私の高校生活は、
不幸に思うと不幸であり
幸せだと思うと幸せでありました。
文の重々しい感じからは
想像が出来ないかもしれないけれど、
実は、一人でとっても楽しい
高校生活を送っていたのです。
人に話すと、漫画みたいな生活だね。
と、よく言われます。
《一人でいる事を選択する人》
って、どれくらいいるのかな。
きっと、集団の中での、それぞれの
一人の過ごし方って色々な形が
あるんだろうな。
--------------------------------------------------
集団ではなく一人でいることを選んだ
『たまらなく大好きでたまらなく大嫌いだった』
私の女子高校生時代のリアルなSTORY②
-------------------------------------------
しかし、いざ高校生活を3年間
行ききるぞと決めたものの、
やはりクラスメイトの雰囲気には
馴染めそうにない。
私がつまずいたこと。
まず、同級生たちの会話や所持品に溢れる
高校生独自の流行りのものに
興味が持てない。
目立とうと思って
校則というルールを超えることを
格好いいとも思えない。
孤独がこわくて
誰かと居ようともする事も
出来ない。
思ってもいないのに話を合わせて
お互いのご機嫌をとりあうなんて
私には出来なかった。
女子のグループにありがちな、
席を立った、仲間であろう居ない人の
悪口を言っては共感を求めて
自分の居場所を確保する行為も。
頭がおかしくなりそうだ。
小さな教室という檻の中では、
そんな繰り返しの作業が
大多数の至る所で毎日行われていた。
みんなが同じ顔に見えて、
なんだか悲しかった。
今思うと、
高校生活という限定された青春を
誰よりもいかに有意義に
楽しく過ごすかという方法の一つに
そういう過ごし方があっただけ
なのかもしれない。
誰も間違ってはいなかった。
ただ、私には
居場所がどこにもないように感じた。
かくして私は
クラスメイトが、集団生活という
社会に出ると必要を余儀無くされる
世渡りな術を身につけている間、
全くそれとは真逆の方向に
進んでしまったのである。
入学初日の翌日、
座席が前後ろということで
話かけてきた子達と幾日か過ごした。
だけど、グループというものは
行動を共にするという事で、
そこには何かしら暗黙の制限があった。
例えば、教室移動や休憩や昼食時間
何かと行動はグループ内で過ごし、
周囲も、あの人はあのグループの人
という意識付けとなる。
こういう一つの枠組に囚われる事が
非常に窮屈だった私は、
どこにも属さない《自由な人間》
である事にしようと、思い立った。
そうすれば、
話したい時に話したい人と話したり
行きたい時に行きたい場所へ行ける。
何より一人で居ても、邪魔されない。
私は、
「自由でいたい。」
と言って、
グループを抜け出した。
この時完全に
集団生活不適合の烙印を自らに押した
高校生活。
周りにどう思われるか、とか
浮くかもしれない、とか、
この時の私には
考える余地は無かった。
ただただ
私は、私を作りたかった。
誰にも邪魔をされず、
誰でもないもの。
私だけのアイデンティティ。
それを、集団生活からはみ出す事で
見つけようとしていた。
Next