玲子の失脚
《ここまでのあらすじ》初めて読む方へ
あることがきっかけでショーパブ「パテオ」でアルバイトをしている大学生の桃子は、少しずつ頭角を表し店のナンバーワンを目指していた。ところが恋心を抱いていた佐々木が突然店を辞め、店を取り仕切る立場の玲子に裏切られていたことを知った桃子は、玲子をいつか見返すことを誓う。そして、ついにナンバーワンの座を手にした桃子だが、それでは満足できず、本当の意味でパテオの頂点に立つべく、桃子はオーナーの川崎に取り入るようになる。
オーナーの川崎からは、それまでも幾度も声がかかっていた。
ショーの舞台で中央に立つ機会が増えた頃からだろうか
サングラスの下の目が、時折ハンターのように私を狙っていた。
あからさまではないが
黒服を通じて、店が終わったら時間があります?
みたいなことをさりげなく聞かれるようになった。
佐々木が店を辞めた頃からは
オーナー直々に誘ってくることもあった。
「〇〇ってバンド知ってる?今流行ってんだろ。
そいつら呼んでるからさ、杏ちゃんもきなよ」
帰ろうとする私を呼び止め、手招きすると
ニヤつきながら、あえて軽いノリで耳元で囁くのだ。
「普通じゃ絶対入れないVIPルームだよ」
私は何かと理由をつけては断っていた。
体調がすぐれないので
明日授業が早いので
卒論のテーマを決めなきゃならないので
本当は嘘だった。
学校なんてすでにその頃はもう行ってなかった。
オーナーの権力を持ってすれば
私など、どうにでもできたはずだった。
そうしなかったのは
私にパテオを辞められたら困るからだと後に話していた。
「ったりめーだろ。俺はなあ、お前がそのうち
トップになるって踏んでたんだからよ。金の卵ちゃんだよ。
お前は素朴で優等生っぽいのが最大の売りなんだよ。
そんなまっすぐ大きくなったお嬢ちゃんがニコニコ酒を注いで
舞台上では大胆な衣装で乱れる、それが男心を刺激するってわけよ」
川崎は私の腰に手を回して
いつものドヤ顔をさらに強調させて笑った。
私はその顔を見ながら
力なく調子を合わせ微笑んでいた。
私にも誘いに応じなかったのには訳があった。
簡単に落ちちゃ意味がなかった
うんと待たせて
時間をかけて
自分の店の売れっ子ホステスの1人をやすやすと手に入れ
可愛がってやるという川崎のいつものスケベ心を
どうしても手に入れたい女への執着に変えるまで
そして
機が熟した
そう確信が持てたのが
あの熱を出して倒れた日だった。
歳の割に思いの外、逞しい川崎の浅黒い腕に体を預け
私は覚悟を決めた
私の狙い通りだった。
今までに一度も応じなかった私を
川崎は喉を枯らして待ち望んでいた。
と同時に、恐ろしく勘のいいと噂される彼は
私の下心をちゃんと嗅ぎ取っていた。
さすがチンピラからパテオをここまでにした男だ。
手を腰に回したまま、川崎は言った。
「で、杏ちゃんは何が目的だ?
俺に抱かれずここまでになったホステスは、数えるくらいしかいない。
みんな大した連中ばかりだよ。
アンタの場合、ナンバーワンまでのし上がっておいて
ここへ来て急だ。絶対なんかあるはずだろ。ホラ、言えよ。
俺は何聞いてって驚いたりしねえぞ」
私は川崎の目を、意味ありげな笑みを浮かべて見つめた。
オーナーはそれに応えるかのようにサングラスを外した。
彫りの深い目の周りには無数の細かい皺が刻まれていた。
「こうやってみるとお前、綺麗な目だな」
え、と私は目を瞬いた。
「笑うなよ。たった今思ったんだけど
お前なんでホステスなんかになったんだ?
