top of page

17/1/29

いのち

Image by Olia Gozha


2014年6月1日

ニュージーランド

ノースランド

晴天


季節が秋から冬へと移ろうなか

穏やかな朝の低い光が

窓ガラスを通り抜けて

リビングでくつろぐ私の肌を温める

心地のいい温もり


窓の向こうには

幾重にも重なり続ける 深緑色の丘

その上には

雲一つない青空が 際限なく広がっている


私はソファから立ちあがり

バルコニーへと向かう

古いフレンチドアを軋ませながら外に出ると

今度は一瞬にして

ひんやりとした空気に包まれる


羽織っていたカーディガンの前ボタンをとめながら

深呼吸を何度か繰りかえす

最後にゆっくりと

これ以上は吸えないほど 深く息を吸い込む

新鮮な空気が

身体じゅうの細胞の隅々まで届いたそのとき


記憶の湖の奥底深くで

静かに眠っていた物語が 息をし始める

15年前のあの日の光景が

ゆっくりと

確実に

鮮やかな色を添えて 今 目の前に姿を現わす



_______________________________________________



あなたが生まれた日 

そのころ日本は

春がすっかりと馴染み

梅雨入りにはまだ早く

あたりにはこの上ないすがすがしさが漂っていた


二週間ほど前に田植えがはじまり

まわりの田んぼを見渡すと

あちらもこちらも小さな稲の赤ちゃんだらけ

きれいに一列に並んだその赤ちゃん稲は

あまりにも小さく ぎこちなく

そよ風が吹くたび

ゆらゆら ゆらゆら

なんだか とっても落ち着かない様子


眩しいほどの光のなか

蝶々がひらりひらりと羽をひろげている

田んぼに張られた水のなかでは

おたまじゃくしとアメンボが追いかけっこ


私は病院に向かう車のなかから

真っ青な空と 真っ白な雲が

田んぼの水面に

くっきりと写っている瞬間をとらえる


「大空が大地にたたずむ ひととき」


何もかもが息をのむほど美しくて

なぜだか涙が溢れてきそうになる



______________________________________________



病院に着くと

隣に立っていた あなたのお父さんが

こんないい日に

僕たちの子供を迎えることが出来るなんて 最高だね、って

満面の笑みを浮かべて言いながら

私の手を強く握ってきた

その手のぬくもりが私の心に届いて

きっとそのあと

おなかにいた あなたにも届いたよね


私はその時

初めての出産という大仕事を前にして

気持ちの置き場所をうまく見つけることができず

また

嬉しいような恥ずかしいような

あなたのお父さんの言葉に

どう返していいのやら

小さくうなずくだけで 精いっぱいだった


それに

あのとき

どんな言葉を選んでも

足りなかったような気がするし

また

言葉にしてしまうと

なんだか

そこにある特別で大切ななにかが

空中で舞った後

消えてしまうような気がしたの



______________________________________________



弱い陣痛が 

やって来ては遠のくことの繰り返し

予測不可能な波のリズムとでも呼べばいいのかな

今思えば

あなたはもう既にあの時

あなた特有のリズムを表現していたようね


たいした変化のないなか

だるそうにしている私に助産婦さんが

外にお散歩にでも行ったらどうですか?

