はじめまして、LEOです。
僕は必死の受験勉強の末、
1流大学に合格、さらには大学院に進学し、
「もう将来は安泰だね~」
「どこの大企業に就職するの?」
と、周りも羨むようなエリート人生を歩んできました。
にも関わらず、
僕はあるきっかけによって、
これまで積み上げてきた学歴を全て捨て去り、
まったく違う人生を選択したのです。
それは人生の『本当の自由』を
手に入れるための選択です。
ではでは、ここから物語の始まりです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、
まず僕が今やっていることを紹介すると、
外注の記事ライターさんを
10名以上雇ってWebサイトを運営したり、
ブログやYoutubeなど、
自分のメディアを作って情報発信をしている。
まさか普通の大学生だった自分が、
人を雇ってビジネスを動かすなんて考えもしなかった。
経営者の世界に足を踏み入れたのだ。
そもそも経営者と呼ばれる人間は、
特別な才能があったり、
ビジネスセンスが抜群に良かったり、
あるいは人脈がハンパない、
そんな極一部の限られた人間だと思っていた。
しかしそんな僕の常識は崩れ去り、
今や自らの力でビジネスを構築しようというのだ。
それではここからは、
僕の人生をさかのぼって、
幼少期のころからの話をしていこうと思う。
4人家族の次男として生まれた僕は、
両親と3つ歳の離れた兄がいて、いたってまともな家庭で育った。
男兄弟として育った人ならわかると思うが、
幼少期は兄と二人、本当によく遊んでいた。
兄の興味のもったおもちゃ(ミニ四駆やビーダマン)など、
なんでも兄の真似をして遊んでいれば退屈しないのである。
ちなみに、この兄については、
後に自分の大学受験や人生を考えた時、
一つの目標となる重要な人物であるため、
そのことを覚えておいてほしい。
何不自由なく幼少期を過ごした僕であるが、
それは小学校にあがってからも何ら変わりなく続いた。
小学校1年になってすぐに、
K君というとても仲の良い友達ができた。
K君はかなり活発な子で、
僕の兄弟とK君の兄弟(兄と弟)を含めて、
毎日、日が暮れるまで遊んでいた。
たぶん当時同じ小学校で、
僕らほど遊びまわっていた
子供たちはいないんじゃないかな。(笑)
それくらい、活発に遊びまわっていた。
ある意味、健全な少年時代だったと思う。
自転車で何時間もかけて、
川、海、森にいってスリリングな遊びをしていた。
そんな僕は、膝や肘はすり傷だらけの子供だった。
今すごく覚えているのは、
大雨の中、川で魚釣りをしたことがある。
雨で川の水量が増えると、
普段は全然釣れないのに、やたら魚が釣れるのだ。
ヤマメやサクラマスだろうか。
たしかそんな名前の魚だったが・・
大雨の中、橋の下で釣った魚を焼いて、
みんなで分け合って食べた。
まるでサバイバルだが、
あの状況で食う魚は最高にうまかったのを覚えている。
ちなみにこの時は、
たまたまK君のお母さんが通りかかって、
「大雨の中、川に近づくなんて馬鹿じゃないか!」
とめちゃくちゃ怒られて終わった。(笑)
このように活発に遊んでいた子供だったから、
小学校の中でも、すぐに僕とK君を中心に友達の輪が広がっていった。
小学校3年になったころには、
僕は、K君や他の仲のいいメンバーと共に
学校のサッカー少年団に入団した。
運動神経のいい奴らは
だいたい僕らのメンバーにいたので、
後に僕らは地元の地区大会では
何度も優勝するチームとなった。
その中でも僕は、
チームの中心選手として活躍して、
トレセン(地区選抜)に選ばれるなど、
サッカーでそれなりの成績を残していった。
サッカーを始めてからは、
放課後は学校のグラウンドで
ボールを追っかけていたし、
相変わらず外で遊びまくっていた。
また意外かもしれないが、
僕は勉強もクラスでトップだった。
よく周りからは、
「サッカーも上手くて、頭も良い子」と言われて、
自分は特別な人間なのだと本気で思っていた。
しかし、僕は少年時代からずっと、
心の中は弱い人間であることは間違いないのだ。
おそらく誰の小学校時代でも、
クラスに一人は勉強もスポーツもできる
人気者がいたのではないだろうか。
たぶんその人気者は、
周りから見れば、悩み事なんて何もない、
自信満々な人間に見えたと思う。
僕も周りから見れば
その人気者であるはずだが、実際は違う。
まず僕は極度の人見知りだった。
特に大人と話すのは大の苦手だ。
そして人前で話すのが何より下手くそだった。
