いなのだ。2年連続の的外れにがっかりしつつも、妙に納得もしたのだった。

そして無事年も明けたある日、私はふと思い当たった。

 

その人と知り合ったのは、もう20年以上前のことだ。クセのある者同士、普通ならお互い敬遠し合いそうなのに、その人とはなぜか妙にうまが合った。

「別のタイミングで出会っていれば、結婚していたかもしれないね。」

「ある意味、これはもう夫婦より深いかも。」 などと冗談まじりに話したりもした。 

そんな関係が7、8年続いただろうか。周囲の変化に流されるように、その後はなんとなく疎遠になり、ここ10年ばかり会うこともなかった。

再会したのは一昨年の秋。その人の病気がきっかけだった。 悪性リンパ腫だった。

「今、抗がん剤治療のはざまなんだ。」 そう話すその人は、なぜかちょっと得意そうで、思っていたよりずっと元気そうだった。昔と変わらない、クセのある語り口が嬉しかった。 

年が明けた1月には、他の友人も交えて食事をした。痩せてはいたが、秋に会ったときより更に元気そうだった。彼らしい、シニカルなコメントの応酬に皆笑い、楽しい時間を過ごした。

彼は彼のままだ。今までどおり、これからもああやって飄々と生きていくに違いない。

大丈夫だ、と思った。だから帰りの駅のホーム、その人が一瞬さみしそうな表情を見せても、

普段どおり、いや、普段以上にサラッと 「じゃあ、またね。」 と言って別れたのだ。

訃報が届いたのは、11月の末だった。

 

「ダンナさんは、元気?」

 

ひょっとして、手相見のおじさんが言っていたのは、あの人のことだったのだろうか? 

おじさんには、あの人が死ぬことが分かっていたのだろうか?

会っていなかった10年間、いろいろなことがあった。あの人にだって、きっといろいろなことがあっただろう。おじさんに「ダンナさんは?」 と問いかけられても、すぐには思いつかないほど遠い存在になっていた。でも今思うと、おじさんの問いかけと、一昨年から昨年にかけて起きたあの人との再会と別れが無関係ではないような気がしてならないのだ。

おじさんが言った 「私のことをとても大事に思ってくれている人」というのが、あの人のことだったのなら、嬉しい。

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