山村さんに結婚届の証人になってもらった数日後、私とたまのぶは、もう1人の証人候補、元彼の中田さんに会いに行く事になっていた。本当は翌日にでも会いに行きたかったのだが、中田さんが忙しく少し先に伸びてしまい、もどかしい日が続いた。中田さんには「たまのぶと合流してから、そっちの新小岩のシェアハウスに向かうね」とだけ連絡してあった。
私は24時ちょうどにJR新小岩駅に着くと改めてメッセージした。中田さんは、
「たまのぶも一緒に泊まるの? 寝る時は1人で寝る? 一緒に寝る?」
と聞いてきた。この時、中田さんは、私とたまのぶが結婚するつもりである事を知らない。
「じゃあみんなで一緒に雑魚寝しよう」
と返事をして、私は誤魔化した気がする。
中田さんはテレビディレクターをする傍ら、何軒もシェアハウスを運営していて、私はその掃除を時々手伝っていた。空き部屋がある物件では、ホテル代わりに泊まらせてもらう事もあった。だから、この会話は少しも不自然ではない。
私は新小岩駅前のガストでたまのぶと待ち合わせして、中田さんが運営するシェアハウスへと向かった。私は少なからず緊張していた、ように思う。
中田さんはワインを用意して待っていた。中田さんはお酒を飲むのが好きだったし、深夜に人が訪ねてくる場合は、お酒を飲みに来る事が多かったからだ。
私はお酒が入る前にお願いしたかったので、単刀直入に切り出した。
「婚姻届の証人になって欲しいんだけど」
この時、中田さんは、ある程度「予感」するものがあったらしい。それは、たまのぶと2人で訪問した事、目的を告げずにやって来た事、深夜に無理やりやってきた事などから、「これはきっと急ぎの大事な用事だ」と思ったのだそうだ。しかし、まさか結婚宣言するとは思わなかった。中田さん自身は、交際宣言されるのではないか、と思っていたのだという。
当たり前である。一体どこの世界に「結婚するので証人になって下さい」と元彼にお願いする女が居よう。でも私には、私とたまのぶには、それしか選択肢がなかったのだ。ホームレスと交際ゼロ日で結婚します、それを祝福して下さい、というお願いなのだ。こんな難しいお願いを誰にすれば良いのだ。
中田さんは驚き、しばし言葉を失った上で、こう答えてくれた。
「結婚、おめでとう」
私は嬉しかったと同時に、ほっとしたと思う。
「ありがとう」
そんな平凡な言葉を返した気がする。その後、たまのぶが近所の100円ローソンにダッシュでハンコを買いに行き、中田さんに結婚届の証人のサインとハンコを押してもらって、私達の結婚の準備は完了した。
中田さんは、用意してくれていたワインを開けた。図らずとも祝福のワインとなった。私は駅前の西友で買ったチーズを取り出した。
私とたまのぶは、中田さんの図らいで少し広めの和室に2人で泊まる事になった。結婚の準備も完了し、漫画喫茶ではない、初めてのちゃんとした部屋での一夜である。
布団は2組敷いてあった。でも私たちは一つの布団で手を繋いで寝た。そしてキスを交わし、抱き合った。エアコンの風切り音がしていたのを覚えている。
ウソのような本当のような、あり得ない感じの結婚話だったけど、ようやく私とたまのぶは結ばれるんだ、幸せになれるんだ、生まれてきて良かった、と思ったのだけど、いざコトに及ぼうとすると、彼が緊張してしまい、どうしてもうまくいかなかった。
それは見知らぬ場所で周囲を気にしているせいなのか、素人童貞だったからなのか、はたまた私に女としての肉体的魅力が欠けていたからなのかは分からない。
結局、私たちは、初めてのちゃんとした夜を、何もしないまま終えた。
