私は、父のことを覚えていない。
知らないといったほうが正しいだろう。
でも、私には父との思い出がある。
とても大切で、私の人生にはなくてはならないものだ。
私は、1978年12月5日に生まれた。
父は、1979年4月25日に自ら命を絶った。
私は父が自殺したことを、30歳を過ぎるまで知らなかった。
病気で死んだと教えられていたのだ。
25歳だった父は、人間関係のトラブルが原因で、新婚だった母と幼い私を残して、突然自らの命を絶ってしまったのだそうだ。
母が父と過ごした日々は、わずか2年。
私が父と過ごした期間はわずか4ヶ月半。
もちろん私は父のことはまったく覚えていない。
でも、私は父のことが大好きで、尊敬さえもして育った。
母や祖父母が大切に私を育ててくれ、そして、周りの人の優しさに包まれていたからだ。
だからこそ、母からその事実を聞いたときには、とてもショックだった。
どうして!?
大好きだった分、裏切られたような気持ちになり、そして、なぜか自分が犯罪者の子どものような気がして、誰にも言えず思い悩むこともあった。
でも、私はこれを書くことで、この気持に整理をつけようと思う。
1.ヘレン・ケラーになりかけた私を救った父
これは、母から何度も聞いた話。
父が他界してすぐ、まだ幼かった私は突然の高熱に見舞われた。
母は、心配してすぐに私を病院に連れて行った。
しかし、薬を飲んでも一向に熱は下がらない。
毎日のように病院に連れて行き、色々な診察や検査を受けるものの症状は改善されず、一週間近く39度近くの熱が続いていたという。
母「全然熱が下がらないんです。先生、何とかして助けてください。」
医者「色々な手は尽くしましたが、私にはこれ以上どうすることもできません。」
母「そんな!大切な我が子なんです。」
医者「大変言いにくいことではありますが、高熱が出てから一週間近く経ちます。今日・明日で熱が下がらないようであれば、お子さんは目が見えなくなる、耳が聞こえなくなる、話せなくなるなどの後遺症が残る可能性があります。」
母は、途方にくれた。
私しかこの子を守れない。
何とかして助けなければ。
徹夜での看病が続いた。
そして、疲れも貯まり、7日目の夜についウトウト私の横で眠ってしまった。
いけない!
ふと起きたそのとき、何故か父が部屋の隅に立っていた。
そして、母に話しかけた。
「心配要らないよ、この子は俺が守るから大丈夫だよ。お前はゆっくり休みなさい。」
気がつくと朝を迎えていた。
母は我に返って、急いで私の体に触って熱を確かめた。
あれ!?
すかさず体温計で熱を測る。
・・・・36度5分。
全然下がらなった熱が、不思議なことに下がっていた。
高熱の原因は何だったのか、父が現れたのは夢だったのか現実だったのか、今となってはわからない。
父が助けに来てくれた。
父は天国から昔も今も見守ってくれている、そう思っている。
2.遊園地で一緒に遊び、大切なことを教えてくれた父
幸か不幸か、物心がついたときには父はいなかった。
だから、父という存在がどんなものかわからず、父がいなくて寂しいと思うこともなかった。
そんな私も、大学へ進み、東京でひとり暮らしを始めた。
私は、高校生のときに通っていた個人指導塾の先生の勧めで、良家の子女が通うという女子大に入学した。
憧れのひとり暮らし、大学生活。
しかし、入学してみると、私の想像していたキャンパスライフとは全く違っていた。
良家の子女が通う大学。
その評判通り、どの学生も家柄が素晴らしい。
大学教授の娘、陶芸家の娘、医者の娘、某有名企業の上役の娘・・・・。
私は、母子家庭で育ったごく普通の家庭。
お父様のご職業は?と屈託のない笑顔で聞いてくるクラスメイトに対して、父がいないことを初めて引け目に感じ、のらりくらりと話題を反らした。
皆キレイなワンピースにスカーフを巻いて、高級ブランドを身に着けて大学へ来る。
休み時間の話題は、そのブランド自慢や海外旅行の話で盛り上がっている。
私は、それまで高級ブランドを実際に見たこともなければ、海外に行ったこともなかった。
必死で話に入ろうとするが、ついていけない。
授業も厳しい。
高校よりも厳しかった。
どんな理由があろうと、年6回授業を欠席すれば単位をもらえない。
毎日山のように出される課題に、予習・復習。
先生は修道女ばかりで、品行方正にという指導方針のためか、茶髪だからという理由で私は先生に嫌われ、授業中に私ばかり名指しで怒られる。
おまけに、関東近郊から通う学生ばかりで、同じ学科の同級生でひとり暮らしは私だけだった。
皆授業が忙しい上に、地元の友人もいるので、大学が終わればすぐに家に帰る。
気を紛らわせようとアルバイトをしようとしたが、たっぷり課される毎日の予習・復習で
そんな時間もとれない。
それでも、母が頑張って通わせてくれた大学。
なんとか必死で頑張った。
でも、頑張れば頑張るほど、空回りしていく。
どうしてこんな大学へ来てしまったんだろう・・・。
思わず母に電話をしていた。
私「ママ、もう大学に行きたくない。みんなの話について行けないし、居場所がない。」
母「何を言ってるの。頑張ってせっかく入った大学なんだから!」
私「せめて実家から新幹線で通わせて欲しい。」