つくづく俺が言うセリフじゃねえけどなあ」
私はまた、顔を上げオーナーの目を見つめた。
「運命のいたずらですよ、ただの」
フン、と鼻を鳴らし川崎は笑うと
「それでナンバーワンかよ、お前は」
「お願いがあるんです」
苦笑している彼に向かってそう言うと、川崎は私を見た。
「ほう、やっぱりそうきたか。で、なんだ…?」
「私をパテオの本当のナンバーワンにしてください」
「本当の?」
確認するような顔つきの川崎にに私は頷いた。
彼はもう一度苦笑し、そういうことかと言って私の頭を撫でた。
「いいよ、何にだってしてやるさ」
あの明け方の家路へと向かうタクシーを今でも忘れない。
私はさっきまで、すぐ横でいびきをかいていた男のことを考えていた。
寝顔は正直なもので、ただの初老のそれだった。
でも私を掴んで離さなかった力強い腕とギラギラした目つきは
男の欲望そのままだった。
車の窓ガラスには
焦点の合わない目をしたボンヤリした顔が映っている。
これのどこが綺麗な目だって…?
綺麗なんかじゃない 少しも
これは淀んで濁って薄汚れた目
そうだよ
ガラスの中の私は薄笑いを浮かべると力なく一つ息を吐いた
あの日の玲子に哀れみを感じることはなかった。
月に一度のオーナー参加の月例会
いつもの当然のように取り仕切っていた玲子は
隅に追いやられ、スタッフ全員も前でクビを言い渡された。
玲子は驚く様子もなく
もう薄々感づいていたかのようにフッと笑って口元を歪ませた。
そして、静かに私に目を向けた。
私はその視線を跳ねつけるかのように、視線を逸らした。
この瞬間、勝ったと思った。
表向きには玲子は別の店へ移動すると発表されたが
どこで噂が漏れたのか、玲子がグループ全体から退くことは
すぐに大きな波紋を呼んだ。
ーーー玲子さんてさぁ、オーナーの長年の恋人だったんでしょ?
急に捨てるとかヒドくない!?
ーーーていうか玲子さんてオーナーと知り合う前
メッチャ荒れてたらしいよ。援交とかもやってたって。
… でオーナーに見初められたらしいんだけど
そこからずっと内縁の妻みたいな関係で結ばれてたんだって。
ーーーでも、散々いい思いしてきたんだからもういいんんじゃない?
玲子さんて若く見えるけど、実は相当な歳らしいよ
玲子の失脚はホステスたちの話の恰好の餌になった。
中には玲子の本性も知らず慕っていたホステスもいて
泣き出してしまう者もいた。
馬鹿なコたち…
あの女の本性も分からないなんて
まるで昔の私みたい
前の晩、私は川崎の背中越しに甘えた声で念を押していた。
「ねえ!本当?嘘じゃないですよね?」
「ああ、言っただろ?俺はぁ一度決めたら絶対やるんだって」
川崎はウイスキーのグラスを傾けながらパソコンを見ていた。
私は、その背中に体を密着させて
「本当にいいんですですね?
本当に未練とかないんですよね…」
川崎は、僅かに振り向きバーカと言って
私の口元にグラスをあてがい、これでも飲みなと言った。
そして立ち上がり新しいウィスキーを注ぎながら言った。
「誰が!あんなババアに未練だよ?!
あいつには店の経営任してたしよ、使えると思って
ずっと優遇してやってたんだ。
ただの 腐れ縁て奴よ。でもな、そうもいかないだろ。
淀んだ水は取り替えるんだよ!ビジネスの世界も常に
新しいものに目を向けなきゃ通用しないからな」
ウィスキーを煽りながら、川崎は言葉を続けた。
「知ってんだ、佐々木や他の男とできてたって話も。
ちょうどいい、もうあいつはいらねえ、お払い箱だ」
そういうと川崎は私の横に腰を下ろし体を引き寄せた。
「それに俺には、お前がいるからな」
その顔に僅かに拗ねた子供のような面影が映っているのを
私は見逃さなかった。
そして全ては一転した。
私はこのパテオの全体を率いる立場になった。
前代未聞の弱冠22歳で。
しかもナンバーワンホステスという称号もそのままだ。
オーナー以外は誰1人私に逆らえるものなどいなくなった。
この在籍ホステス含む従業員60人余りのパテオの頂点で
私は絶対的な女王となった。


