学生の時から野球一筋。
高校卒業後、野球しか知らない僕が進んだパン職人の道。
専門学校に通い、パン屋に就職。
真面目に頑張れば自分のお店を持てると思っていた。
自分のためだと思い、必死に頑張った先に待っていたのは鬱病。
生きる気力を失い、何もする気になれなかった。
毎日暇を持て余し、ギャンブルに染まっていった。
何も生き甲斐がなかった僕は1つのことがきっかけでビジネスを始めることなった。
自分の進むべき道は?
中学生の時から野球を始め、毎日野球に没頭する日々が続いていた。
高校3年生になり、まわりは大学受験や就職活動を意識し始めた。
僕は自分の将来なんて考えたことはなかった。
ただ毎日野球をひたすらやっているだけだった。
心の中では野球に逃げていただけだったのかもしれない。
そんな僕にも考えないといけない時がきた。
2011年7月24日
僕の高校野球人生に幕が降りた。
野球をしに学校へ行っていた僕は学校へ行く意味がなくなったと同時に生きる目標まで見失った。
まわりのみんなは受験勉強や就職活動を頑張り始めていた。
自分の進むべき道は何なのか。
そう悩んでいたある日、高校の横にある1件のパン屋さんに入る。
何気なくパンを買い、お金を払おうとしたその時、レジのおばちゃんが話しかけてきた。
「おにいちゃん野球部?」
僕は「はい!つい最近負けてもう引退したんですけどね!」と答えた。
おばちゃんは「お疲れさん。いつも頑張ってたん知ってるよ。おまけ入れとくね!これからも頑張ってね!」と言ってくれた。
僕はお礼を言い、店を出た。
店を出ておまけのパンを食べた時、すごく優しい味がした。
その時、僕は「こんなパンを作りたい!!」と思った。
やりたいことが出来た。
パン職人になる決意をし、高校を卒業した後は専門学校へ入学した。
楽しみにしていた専門学生生活だが、週5日の実習の内、パンの実習は1日だけ。
説明会の話と全く違う。
家庭がきつい中入学にお金を出してくれた親には悪いと思ったが、この学校では時間を無駄にするだけだと思い、1年で中退。
自分の店を持って親に恩返しをしようと決意!
一流のパン職人を目指してパン屋に就職する道を選んだ。
1日20時間労働、休みなし!?
就職して1日で学生時代に学んだすべてのことがほとんど無意味だったことに気付かされた。
何も通用しない。
学校を1年で辞めて良かったと思った。
僕は先輩から技術を教えてもらいつつ、一生懸命働いた。
入社した当初はひたすら仕事を覚えるのに必死だった。
4時に出社。
昼食は18時を過ぎてから。
退社は24時。
毎日20時間労働。
正直きつかった。
定休日は月曜日。
友達は学校か仕事なので休みの日は寝るしかなかった。
僕は就職してから太陽の光を浴びず、誰とも会話をしなくなっていた。
毎日、1日が早く終わらないか。ということしか考えていなかったのにも関わらず、精神的に追い込まれていることにも気づいてすらいなかった。
僕が就職して8カ月たったある日、店長からスタッフ全員に話が持ち掛けられた。
「休みなしで働いてくれ!」
1カ月、催事があるとのことだった。
「まじで?」
そう思いながらも機械のように働こうとしていた。
僕はそのことを何気なく母親に話した。
母親に「あんた身体大丈夫?」と言われた。
その瞬間に僕を支えていた何かがプツンと切れるような気がした。
それは今になっても何かわからない。
次の日、精神崩壊を起こした。
僕はその日のことを何1つ覚えていない。
ただ仕事に行きたくないと泣いていたらしい。
ここから僕の鬱生活が始まったのである。
人生のどん底へ。
鬱病になり外に出るのも怖かった。
毎日毛布にくるまって1日が過ぎるのをただ待っていただけだった。
そんな僕を見て母親は仕事の長期休暇を取った。
毎日、僕を外へ連れ出した。
もちろん僕は嫌がった。
それでも毎日連れ出された。
散歩をしては他愛もない話ばかりしていた。
家族の話やスポーツの話。
中身のある話など何1つしていなかっただろう。
しかし毎日外に出ているうちに、1人でも外に出れるようになった。
僕はだんだん元の自分を取り戻し、人と会話が出来るようになってきた。
そんなある日、久しぶりにパチンコ屋に行ってみよう!と思った。
パチンコは学生の時から息抜きに使っていた。
これが大きな間違いだった。
その日10万円の利益を得ることが出来た。
仕事をしていない僕は毎日パチンコ屋に通うことになってしまった。
完全にパチンコ依存になった。
パン屋で働いていた時はお金を使うことがなかったので貯金はあった。
僕は3カ月でパチンコに100万円使ってしまった。
もうお金がないと自覚したとき、自分はクズの極みだな。
そう思った。
2億稼げる!?
新しい仕事も無事に見つけ、社会復帰をした時、僕は1つ決意していたことがある。
それは親への恩返しをしよう!ということだ。
専門学校もパン屋も辞めてしまった僕は罪悪感しかなかった。
鬱状態から復帰できたのも母親のおかげだ。
そんな気持ちで働き始めたその時、高校の友達から連絡がきた。
ご飯の誘いだった。
友達「久しぶり!」
上田「おう!久しぶり!急にどうしたん?」
友達「元気にしてるかなーって!今度飯いこうや!」
上田「おう!いいぞ!」
友達「上田に話したいことあるねん!仕事の話!」
上田「仕事?なになに?」
友達「会った時話すわな!」
仕事の話が気になったが、卒業以来の連絡だったので、少し嬉しかった。
1週間後、友達との久しぶりの再開をした。
待ち合わせの飲食店に入りハンバーグを食べた。
当時のクラスの話や文化祭の話など思い出話で盛り上がった。
話が変わり仕事の話になった。
僕は普通にサラリーマンをやってると友達に話した。
友達に何をしているか聞くとビジネスに取り組んでいると話していた。
僕はビジネスが何かわからなかった。
お前と一緒に仕事がしたい!
ただ同級生にそう言われた。
僕は新しい仕事を見つけたばかりだったので断ろうとしたが、副業でもいいから一緒にやろうと熱意に押された。
そしてそこで言われた言葉がある。
1年で2億稼げる。
僕はそんなことがあるのかと耳を疑った。
でも友達はは本気だった。
家族に恩返しができるかもしれない。
そう思った僕はビジネスに取り組もうと新たな一歩を踏み出すことにした。
これが僕がビジネスを始めたきっかけである。
後にこの一歩が重大な間違いだということに気付くこととなる。
続きは別のストーリーに書きました。