母「・・・・。ダメ!自分で選んだ道なんだから、あと1年は最低頑張りなさい!それでも気持ちが変わらないようだったら、大学を辞めなさい。」
そういって母は私を突き放した。
私にとってこの母の言葉は思いがけないものだった。
母は私の大学入学と一人暮らしをすることを応援してくれていたが、お金もかかるし寂しいはずだった。
だから、当然受け入れてくれるものと思っていたのだ。
今思えば、母はこのとき私のタメを思って突き放したのだ。
でも、当時の私にはそれがわからず、ショックな上に裏切られた気持ちになった。
そこから私の生活は、自堕落なものになった。
大学には行かなくなり、母に内緒でアルバイトを始めた。
生活の為でなく遊ぶためだ。
大学をサボって、バイトをしながら、友人と過ごす。
私の思い描いていた大学生になった。
友人もたくさんできた。
でも、一方ですっかり自分に自信をなくしてしまった私は、上辺だけの付き合いしかできずにいた。
アルバイトをして、バイト代で洋服を買い、大して仲良くない友人と遊んで、オールナイトで過ごす。
そんな日々が続いた。
ある日、数少ない大学の友人からメールが来た。
「元気ー?大学に全然来てないみたいだけど大丈夫?このまま休んでると、卒業できなくなるよ?」
心の隅には大学のことや母のことがいつも引っ掛かっていた私に、この聞きたくなかった言葉が鉛のように押しかかってきた。
それから数日、何をしても心が重く気が晴れない。
上辺だけの友人ばかりで、相談する気にもなれない。
母にも言えない。
そんななか、随分前から誘われていた知り合いのイベントに参加した。
クラブを貸し切ってのイベントで、飲んで踊って朝帰り。
始発で帰った私は、疲れて化粧も落とさず眠りについた。
すると、私はなぜか遊園地にいた。
どこの遊園地かも、誰と来ているのかもわからないが、とにかく楽しい。
なんだか懐かしい気持ちも入り混じっている。
誰かと手をつなぎながら、メリーゴーランド、ジェットコースター、コーヒーカップと片っ端から乗っった。
観覧車に乗ろうとした時、手を繋いでいた人が私に話しかけてきた。
ある人「楽しいなー。お前はいつもそんな笑顔でいなきゃ。辛いこと、苦しいこと、たくさんあると思うけど、お前はお前らしく、自分の思った道を進みなさい。」
「えっ!?」
思わず顔を挙げて、その人を見ると・・・
写真でしか見たことのない父がそこにいた。
それも満面の笑みを浮かべていたのだ。
次の瞬間、父はふっと消えた。
とともに、私は夢から覚めた。
しばらく何が起こったのかわからない。
でも、何度も何度も頭のなかで、聞いたことがない父の声と、父がくれた言葉、そして見たことのない父の笑顔が繰り返される。
繋いだ手のぬくもりも確かにそこにあった。
そして、それは手から体全体に伝わって、私は暖かい気持ちになった。
次の日、何かに動かされるように、大学へ行った。
それも、いつも大学に着ていっていたキレイな洋服ではなく、スウェット上下しか着る気にならず、
そのままの格好で電車に乗り、登校した。
案の定、みんな変な目で私を見ている。
でも、不思議と気にならなかった。
久しぶりの授業は、内容は全くわからないものの、なぜか楽しい。
先生にはすっかり無視をされてはいるものの、怒られることもなくなっていた。
しばらく私が通っていない間に、お気にい入りの生徒だけと会話をするようになったようで
先生の興味がない生徒は、ただ授業を聞くだけでよくなっていることにも気づいた。
それからというもの、自分のペースではあるが大学に通うようになった。
すると徐々にクラスメイトの服装も話題も変わっていった。
さすがにスウェット上下で登校するのは私だけだったが、今までデニムを着るなんて高校生みたいと言ってバカにしていた子たちが、デニムで来るようにもなった。
私だけでなく皆、無理をしていたのだ。
私は思った。
無理をして、その環境にいる必要はなかったんだ。
自分が自分らしくいれば、どこだって自分の居場所をつくれるし、楽しめる。
そして周りも自分を認めてくれる。
どんな自分だって、自信を持って自分らしく生きることが、自分の人生を歩くのに必要なことなんだ。
私はアルバイトをしていることも母にを説得してカラオケ店でアルバイトをしながら
大学にも通って、なんとか大学を卒業した。
結局授業には最後までついて行けず、勉強はほとんど身につかなかったが、とても大切なことに気付き、そして貴重な経験ができたと思っている。
父が私に教えてくれたおかげで、私は気づくことができた。
そして、父と一緒に遊園地で遊んだ想い出も、まるで昨日のことのように今でもはっきり思い出すことができる。
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この2つの不思議な体験は、父が起こした奇跡なのか、私や母が願望として夢を見たことなのかは
わからない。
でも、確かに父が私を救ってくれたのだ。
自ら命を絶った父だが、私のことを、大切に想ってくれている。
父と一緒に過ごしたことはないが、父はいつでも私を見守ってくれている。
そう思うことで、私は勇気が湧き、今日も笑顔の一日を過ごしている。