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17/1/27

高卒でライン工をしていた僕が上京して起業する話-No.2

Image by Olia Gozha

そうだ、東京へ行こう


そう決心したのは工場のライン工として働き始めて、半年程経った11月のことだ。東京には中学の頃に修学旅行で一回行っただけなので、向こうには当然友達がいない。


12月の末にボーナスを貰って辞めた僕は、3ヶ月間、失業給付金を貰いながら一体東京で何をしようか考えていた。京都や大阪なら大学に行った友達がたくさんいるため、何とかなりそうだと思ったりもしたが、今までの人生をリセットしたいと強く考えていた。


「何のために生まれて、何をして生きるのか」


東京に行ったら、全く見知らぬ土地と人達の中で、日常を過ごすことになる。


この歳になるまで将来のことを全く考えて来なかった自分にとって、東京での生活は全く想像が出来なかった。


不安は波のように押し寄せるが、同時にとてもワクワクした。


感情の起伏がない暗い日常に、光が差し込んだような感覚だった。


そんな時、小・中学校と同じだったY君と駅でたまたま会った。
Y君は中学の途中から不登校になり、理由は今でも知らないが、暴力事件を起こしたという噂がある。頭は良く真面目だったのでヤンキーというよりは優等生でキレたら何をするかわからない、というタイプだった。


小学校時代は仲が良かったため、後日近くの公園で近況を話し合った。


高校時代の話、工場に就職して地獄のような毎日から最近退職したことなど、自分の話しが終わった後、Y君の話しを聞いた。


Y君は違う中学校を卒業した後、大阪のミナミでホストをしていたらしい。19歳のピュアな僕にとっては、異世界のような話しを色々と聞いた後、彼は言った。


「東京の○○大学に行くから上京するんやけど、一緒に来てみぃひん?」


僕は二つ返事で「行く!」と答えた。


実は東京に行こうと考えていたものの、家を借りるには仕事が必要で、仕事するには家が必要という問題をどう解決したら良いかわからなかったからだ。


Y君は既に東京に部屋を借りていたようで、ロフトが余っているからそこに住めばいいのではと、提案をしてくれた。今まで母親と1K暮らしで、寝る時はリビングに布団を引き、母親と隣で寝ていた僕にとっては、どんな場所であろうと愚痴をこぼさず生活できる自信があった。


「東京に上京してY君の部屋に住む」と母親に話した時はひどく驚いたようだったが、「東京に行って貯金が出来たら仕送りするから」と約束して、僕は3月末に東京に上京することになった。


上京する当日、僕は大好きなミスチルの「星になれたら」を聞きながら、Y君が住む八王子へと向かった。持ち物は携帯電話と数着の服、50万円貯金したキャッシュカード。


「一体これからどんな毎日が待っているのだろう」


この時の高揚感は未だに忘れられない。
失うものがない僕にとっては何もかもが希望に満ち溢れていた。


まさか数年後に起業を決意するなんて、この時は想像もつかなかった。


胸を高鳴らせながら、僕の東京生活は始まった。



ビラ配りのバイト開始



何の資格やスキルを持たない僕は、駅に置いてあったタウンワークを持って帰り、近場で時給が良いバイトを探し始めた。僕がもともと住んでた地域では時給700円が相場だったので、まず時給の高さに驚いた。


その中にあった、コンタクトレンズのビラ配りの求人は時給が1000円と書いてあった。役に立つ知識は身につけられなさそうだが、パソコンの勉強でもしながらバイトしようと考えていたため、電話を掛けた。


電話に出た方の対応はとても親切で、数日後に面接をすることになった。


当日、初めての街で迷いながら、なんとかビルの上層階にあるお店に到着し、面接がスタートした。


面接員は一人だけだったが、その人(以後、Iさん)は高そうなスーツを纏い、耳にはピアス痕がいくつかあり、顔が千鳥の大吾のような強面だった。


後に僕の人生を大きく変えるキッカケとなった人だ。


Iさんは、複数人いるチラシ配りのリーダー的な存在で、チラシ配りだけでなく、併設されている眼科のPOPやチラシ、ホームページなども作成していた。


「ミスったなぁ...」と思いながらも、引くに引けない状態となってしまい、翌週から働くことになった。


4,5人いる他のスタッフや、眼科の受付のお姉さん方はとても優しく接してくれて、東京を全く知らない僕に、標準語の話し方や観光地など色々と教えてくれたりした。


Iさんも、最初は物凄く怖かったものの、無垢な僕を気に入ってくれたのか、仕事終わりに常連のお店に連れて行ってくれて、お酒の飲み方、女の子の口説き方、仕事のやり方など色々と教えてくれた。


もともと内向的な性格だったが、家から歩いて居酒屋に行けたり、電車が10分おきに走っていたりと、今までの環境とあまりにも違ったため、外出する機会が増え、見知らぬ人達と話す中で、いつの間にか外向的な性格になっていた。(チラシ配りで通行人に断られ続けたせいかもしれないが)


