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16/11/29

フツーの女子大生だった私の転落の始まりと波乱に満ちた半生の記録 27話

Image by Olia Gozha

正義と偽り

《ここまでのあらすじ》初めて読む方へ

あることがきっかけでショーパブ「パテオ」でアルバイトをしている大学生の桃子は、少しずつ頭角を表し店の売れっ子へと上りつめていく。そんな矢先、恋心を抱きつつあった店のチーフマネージャー佐々木が、カナというホステスと共に失踪したと聞き大きなショックを受ける。やけ酒を飲んで帰宅したアパートの前に、別れた元恋人の拓也がたっていた。拓也は以前、振られた腹いせに桃子が売春しているという噂を流したと告白し、「またやり直したい」と言う。悲しみと怒りでふさぎこんでいるところへ、また思いもよらぬ訪問者が現れるのだった。



私は、慌ててドアの小さな穴を覗いてみた。


驚いたことに、そこに見えたのは紛れもなく


私の母親だった。



ドアを開けた時の母の顔が忘れられない。



彼女は瞳孔を大きく開き、口を半開きにして立ちすくんでいた。



一瞬だったか、それとも何秒かだったのかは


分からないけど



すごく長く感じたのを昨日のことのように覚えている。



「あんた…なに、その格好…」


心なしか声もかすれている。


派手なキャミソールがはだけ、髪はボサボサ、顔は泣き腫らしてグチャグチャ

模範的な学生であるはずの娘のこんなだらしのない姿を見れば


どんな母親だってこうなるだろう。




「お母さん、どうしたの。連絡もしないで急に来るなんて」




「昔からの知人が昨日の晩亡くなったのよ。

今日朝から告別式があって、その帰りに寄ってみたの。

だってあんた、昨日からいくらかけても電話でないんだもの」



しまった。昨日、充電切れたままだった。




とにかく狭いアパートのキッチンで私は母と向き合って座った。



私の入れたコーヒーを一口飲んだ母は、改めて私を眺め言った。




「説明してちょうだい、なんですか、その格好は」



「あ、これは…」



私は、思わず胸の大きく開いた襟ぐりを上に引っ張りながら言った。




「まさかとは思うけど、変なバイトでもしてるんじゃないでしょうね?」



「ちっ違うよ。これはね、あの。か…仮装なの。そう、仮装!昨晩ね、仮装パーティーが


あってね。どうしてもって言われて参加したの…っ」



「桃子」



私は母の顔を見た。




完全に疑惑の目を向けられている。



「本当に?」



「ゴメン…本当は友達が風邪で出られないっていうんで、バイト頼まれちゃって。

   でも、昨日の晩だけって約束だから」




それは嘘を塗り替えただけだった。


自己防衛となると咄嗟に色んな嘘が出るものだと自分でも驚いていた。




母は黙って私の目を見つめながら、そう…とだけ言った。



私は、また見透かされそうだったので

彼女の背を向けて流しで、洗い物を始めた。



「学校へはちゃんと行ってるのよね」



不意に母が言い、私の手が止まった。


排水口に流れていく水の音だけが部屋の沈黙を乱していた。



私は顔だけ母の方に向けて笑顔で言った。




「もちろん」



すると母は、少し安心したようにコーヒーに口をつけた。



「亡くなったおじさんね、昔、隣に住んでたのよ。

   あなたが7歳くらいの時、東京へ引越しされたんだけど

   うち、お父さんと別れてから生活安定するまで  大変だったでしょ

    その頃お母さんが仕事見つかるまで

    お隣の一家が よくあなたの面倒見てくれたのよ」



「へえ」




「特に亡くなったおじさんは、あなたのことよく可愛がってくれた。

   桃ちゃんはベッピンさんになるぞとか、本当に頭のいい子だとかね」



覚えてる?と母が言うので


私は首を振った。




「あんた小さかったもんね」



母は微かに笑って言った。




そのおじさん夫婦は若い頃、赤ん坊だった娘を亡くしたそうだ。




だから、幼い私を可愛いと思ってくれたんだろうか…




私は幼少期に確かに、優しい笑顔の男の人の記憶が微かにあった。



大きなゴツゴツした手に慣れていない私は、ちょっと怯えながらも


だんだん、その人が好きになって、その人にまとわりついたりしていた。


夢なのか現実なのか分からないが…


ずっと出て行った父親の記憶だと思っていたけど




もしかすると、そのおじさんだったのかもしれない…









その日は母が行きたいと言うので、東京の新名所を訪れ


夜、母の好きな和食の店に入った。



久しぶりに地元の話をひと通り聞き想い出に浸った。




駅ビルができたとか、近所の犬が死んだとか

幼なじみが赤ん坊を産んだ話にはビックリした。



母は、珍しくビールを飲んでいた。




「みんな、桃子ちゃんはすごいって、いい大学に進んで

   これから楽しみだって言ってるよ」


母はたったグラス半分で真っ赤な顔をしている。



笑うと顔中のシワがクシャッとなって



実年齢よりずいぶん上に見える。



歳を取ったなあと思う。


人の何倍も苦労を背負った顔は

それでも誇らしげで嬉しそうだった。




急に胸が痛んだ。



私はこの人を裏切っている…




母が、身を粉にして働き守ってくれた私の人生を




母の夢を。




私は今…壊そうとしていたのだ。


私の意思で…





だって私は、もう大学には行かないつもりだったのだから。





その晩は眠れなかった。



すぐ手を伸ばせば届くところに寝ている母の寝息が


思いの外、大きいせいでもあったかもしれない。




母は、一晩泊まって行くことになり

帰宅して着替えて、横になったきり寝息を立て続けていた。






私は、暗闇の中で罪悪感と虚無感の間を行ったり来たりしていた。




