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17/1/1

「パンプディング」と私の出会いと別れと未来と

Image by Olia Gozha


私が初めてパンプディングを食べたのは小学校の給食です。

ペラペラしたアルミに入った、いかにも手づくりといった感のパンプディング。

ところどころに小豆が入っていましたっけ。

「ん?これは何?パン?ケーキ?デザート?」


よくわからないまま口に入れてみる。

「甘い”おいしい!」

それからというもの、たま~に登場する給食のパンプディングは

クリームシチューやフルーツサンド、揚げパンなどとならび

私のお気に入り献立の一つとなりました。


がしかし。

ワクワクな気持ちにさせてくれるパンプディングは

小学校3年生で終わりを告げることとなります。

私は1970年生まれ。ときは第2次べビーブームの真っただ中。

私が通学していた小学校は徐々に児童数が増え、1学年7クラスになり

プレハブを使ったマンモス校となっていました。

そういった問題があり、ふくれ上がった児童数に対応するため

やむなく新設校が建設されました。そして新たに通学のための学区域が編成されなおされた結果、

私は4年生から新しい学校に移ることになりました。


ピカピカの新設校の給食は、それまでの学校と同じメニューがかなり多くあったものの

ついに卒業までパンプディングが銀色のトレーにのることはありませんでした。

その結果、小学校に入学して出会った小さいけど確かなワクワクだったパンプディングは

3年という短い期間で別れを強いられることになりました。


もし、どこかでパンプディングが売っていたら、間違いなくお財布を開けていたことでしょう。

でも、あれから46歳になった今に至るまで‘パンプディング’というものを

パン屋さんやケーキ屋さん、あるいはレストランや喫茶店で目にしたことはありません。

母がつくることもなかったので、長い間、口にすることはありませんでした。

それでも折に触れて

「給食のパンプディング、おいしかったな~」


と思いだすこともありました。


大人になり自由に料理やお菓子作りができるようになって

いろいろなレシピを見たり、記憶を頼りに何度も作っているのですが

あの給食のパンプディングの味を再現することは、いまだにできていません。

「こんなパサパサじゃない。もっとしっとりしていたな。」




「これじゃ固すぎる。もっとフワフワしていたはず。」

どれだけチャレンジしてもあの給食のパンプディングには全然近づいてくれません。

いつの日か、記憶の中のあのパンプディングを再現できる日はくるのだろうか。

私のパンプディング物語は、そんなわけでまだまだエンドにはならず

いつの日かあの味に出会えることを夢見る未来へ続くストーリーなのです。



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