それまで付き合った女の子はたったの一人だけだったが、知らない大学の新歓にこっそり参加して彼女を作ったり、行きつけの居酒屋の店員さんを口説いたり、知らない街でY君とナンパしたりと、調子に乗りまくっていた。


僕はY君が住む1Kの2階のロフト部分に住んでいたが、お互い彼女を部屋に入れて、飲み終わった後はロフトに登り、お互い気にせず夜の営みを行っていた。Y君は毎回違う女の子を部屋に連れて来るため、僕が一人ロフトに追いやられる機会が多かったが...。


オレンジデイズのような、甘酸っぱい青春ライフではなかったものの、工場時代に比べれば天と地の差のように感じた。チラシ配りのバイトは楽しいと言えるものではなかったが、終わってからの飲み会や、休日に遊びに行ったりと、東京を全力で楽しんでいた。


ただ遊んでばっかりという訳ではなく、勉強は怠らなかった。パソコンを中心に英語や簿記の勉強をして何らかの資格を取り、転職して正社員になろうと考えていたからだ。大学に侵入していた時も、授業に出て教授の話しをちゃんとノートにメモっていた。


「何をやりたいか」を考えても、別にやりたいことなんてない。それでもスーツを来て、デスクワークを行う「ホワイトカラー」の仕事に就きたいと考えていた。ライン工の仕事は誰がやっても同じで替わりが効いてしまうが、「ホワイトカラー」の仕事は誰かに必要とされ、頼られて、唯一無二の存在になれると思っていたからだ。


新橋でサラリーマンがインタビューを受けている映像に、何故か強い憧れを持つようになっていた。



憧れのデスクワークで働くことに


「この中でパソコンできる人いる?」
バイトを始めて9ヶ月経ったある日、突然Iさんはチラシ配りのスタッフに声を掛けた。


理由を聞けば、新しくネット通販事業を開始するにあたり、Excelが出来る事務員が必要になったからだ。


Excelは小学校時代に少し触っただけで、関数とかは全くわからない。


しかし、このチャンスを逃す訳にはいかないと思い、僕は名乗り出た。


ネット事業部は2人しかおらず、店長が実店舗とネットの経理周りの業務を行い、Iさんがネット通販の開業に際してのショッピングモールへの出展や、注文が発生した際の受発注管理を行うという予定だった。


「家にはパソコンがあって、Excelはある程度使いこなせる」と嘘をついて立候補してしまったが、後から頑張って覚えればいいと楽観的に考えていた。


パソコンと机が置いてある事務室に初めて入り、Iさんに一通りの作業を教えて貰った後、「できそうか?」と聞かれて二つ返事で「はい!」と答えた。


その時、定年間近の店長が「家のパソコンのOSは?」と聞いてきた。


オーエス、そんな言葉生まれて初めて聞いたが、エスは何らかのシステムって略だと察し、「このパソコンと同じです!」という100点満点の回答をした。


この回答をミスり、チラシ配りを続けることになっていたら、IT業界で起業しようとは思わなかっただろう。そう考えると今でもゾッとする。


無事、ネット事業部として採用され、雇用形態はアルバイトのままだったが、楽しい日々の連続だった。最初こそ、注文があったら販売店にFAXして、顧客に発送メールを送り、Excelで売上の集計を取るといったシンプルな仕事だったが、人数が少ないため、色々と業務範囲が増えた。


Iさんも相当忙しい毎日だったので、業務に必要なこと以外はあまり教えて貰えなかった。自宅にはパソコンがないため、キーボードの配置をノートに書き写し、家に帰ってはタイピングの練習をしていた。Excelの勉強をし、今後バナー作成とかで必要になりそうなPhotoshop・Illustrator、ホームページ作成に必要なHTML・CSSなどの参考書を買い漁って、ひたすら勉強をした。


業務範囲は増えたものの、暇な時間が出来ると外に出てチラシを配ったりしていたが、次第に忙しくなり、一日中パソコンを前に仕事をするようになった。頻繁に事務所に出入りするため、スーツを来て出勤するようになり、雇用形態もアルバイトから正社員へと昇格してもらえることになった。


あっという間に憧れていた「スーツを着てデスクワークをする」という日々を過ごすことになり、仕事が終わってからは、店内のポップや通販用の商品画像を作成して、Iさんにダメ出ししてもらったりしていた。


この頃から部署は3人から6人に増えていた。


工場の頃は時計ばかり見て、早く終われと作業をしていたが、今では時間の経過が惜しいくらいだった。もっともっと勉強したいと思っていた。


チラシ配りを始めてから9ヶ月後にネット事業部に移動し、それから半年が経過した頃、中古のwindows98のノートパソコンを購入した。


パソコンを購入しても、Photoshop・Illustrator、Dreamweaverなどのソフトを買うお金がなかったため、GIMPというフリーソフトでデザインの勉強をしていた。ホームページ制作は、メモ帳でコーディングをして作成したり、Wordpressでブログを作成したりと、色んなことをやった。