今なら、母の期待に応えられる人生に戻れるかもしれない。


引き返すなら今だ





でも…




私は何度も寝返りを打った。




すでにもう、どこにも希望なんてないような気さえした。



私は再び、行き場を失ってしまったような気持ちに苛まれていた。






翌朝、母は帰って行った。


駅まで送ると言うのに

必要ないからと言って聞かず、アパートの前で別れた。



背の小さい母が見えなくなるまで


私は思いつめた顔で見送っていた。




大学へ戻ろう…




私は虚ろな目で、そう呟いた。




重い足取りでアパートの階段を上った。


誰かの声がする。


まだ今なら、引き返せる


それこそが正義だと…






部屋に戻るなり、気持ちが変わらないうちにと


私はクローゼットの営業用の派手な服を引っ張り出して

全て段ボールに詰め込んだ。



それから客の名刺フォルダーを取り出した。



300枚近い名刺がぎっしりと入っている。



これを即座に処分するのは、さすがに躊躇われた。



一年分の、私が捨て身でしがみついて手に入れた結晶そのものだ。


思えば、屈辱や苦難の連続だった。




でも、それでも私がやっと見つけた居場所だ。


これを捨てると言うことは


私はその居場所を失くすということだ。



私は、思い切って

全ての名刺をファイルから出した。




そして、それを一枚一枚、破ってゴミ箱に入れ始めた。




名刺はホステスにとっては


夜を生きていくためのなくてはならない重要なアイテムだ。




その思いを噛み締めつつ私は、破った。






これは儀式なのだ。




これが全て、破られる時…





魔法がとけるのだ。




コレは、元の世界に帰る儀式だ。




いつの間にか紙屑の山が出来ていた。


私は、それを掻き集めゴミ箱に流し入れていった。







携帯電話が鳴ったのは、その時だ



お母さんかな…と思った。


今頃電車に乗る頃だろう。



私はロクに画面を見ないまま、耳に当て言った。



「もしもし」




「あ、俺」



その声を聞いた瞬間、私の頭の中は真っ白になった。


黙っていると佐々木が、いつになく

悪びれた口調で言った。



「怒ってるよな。ごめんな。何にも言わずに消えて。

   おい…聞こえてんのか?」




「聞こえてる」




「おう、そっか。ま、元気そうでよかった」



何言ってんのこの人…


アンタのせいで私がどんだけ苦しい思いしてると思ってんの!



「今、何処にいるんですか?」




「大阪…」



「やっぱり…

   じゃ…カナと一緒なんですか?」



「あ、やっぱり、そういうことになってんのか。

   確かにカナと一緒だった。あいつ借金でヤバイくてさ

   一緒に連れてけって」



「一緒に逃げたってわけだ」



「おい!俺とカナは何でもねえぞ。

   前にパテオでボーイしてたジロって奴覚えてるか?」



半年くらい前、辞めた若いボーイがそんな名前だった。



「カナは、そいつの女だよ。でも、何だか知らねーけど

   居場所知らねえらしくてよ、俺が大阪行くなら案内してくれって

    頼まれて、仕方ねえから連れて行ってやったんだよ」



カナとは、今は一緒にいないと知っても私の中で

私の心中は変わらなかった。


何でいなくなったの…?

私には何も言わずに



「何で…?玲子さんのことはいいわけ!?

  何で大阪なんかに行ったの?」



「玲子は逆にせいせいしてるさ」



「え…?」




「いや、いい。前々から、そろそろパテオは潮時って思ってて。

   元々、あっちが地元だし仲間もいる。前からさ、店何軒も経営してる

   昔の先輩から俺に店 任したいって話もらってたんだわ」




私はが黙っていると

佐々木はためらいがちに言った。




「でも、お前のこともあったから…俺も迷ってたんだよ」




私たちは暫く沈黙した。



佐々木が消えてあれだけ、凹んでも

いざとなると、何一つ言葉が出なかった。


そもそも私には引き止める権利なんかないのだ。




「杏…」




佐々木のいつになく神妙そうな声が、先に沈黙を破った。




「俺な、お前のショーめちゃくちゃ好きだったんだわ。

   今だから言うけどセクシーだったよ。誰よりも綺麗だった。

   始めは不格好で、大丈夫かよコイツって思ってハラハラ見てたけどよお、

   なんだかんだ  お前ってオレの想像を遥かに超える骨のある奴なんだよなぁ」




「な…なに言ってんですか」




「あそこは、お前の最高の居場所なんだって思う。

   お前が一番輝ける場所、そうだろ?

   だから今まで、とんでもねえことがあってもお前はやめなかった。

   違うか?俺はそう思うね。

   だから今はお前をパテオから奪っちゃいけないって思ったんだよ」



私は破りかけの名刺を強く握りしめた。


何勝手なこと言ってんの…本当に。




「もう、戻らないつもりなんですか?」





「お前と俺はいつか会える。必ず…この世界にいれば」




「私がやめたらどうするんですか?」




「お前は…やめないだろ?」




佐々木は妙に自信のある声で言った。




「一つ言わなきゃいけないことがある。

   実はこのためにお前に電話したんだ。」



「何ですか?」




佐々木が、受話器越しに一呼吸置いたのが分かった。




「お前ならナンバーワンになれる」



胸がドキドキした。

ナンバーワン…



ナンバーワンという響きにこんなにまだ未練があるなんて。




「何でそんなこと、急に」



「だから一つだけ忠告しとく」


   

「何ですか、忠告って…」



私が言い終わるか終わらないうちに

佐々木が言った。



「玲子には気をつけろ」











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