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17/2/2

両親のキューピッ子

Image by Olia Gozha

当時14歳、中学2年生だった僕は兄1人・姉1人そして自分の3兄弟の末っ子に生まれ、父親が経営者をしており、ある程度裕福で末っ子ということもあり甘やかされ、友人にも恵まれ、何不自由なく生活をしておりました。しかし俗に言う人生グラフで表すとするならばまさに2番の山だったのです。

この生活が2年ほど続き、僕は両親とよく行っていたということもありプロゴルファーを目指すためにゴルフ部が有名な私立高校へ進学をしました、しかし進学したのも束の間あれだけ夫婦円満であった両親が離婚をしてしまったのです。原因は父の会社が倒産をしてしまったことでした。


僕は母親について行くことになり学費を稼ぐために止む無くゴルフ部を辞め、アルバイトに日々を捧げました。


それまで何不自由なく生活をして来た僕にとっては大好きな父親にはもう会えないかもしれないという想いと生活の落差に精神的にかなり病んでしまいました、そこで僕を救ってくれたのが音楽でした、精神的に病んでいた心を音楽が優しく包み込んでくれました。それから2年ほど経ち、生活に慣れて来た僕は他に自分と同じように心が弱っている人を救えればという思いから音楽の道へ進むことを決意します。しかし、僕はどうしても最初に救いたい人が2人いました。


それは両親です。


離婚当初から少し時が経ったということもあり、母が離婚経緯を詳しく話してくれました、その話によると父が多額の借金を抱えて迷惑をかけまいも止む無く離婚をしたということでした、それを聞いた僕は正直、心の中に「やっぱりな」という言葉が浮かびました、というのも離婚後母は父の悪口などは言わず父との写真などもとってあったのです、その事などから僕はまだ父の事が好きなのではないかと考えました、それから何日か過ぎ僕は父と連絡を取る事ができ、話を聞くと父もまだ母の事を想っているようでした。


そこで僕はなんとかしてこの2人を復縁させられないものかと、両親の「キューピット」になろうと考えました。そして僕は1つの作戦を思い付きます、それは座席指定のある程の大きな会場で両親を一番前の座席の隣同士にして再会させてよりを戻してもらおうという作戦です。


その作戦を実行させるために必死で努力をしてなんとか座席指定の会場でライブを出来ることになり、両親同士には1人で来るように伝え、作戦の事は一切秘密で当日を迎え、作戦を実行しました。2人は再会をした時とても驚き、現在この事がきっかけで両親は夫婦円満に戻り、私も夢が叶い、現在人生グラフは人生で1番の山です。


すいません、あなたのストーリーという企画なのにも関わらずこのストーリーは現在20歳の私の夢のお話です。

しかしこの夢は必ず叶えてみせます、本当の私のストーリーにしてみせますのでよろしくお願いします。

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