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16/12/22

ガン、乳房を失って得たモノ

Image by Olia Gozha

「何で私がガンなの?」

医師からガン宣告を受けたとき、私が真っ先に頭に浮かんだ台詞。どの患者もよぎる台詞だ。


結婚し、子育て、ママ友との付き合い、長男のいじめ、不登校を乗り越えてきた。次男の小学校高学年で二年間PTA副会長をしながらパート生活・・・ストレスと重圧をかいくぐり、やっとの思いでPTAの任期を終えた。さあ、これから少しは自分の時間も持てると思った最後の総会の翌月、医者に言われた言葉は

「温存は無理ですね、全摘になります。あなたの場合、転移と再発の危険が高いですから、温存も乳房再建も無理ですね。」

頭をハンマーで殴られた思いだった・・・何で?あんなに頑張って来たのに!神様はいないのか?私には頑張ったご褒美はないのか!

淡々と手術の日程を決めていく医師の言葉が私の頭上を通過していった。

確かに、結婚もし、授乳も終えている。50歳も過ぎたところで大方の仕事を終えた乳房だ。でも、間違いなくそれは女性の象徴!!それが、片方になってしまう。私の身体はどんな姿になるのか・・・  

男の医師が淡々と絶望的な事実を伝える中、横で女性の看護師さんが私の肩に優しく触れた。

私は、その場で平静を装うのが精一杯だった。


帰りの車、一人声を上げて運転しながら泣いた。


つい最近のこと、おっぱいが再生している夢を見た!その事を夫に話すと・・・

「トカゲのしっぽじゃあるまいし再生するかよ!」


殴ってやろうかと思った! まあ、男には分からないのだろうと、諦めた。


何で私がガンになったのか、パートを辞めて闘病生活に入った私は本を読みあさった。



そして、これからどうガンとやらと戦っていくのか?!

抗がん剤、ホルモン療法、副作用、術後のケアー、再発防止のためすべきこと。

元来、西洋医学に若干の不安があった私。夫も、色々調べてきて、ガンには自然退縮という方法もあると知った。実際に、手術せずに一年で前立腺がんを消してしまった方にもお目に掛かった。

夫と話し合い、自分にガンを消せる自信が持てなかった私は取り敢えず手術は受けることにした。

しかし手術後、私はエライ目に遭った。

術後直ぐに点滴に入れられているはずの痛み止めが入っていない、私は手術明け、激痛で目が覚めた。

「先生、痛いんですけど・・・」

「ああ、痛み止めね、病棟に上がったら入れるからね」

えーーーーーーーー、私は痛みの雄叫びを上げながら手術室からストレッチャーで病室に戻ってきた。出産の痛みなんかより遙かに痛い!刀で切られるとこんなに痛いのか!!前世私は誰かを刀で切ったのだろうか?だからこんな痛い思いをするのか??歯医者の痛みにも耐えられなかった私だが、それ以降痛みに強くなった。

お陰様で、術後投薬の痛み止めは就寝前数日間飲んだだけだった。


後で、看護師の友人にこのことを話すと

「それ医療ミスだよ!痛かったでしょ~普通無いから」

この時思った、

「やっぱりやだ!医者の言うとおり抗がん剤やホルモン療法なんて!!」

それならどうする?!

私は、動物性タンパクと砂糖を抜いた玄米菜食と自然療法で身体を温める方法を選んだ。

当然、外食は一切出来なくなった。食べたいものは、自分で作る!幸い料理が好きな私、玄米菜食料理を作る事は苦にはならなかった。一緒に玄米菜食に付き合った夫は一年で10キロのダイエットに成功した。

その後、下剤を手放せなかった私が嘘のように快腸快便!!術後の浮腫も一切無く、小麦グルテンをとるとちょっと湿疹が出る程度に元気になった。


でも思った。ある本に、ガンになる人はこういう食生活や生活習慣が良くないとあった。しかし、何を食べても、ガンにならないで天寿を全うする人もいる。どこが違うのか?


その秘密は、物事の考え方、とらえ方にあった。

同じ出来事に遭遇しても、イライラする人としない人がいる。また、自分の失敗に何時までもクヨクヨしたり、自分を責める人もいれば、笑い飛ばす人もいる。私は常に前者だった。渋滞一つでも巻き込まれればイライラし、失敗すれば自分を責めまくった。

ある本に、自分を責める人は、結局周囲に対しても許すことが出来ないとあった。

そんな私は、当然思春期の息子との対立は日々激化の一途をたどりつつあった。

私は、生きることを楽しんでいなかった。いつも何かに追われ、せき立てられるように余裕無く生きて、自分と周囲を責めていた。だから、神様は私にじゃあ死ぬかもしれない試練を与えてあげようと、私にガンをくれた。

心の奥で、

「人生なんて所詮修行の場、出来ることなら早く死んでしまった方が楽になる。」

そう思っていた。だから神様が気付けとばかりに大きな大きな試練をお与えになった。

でも、ガンの良いところは、交通事故や心筋梗塞と違っていきなり死んでしまうことはない!

執行猶予が付くのた!

「あなたは、本当は生きたいですか?」

そう問われた気がした。


ちょっと普通よりハードな生育歴を持つ私には自己肯定感がかなり欠落していた。

夫と別れ、一人で働き子育てする母には余裕なんぞというモノは一切無かった。常にぴりぴりして時間に追われていた。「早くしなさい」それが母の口癖。幼いながらに、私は真剣に母には角が生えていると思っていた。私の憩いの場は唯一、週末になると預けられる祖母の家だった。そこでは、子どもでいられた。

早い話、体罰と罵声を浴びて育った私には自分を信じる力も生きたいと思う強さも育っていなかった。

そして、何より親を責めていた。今思えば、離婚し片親で女手一つで商売しながら私を育ててきた母なのだから、あれが精一杯だったのだろう。でも、甘えは許されなかった。常に・・・

私を捨てていった父を恨み、母を嫌悪していた。

そんな自分と向き合ったとき、自分を自分で愛してあげれば良いのだと気づき始めた。

そのために、カウンセリングを受け、これはと思う本を執筆している人の勉強会にも行った。


最近少しずつ、自分を許し愛する術を自分で学習し育んでいる。

すると、少しずつ不思議な事が起こり始めた。犬猿の仲だった姑に対して怒りを感じなくなった。あれほど嫌だった母にも嫌悪感は感じない。以前なら、感情がジェットコースターのように上がったり下がったり、それはそれはめまぐるしく、苦しかった。今、常に心がフラットになってきた。

息子達に対しても、強い期待を持たなくなった分、責めなくなった。すると当然相手の態度も変わってくる。以前のようないざこざが何故か激減した。そして、全てをコントロールしようとしていた心が薄れてくると同時に、日常生活の中で心から笑える日が多くなってきた。それと同時に、ああ、私って幸せだったんだな~と感じられる瞬間が増えてきた。

今も時々、イラッとしたり、むかっとしたりはある。そりゃそうでしょ人間だもの!!でも、一番大きいのは引きずらなくなったこと。そして、自分も許してあげれるようになってきた。

「まあ、いっか!!」

自分の失敗も、笑えるようになって・・・少しづつ自分が愛おしく感じられる。

今は、ずっと支えてきてくれた夫と息子達に家族に心から感謝している。


乳房はもう生えては来ない。その代わり、私は自分を愛するといことを学習できた。これはかけがえのない大切なことだと、齢50にしてようやく気付くことができた。


「術後1年半、再発の気配一切無し!私の人生これからさ!!」








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