仕事がある程度出来るようになってからは、Iさんと二人で飲みに行く機会が増えた。Iさんは非常には上昇志向が強く、MBAを取るためビジネススクールに通いながら仕事をしていた。自己管理能力やコミュニケーション力を高める方法、商売の方法など色々と教えてもらった。


Iさんは社内では神格化されていて、22歳の頃に他社でチラシ配りのバイトをしていた時に引き抜かれ、その後8年間、チラシ配りだけでなく様々な仕事を覚え、今ではネット事業部の責任者という役割に就いていた。


僕と同じように最終学歴は高卒だったが、ネット周りの知識だけでなく、英検準1級を持ち、眼科に来た日本語が喋れない外国人の対応も行っていた。


仕事は出来るが、サボる時はサボるような人で、翌日仕事があっても日が明けるまで二人で飲んだりしていた。


そんな尊敬して崇めていたIさんだったが、数ヶ月後経過したある日「仕事は○○(僕)に全て引き継いだ、俺がいる必要がなくなったから、ベトナムで独立してくるわ」と言って退職した。


コンビニに行くようなノリで、海外で起業する行動力に、僕は今でも心から尊敬している。


20歳の僕は働き始めてから、1年半でネット事業部の責任者として任せられることになった。


社内にデザイナーやエンジニアがいないため、チラシの制作、ホームページの制作、広告周りの運用、時にはマクロやVBAでツールを開発したりと、やったことのない仕事でも積極的にチャレンジし、家に持ち帰って休日問わず仕事をしていた。


そんな毎日を繰り返していたため、色んな人から頼られるようになり、とても充実した日々を過ごしていた。自分で考えて仕事で結果を出し、誰かに褒められた時の嬉しさは、女の子と遊んでいる時の比ではない。


僕は仕事とプライベートの境界線を引くことなく、仕事漬の日々を送った。



初めての一人暮らし


その頃、Y君は大学生ながらパチンコや風俗にハマり、頻繁に家賃を前借りするようになった。結果、金銭トラブルで喧嘩別れすることになり、僕は初めての部屋探しを行うことになった。


ロフト生活は3畳程のスペースで冷暖房が行き届かないため、夏場は暑く、冬場は寒くといった環境だったが、貧乏な暮らしに耐性がある僕は、生活レベルを上げるのに抵抗があり、東京の端にある家賃3.2万円のボロアパートに住むことにした。


東京デビューして調子に乗ってはいたものの、もともと内向的な性格だったため、東京で友達と呼べる人はY君しかいなかった。


周りに全く友達がいない一人暮らしというのは、非常に孤独だった。


ただ、その孤独が非常に気持ち良かった。


上京する前は、何をするにしても周りの目が気になってしまい、本当の自分を隠していた。別に僕はアクティブな性格ではなかったが、外を走ってるだけで知り合いに会ったり、ゲーセンに行くと同窓会のように色んな人と会う。


僕はそんな環境が嫌で嫌で仕方なかった。昔からの知り合いというのは、僕という人間を勝手に定義してくる。その定義されたキャラを演じないと「そんなキャラじゃなかったよね」と言ってくる。


だから全くこの僕を知らない、この街が大好きだった。


この街に住む人達にとっては、僕なんてどうでも良い存在だ。
そんな無関心さが心地良くてたまらなかった。


夜に一人で煙草を吸いながら、知らない街を散歩する度に、体感したことのない心地よい風を感じていた。


この感覚を僕の言語力では伝えられないが、福本伸行さんの「無頼伝 涯」という漫画にある、ワンシーンがとてもわかりやすく言語化している。


前後の話を軽く書いておくと、孤児院で育った中学生の涯は、そこから出たいと思い、とある事情でボロアパートに憧れの一人暮らしをすることになった。


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押し寄せて来たっ……!

孤独……貧窮……不便、不都合、不合理……

しかし……同時に今までずーっと……

オレの体にまとわりつくようにあった空気が動き出したっ……!


そうだっ……!こんな風を感じたかった……!

オレは……オレに依って立っているっ……!

自由……そう…これが自由だ…!


自由は…何でも出来ることじゃないっ…!

自由とは自分に由ることだ・・・


となれば当然限られるっ…!

非力なオレなら尚更だ、限られるっ……!


オートバイも海外旅行も…こじゃれたシャツも…贅沢な食事もない…

そんなものとは無縁だった…その限られた中で…


やはり無限だったのだっ……!


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ボロボロの汚いアパートに住んでいた僕は、そんな奇妙で心地よい感覚に襲われながら、新たな決意をする。



そうだ、副業しよう!

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