気晴らしになるし 運動にもなりますよ

うちの病院、素敵な庭があるの 知っていましたか?、って


朝の間にその庭は 

あなたのお父さんといっしょに散歩してたから

今回は病院の屋上を目指したの

ひとりで目指したの


あなたに出会う その前に

出来るかぎり大空に近づきたかったし

大地にあるすべてのものを

この目で見たかったの

この世界を自分の目で 

きちんと確かめて起きたかったの



______________________________________________



産婦人科を離れてすぐに

消毒液の強いにおいが鼻を衝いてきて

ここが病院だってことに改めて気づく

私は出産っていう

おめでたいことで ここにいるけれど

ほとんどの人の目的は治療なんだ


小児科の前まで行くと

いくつもの千羽鶴が目に入ってきた

三つの千羽鶴が飾ってある

小さなベビーベッドの前で 足がとまる

そのひとつが

元の色が分からないほど色褪せていて

切り離された時間の流れが浮き立っている

胸から喉元に込みあげてくる鈍い痛みを

かろうじて飲み込んだ私は

そのまま歩き続けた


集会所では

お年寄りの人たちが話し込んでいて

私の大きなおなかにに気付いたその人たちが

なんともいえない深いまなざしと

ぬくもりを帯びた笑顔を送ってきて

しばらくのあいだ

私はその膜に包まれる

言葉を超えた膜のなかから

紡ぎだされたのは 祝福という未来


病院のなかを通り抜けながら 私は思う

「 ここは

  生と死の入り口

  生と死が潜り抜けてくる場所

  そして

  私は今

  この尊い場所に

  許可証も持つことなく    

  この足で立つことを許されている  」



______________________________________________



屋上に出ると

春風のなか

洗いざらしの白いシーツが

何枚もはためいていて

バタバタと ひっきりなしに体をくねらせている

私は建物のギリギリ端っこにまで寄って

眼下に広がる景色を見渡す


途切れることのない車の流れ

どこかへ向かう人たちを運ぶ数々の自転車

定期的に規則正しく変わる信号

おしゃべりに興じる人々


そこに特別なものは何もなかった


「 目の前にあるのは

  日々繰り広げられている ありふれた日常 

  今日は私にとって特別な日

  そして

  私は今 

  ”生” ”死” ”日常” という トライアングルのなかで

  特別という名札を付けて立っている 」




______________________________________________



陣痛がいよいよきつくて耐えられなくなってきたとき

ずっと支えてくれたのは母

そう、あなたのおばあちゃん


何も言うことなく

何も口にすることなく

休むことなく

ただただ私の痛む腰をさする母の手

その手が痛みを和らげ続ける


これが私の母の愛情の示し方

言葉にすることなく

淡々と行動で

必要なものを埋め合わせていく


小さいころは

その言葉の少なさが私を不安にさせたけれど

今でこそ分かる

母なりの愛情の示し方



_______________________________________________



陣痛が始まってから12時間

もうくたくたで 残っている力はなかった

出産に時間がかかりすぎて

あなたの心臓が弱くなってきたらしく

助産婦さんが

お母さん、次のいきみで産みましょうね、って


 だれ?

 私?

 私がお母さん?


そうだ、私はもうお母さんなんだ


”お母さん” っていう言葉で再び目が覚めて

そして

あなたが生まれたの



______________________________________________



あなたが生まれたその夜

私は一睡もできなかった

横ですやすやと眠るあなたを見つめながら

この赤ちゃんは

いったいどこからやって来たんだろう?って

そんな想いに ずーっと耽ってた

ちっちゃな ちっちゃなあなたが眠る横で

思えば私も

田んぼに立つ小さな稲の赤ちゃんと全く同じ

生まれたばかりのあなたと全く同じ

まだまだなーんにも分かってなかったの




______________________________________________



四日後

黄疸がかなりひどくなったあなた

放っておくわけにはいかないレベルで

担当医から交換輸血の説明

血液は緊急ヘリで既にこちらに向かっていること

もしものことがあった場合の話をしながら

その横で

あなたのお父さんは涙を流してた

ふたりで書類に署名をしながら

何があっても僕たちの子どもなんだよね、って

握ってきたその手は

相変わらず温かかったけれど 震えてた

私は静かに頷き返した




______________________________________________



何事もなく生まれた赤ちゃんよりも

二週間遅れた

保育器からの退院

あなたを乗せた

家に向かう車のなかから

私は世界の変化を嗅ぎとる

季節は梅雨に入り

湿り気を帯びた密な空気が漂いはじめ

赤ちゃんだった稲は

濃い緑色の背筋をしゃんとのばして

凛々しく 誇らしげに立っている

蝶々は踊るように舞っていて

おたまじゃくしはカエルに変わってた


たくさんの笑顔と涙を経験したあとの世界は

なんだか前よりも

ずっと騒がしくて 生ぬるいような気がした

まわりには命が溢れかえっていて

至る所にエネルギーが流れてた



______________________________________________



この世に命が誕生しようとするとき

命がその生き場所に迷ったとき


たった一つの命を支えるために

世界は愛というシステムを総稼働する


目には見えない

数えきれないほどの愛という循環のなかで

その命が中心となって

まわりのすべてがつながる




______________________________________________



15年前の今日

あなたはこの世界に来ることを決めて

その日以来

そして永遠に

今日という日は私にとって特別な日になって


今こんな風にあの日のことを思い出しながら

もしもね

もしも願いが叶うのなら

もう一度

もう一度だけ

あなたをのせたベビーカーを押して

朝の散歩に出るんだ

15年前のあの日の田んぼへ


田んぼのあぜの真ん中で

あなたをしっかりと胸に抱いたら

今度は両腕で精一杯 天高くに支えあげて

まわりに広がるあの美しい景色を

あなたに見せながら

私は世界に向かってこう言うの

心の底からこう言うの


あなたを私のもとに送ってきてくれて

 ありがとう、 って


←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page