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16/12/24

国際結婚・同居<住んだら地獄>

Image by Olia Gozha

 あれから早いもので来月で4年経った

ので要領まとめれると思う。あの忌まわしい同居生活について語ろう。誰も同じ目に合わせたくない

ただそれだけである。こういうこともあり得るんだということを知ってもらいたい。



 どこの国、世代でも嫁姑の関係は頭を抱えるものであるが、特に国際結婚では色濃いと思う。

家族構成を書こう、

私、ねこむら純日本人。夫→白人マザコン、夫の連れ子3人、義理母→元英国人我儘、義理父→痴呆症。

夫とは日本で知り合いこの国の法式にのっとって結婚+移住。1年のビザ関係で1年離れて暮らしビザを得てカナダに上陸+同居となった。当初は2け月だけという話での事だったので同意したのだが

それが全くのウソということが後に判明。それはあとで記載するとします。


異国生活は夏に始まった。

 日本でのキャリア、車、家族すべてを捨ててこの国にやってきたのだが、夫が仕事を見つけず一年が経過した。いわゆるニートであった。いつ仕事を見つけてくるのだろう???と思いながら家事をしていた。銀行口座、運転免許、SINカードの作成などでいろいろ忙しかったが異国での生活をガンバロウ!という気合で乗り切った。

 秋、義理の両親が避暑地から戻ってきた。これが地獄への序章であった。

基本私の仕事は家の掃除とご飯作りは交代でということだった。買い出しは全て義理の母がやるということを夫から聞いた。夫の指示でご飯を作ったら義理の母が怒りだして

義理母「NO! NO! NO!」

ねこむら「えっ???」

大声で叫ばれた。目の前で人差し指を出されて横に振られて、目をつつかれそうになった。

夫が急いで駆けつけて何があったのか聞いたら、ねこむらの調理時間が長すぎる、ここは私のテリトリーだからすぐに終わらせるようにと言われた。調理し始めてから30分の時のことであった。

その後、夫と義理の母の話し合いにより、

夜ご飯は、事前にねこむらが義理の母に何を食べたいのかお伺いしてそれを作るように、そして1時間以内で全てを終わらせるようにと約束させられた。義理の母の嫌いなものは食卓に出さないようにと言われた。それは白米、醤油、海苔、日本の食材全般を出すなということであった。そして日本語の禁止、夫は日本語が達者だったので私たちの会話は全て日本語であった。それが義理の母をさらに怒らせていたというのはいうまでのないだろう。


 義理の父がボケてかれこれ3年たっていたらしい。彼は義理の母とは違い優しい人であったのが

せめてもの救いであった。彼はいつも猫と嫁(義理の母の事)が目に見えるところにいないとダメな人で探しに外に出かけるので誰かが見ていないといけない状態であった。私が来たことで義理の母がすべてを私に押し付けてきた。毎日スーパーへ買い物と友達の家、教会へと外へ逃げたので、私が面倒を見る羽目になった。昼ご飯は毎日缶のスープかサンドイッチで皿を使ってはいけないというルールがあった。キッチンペーパーを1枚敷きそれで食べるということだ。それをジャパニーズプレートと彼女は呼んでいた。頭がおかしい。。。。

痴呆症の義理の父と義理の母は、夫の元嫁(日本人で他界)の家族の話を無限に繰り返した。英語も満足に話せない状況で毎日同じ話の繰り返しで私の家族のことは一切聞いてこない。当初の約束の時はとうに過ぎていて精神的にもおかしくなってきて、ある日公園に散歩に行こうとしたら義理の母に見つかった。

義理母「アンタ!!!どこへ逃げるんだ??誰が私の旦那の面倒を看るんだ!!!私はこれから昼寝するんだから外にでるな!!!」

ねこむら「はぃ。。。わかりました。」


 このときは おとなしく聞き入れ、泣く泣く家で義理の父の面倒をみた。この時点でインターネットをつないでなかったので夫は図書館に就活と称して毎日遊びに行っていた。

そして夫の子供が帰宅したら子供の宿題の算数、英語を見る羽目となった。夫は、もと英語教師だが

全て丸投げしてきた。週に一度の日曜日教会に行くかされた以外は家の中に閉じ込められていた。

軟禁されていたのである。



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