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16/12/18

自立神経失調症→産後うつ→双極性障害①ママの徒然草

Image by Olia Gozha

★プロローグ★

私は今、双極性障害と言って

双→ハイテンション、なんでもできる様に思う、攻撃的などなど。

うつ→被害妄想、とにかく全てダメだと思う、動けないなどなど。

を併せ持った病気を抱えているところです。

医者ではないのでざっくりした知識で話してますのでそこはご了承下さい。

病気の発症から今までのことを、ちょびちょびどお話していこうと思います。 


★1章★精神科通院開始

さかのぼれば20歳の時、専門学校で看護師を目指して5月精神科へ実習へ行った時、受け持ち患者さんには罵倒を浴びせられる、物を投げつけられる、閉鎖病棟だから、実習時間の間は何かなければ病棟にいるという。私にとってはかなーりベビーでした。

かつ、実習チームが仲が悪いときたもんでリーダーの私はまとめられられないことを先生からも叱咤を受け、いっぱいいっぱいでした。

無事に実習を終え開放されたとともに私の精神は限界を超えてました。


夜の雨に打たれながら下宿から実家に戻って歩いてることを探していた家族に発見されました。記憶は全くなく気づけば実家で布団に横たわってました。


問題児だった私によく気にかけてくれていた先生から電話があって精神科に受診することを勧められました。

閉鎖病棟での患者さんたちを見て、私は抵抗がありましたが、先生と母が付き添ってくれるということで、受診を決意しました。

大きな病院の精神科を受診することになりました。そこでは待合室が外から見えなくなってるようになっている。ここに入ったらどんな人がいるのか怯えていました。そこの重い扉を開けて入ろうとすると、他の他科の患者さんの視線が痛いほど奇異の目で見られてるんじゃないかと、入るのを躊躇してしまいました。


看護学校の先生に促されて入ると特に何も普通に暮らしてそうな人ばかり、私が閉鎖病棟で見てきた人と全然違うと感じました。

ただ無機質なところで、扉を閉めれば外の音は聞こえず、受付番号が先生ごとに表示されている画面。みんな特に話もせず、しーんとしている世界。ボソボソと奥で先生と患者さんが話している声。

怯えてしまい母と先生に手をさすってもらっていました。温かかった二人の手は魔法の手のように私の気持ちを和らげてくれました。

番号で呼ばれ入ると若いかなと思う先生。看護学校の先生と母が経緯を話してくれました。聞いているのかどうか、ほとんどカルテばかりを見て書き込んでいるようでした。初診でしたからカルテに書かなきゃいけないんだろうなと思ってましたが、ちょっと不快におもっていました。

学校の先生も思ったみたいで、聞いてますか?!という声かけで、私に「ねむれてますか?ご飯食べられてますか?何が今不安ですか?」との問い。

「すぐ起きます。なんだか心の中が闇で包まれるようなことで不安になります。」

今思い返してもそれで、ここから10年間、わたしの診断名となる

「自律神経失調症」と診断されました。

休息と薬物治療でやっていきましょうと、睡眠薬のロヒプノール、不安を和らげてくれるデパス、幸せホルモンと言われるセロトニンを高めてくれるジェイゾロフトが処方されました。

次回の予約は三週後と先生が告げると、学校の先生が「随分先じゃないですか!薬の様子を見るのに予約は随分先なんじゃないですか!」と言われてしぶしぶ二週間後になりました。


診察後、会計を待ってるうちに先生と母を交えて相談をしました。

このまま実習に復帰できるか、復帰出来なければ次の学年に再実習になると言われました。同じ学年のみんなと離れるのは、悲しいし、ついていけない悔しさも、ありました。

ここで無理をしても、また二の舞になるからと相談した結果あせらず1年休学して今後を考えることにしました。



★2章★療養そして新しい一歩へ

実家での療養生活が始まりました。

倒れた5月は覚えてません。

家族によると、ずっと布団に横たわって動いていなかったそうです。

6月再診の日は母に連れられて病院に行きました。聞かれたことも前と同じで、はいと、いいえの簡単な診察で、なにか母が先生に聞いていたようでした。

帰りの車の中、「普通に育てたのになんでこんなことになっちゃったんだろう」と自問自答をしているのか、私に聞かせたいのか、ぶつぶつ独り言を言ってました。

薬を処方されて飲まなくてはいけないのに、薬なんて飲んでるからおかしくなるんだ!なんてこと。

理解したくないんだと思いました。

でも、そんな中でいつもと変わらず接してくれたのは祖母でした。

温かいご飯を私が食べようとしなたったら、私の好きなものを作ってくれてどうにか食べてくれるよう一生懸命作ってくれました。私の涙の訴えも静かに聞いてくれました。

叔母に聞いたら、その時の私は目が怖かった。と言っていたそうです。怖いのに温かく接してくれた。それだけでも、私の救いだったと思います。


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