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17/1/27

双子の弟とわたし。

Image by Olia Gozha

 私が、自分自身を自覚したのは保育園の時である。ぱっと目が覚めた。母は毎日、私を保育園まで自転車で送ってくれた。帰りは、いっつも真っ暗になってからで、夜のおやつが楽しみだった。いつも働く母の背中をみて育った私は、いわゆる真面目に、礼儀正しく育てられた。「絶対に人に迷惑だけはかけてはいけない」と母はよく言った。私は、他人に迷惑をかけないよう、人の目を気にしてきたせいか、相手の気持ちには敏感であると方に育っだと思う。


そんな私は中学生の時に、自分の存在が嫌になり、「死にたい」と思った。毎日天井を眺め、2階のベランダから外を眺めた。それと同時に、家族のことを思った。今ある生活にはなんの不満もないと。母の再婚相手は、とても優しく私を可愛がってくれた。それなのに、私が心の中で想うのはいつも、顔も思いだせない父と、双子の弟である。今どこで何をしているのか、離れていても家族であることには違いない。そう思った。


中学3年生の時、母とまともな会話をすることなく過ごしてきた私は思いきって母に訪ねた。「パパに会いたい。」と。母は「連絡が取れない。」とだけ言い残し、また会話のない生活に戻った。その頃、母と母の再婚相手との関係がうまくいかず、私の精神も限界だった。大きな家も、今の生活も、友達も、好きな人も、祖父や祖母、私には大切な人がいて、幸せだった。それなのに、満たされない心。いつも自分の存在する意味が分からなかった。「どうして私だけ普通に生まれてきたのか。」と毎日やってくる罪悪感に耐え切れなかった。双子の弟は、重度の障害をもって生まれてきた。私と同じ母のお腹の中で育ち、同じ栄養をもらい、同じタイミングで生まれてきたはずである。なのに、どうして。わたしなんだろう。家族のことを思う度涙が溢れてきた。だから、いつも友達の家族が不思議に見えた。家族と一緒にご飯を食べる、家族と話しをする、家族で出掛ける、親や兄弟と喧嘩をする、私には味わったことのない、一生味わうことのないだろう感覚。苦しかった。ずっと辛かった。それでも私は、幸せそうに見られるし、幸せだと感じている事の方が多かった。それでも埋まらない心の穴の原因に気づいた。


中学3年生の時、家族のことを話していた友達がいた。その子が、弟に会いにいかなくていいのか、と説得してくれた。涙が溢れた。ついていくから、と言われて。


私の住む街の中に重度心身障害者施設はひとつしかない。私は辿り着いた先で、こんなに心に衝撃が走ったことはなかった。今まで、弟の存在はあるものの、目の前に現れ触ることもできなかった弟がいたから。10年の時がたち、ようやく会えた。過呼吸で息ができなくて、苦しかった。弟を見た瞬間、愛しいはた愛してると思った。わたしの心の中にいた弟の存在が1番大きくなると感じた瞬間だった。


高校に入ると同時に、また母との2人の生活が始まった。母と会話することなく、毎日学校とバイトの繰り返し。ある日、母が「パパ、再婚して子供がいるんだって。」そう聞いた私は、家を飛び出した。今まで信じてきたのはなんだったのだろう。胸が張り裂けそうで、これから先この事実より悲しいことなんてないだろう。と思った。一回死んでみよう。自分を捨てる。そうじゃないとこのまま生きていくのは辛すぎる。次の日から私は変わった。


その一方で、一定のペースで弟に会いにいく機会が増えた私は、周囲にも弟のことを話せるようになっていた。自分自身も周りの環境も全て受け入れることができたのだ。


その後、色々なタイミングで運命とも思えることが起きた。書ききれない。けど、わたしが最後に必ず思い出すのは、保育園の時に先生と約束した、「ママを守ってあげてね。」という言葉と、弟といつか一緒に暮らせるように日々努力していこう誓ったあの日のことである。







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