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17/1/22

11年遅れの卒業式、それから

Image by Olia Gozha

私は、2度も高校を中退している。理由は簡単。人付き合いが苦手だからだ。

それでも、3度目の正直だと決意し、25歳のときに夜間定時制を受験。29歳で卒業を果たした。中学の同級生よりも、11年遅れての高校卒業。卒業証書を手にしたときは、とても嬉しかった。嬉しい以外に、どんな言葉で気持ちを表現したらいいのかわからない。

4年間で、辞めてしまおうと思ったことが、何度あったか。それでも辞めるという選択をしなかったのは、夢があったからだ。

私は中学生のときから、福祉の仕事に憧れていた。当時は、福祉といえば介護というイメージしかなかったが、17歳で初めて心療内科に足を踏み入れて以降は、介護以外の「福祉」にも魅力を感じるようになる。私はいつからか、自分と同じような経験をしている若い世代と関わっていきたいと思うようになっていた。

その夢を叶えるべく、とりあえず高校を出ないと何も始まらないと思い、卒業に向けて、休み休みではあったが学校へ通った。人付き合いに対する苦手意識の強さや大学の学費などを考えると、通学課程に進学をするのは厳しいかもしれないという思いから、福祉大学の通信制課程へ進学しようと決めた。目標さえ決まれば、あとは自分なりに頑張るしかなかった。

そのころの私は、日中はある施設(就労継続支援B型事業所)に通っていた。主な作業は、内職。作業工賃は、1ヶ月1万円前後。障害年金と合わせても、収入は月8万円に満たない。学費等々を考えると、これはまずいと、さすがに焦った。

入学金や初年度の学費は、頑張ってなんとか貯めた。

卒業式を終え、私は大学に近いところで新しい生活を始めた。グループホームに入所したのだ。就労継続支援B型事業所も代わり、慣れない農作業に苦労した。5ヶ月しか持たなかった。自分が発達障害だということがわかったのは、このころだ。

地元に帰り、たまたま就労継続支援A型事業所で働けることになった。A型は、B型と違い、きちんと雇用契約を結ぶ。勤務時間は4時間と短かったが、最低賃金はきちんと貰えるというのは大きかった。働きながら学ぶのは大変ではあるが、学費の心配はしなくてよくなった。

早いことに、11年遅れの卒業式から3年を迎えようとしている。3年の間にもいろいろな経験をしてきたが、それについては、敢えて触れないでおこうと思う。

職場で、人付き合いを学ぶ。大学で、福祉や自分の障害について学ぶ。当事者会を主催し、人との繋がりを広げていく。3つめの高校に入学する前の自分の姿からは、想像がつかないほどの成長ぶりだと、自分では思っている。

「高校卒業」という、ほとんどの人ができて当たり前のことにとても時間をかけてしまった私だからこそ。「障害当事者」である私だからこそ。「私」にしかできない支援の形が、きっとあるはずだ。

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