僕の小学校では、日直がみんなの前に出て
『朝の会』『帰りの会』を進行するという制度があったのだが、
みんなの前で話すというだけで、
モジモジして顔が赤くなってしまった。
さらに最悪なのが、
「顔赤くなってるー」という野次が飛んでくることだ。
そう言われるとさらに意識して顔がどんどん赤くなる。
勉強もスポーツもできる人気者の自分が、
こんなところで顔を赤らめて恥を晒しているのだから、
けっして自分は完璧な人間ではないということである。
ちなみにこのような経験は、
小学校だけでなく、中学、高校でも幾度となく経験している。
自分で言うのも何だが、
スペックは常に周りより高い人間であった。
足りないのは、自分に対する自信。
どうしても自分の殻を壊すことだけはできなかった。
話を戻そう。
小学校ではサッカーで
それなりの活躍をしていたため、
中学は地元の公立中学校に進学すると同時に、
部活に入らずにクラブチームに所属することにした。
クラブチームに入るには、
セレクション(入団試験)があったが、
トレセンに選ばれるくらいの実績はあったので、
難なく合格することができた。
さてここからは中学校時代の話である。
中学時代、僕はさらにも増して、
自分自身の『殻』に苦しめられることになる。
まずサッカーのクラブチームの話であるが、
地元でもかなりの強豪チームであったため、
上手い奴らがうじゃうじゃ集まっていた。
チームメイト皆が、
小学校では各チームのエースであり、
リーダー格の奴らだったから、
当然技術も高いし我も強いのだ。
もちろん僕も技術では負けていなかったし、
サッカーでは対等に渡り合うことができた。
しかし先ほども述べたように、僕は心の弱い人間である。
周りがこうして、自分と同じレベルで、
且つ、我の強い人間の集まる環境に放り出されると、
無意識に自分の中にバリアーを張っていた。
人見知りという性格も手伝って、
僕はチームの中で『おとなしい人間』になってしまった。
『おとなしい人間』が、
サッカーのチームの中で活躍するのは難しい。
殻に閉じこまったままの僕は、
練習では、ミスをしないように、ミスをしないように・・と恐れてやっていたし、
コーチの目線ばかりを気にしていたので、
プレーにも消極性が現れていただろう。
好きでやっていたはずのサッカーが、
いつしか練習に行くのが憂鬱なくらい、重圧を感じてしまっていた。
結局僕は中学3年間で、
一度もレギュラーになることはできなかった。
これが僕の人生で初めての挫折だと思う。
少なくともこれまでは、
勉強もスポーツも誰にも負けてこなかったので、
「自分は優れた人間だ」と信じて生きてきた。
しかし周りのレベルが上がると、
僕は自分の殻に閉じこもってしまい、何もできなかった。
ここで、
「当時の自分はめちゃくちゃ悔しかった・・」
と書きたいところだが、果たしてほんとうに悔しかっただろうか?
たしかにレギュラーになれないのは悔しかった。
けど僕は、最後の大会が終わる前にチームをやめたのだが、
当時の心境では、「もうあの重圧に耐えなくていいんだ」という、
厳しい環境から解放された安心感の方が大きかったと思う。
自分は本当に殻に閉じこもった弱い人間だ。
正直、ここまで自分の弱さを赤裸々に書くのは、
かなりの抵抗があるのだが、このまま続ける。
サッカーのことは書いた。
中学校生活は、
相変わらず人見知りではあったが、
勉強もスポーツも人並み以上だったし、
友達に困ることはなかった。
たぶん精神年齢は小学校と変わっていないと思う。(笑)
相変わらず、アウトドアで色々なとこに行き、遊びまくった。
そんなこんなで、サッカーの挫折を除いては、
順調に中学校生活を送っていた。
でも一つだけ忘れられない出来事がある。
それは音楽のテストの時間だ。
僕の中学では、
音楽では歌のテストがあり、
一人ひとり前に出て、
みんなの前で歌わなければならないのだ。
正直これは苦行でしかない。
まず僕はこれまで合唱の時間に
声を出して歌ったことは一度もない。
生まれてこの方、口パクだけで乗り越えてきた。
ただでさえ人前に出ることが苦手なのに、
歌を歌うなんてマジで無理だった。
音楽のテストが行われる1か月くらい前から、
その日のことを考えると憂鬱で死にたくなった。
今思えばちっぽけな悩みだが、
当時の僕からすれば大問題である。
そして音楽の試験当日。
僕は口パクをした。
普段声を出して歌ったことがないから、
どんなに頑張って声を出そうとしても、
出すことができなかった・・
結局、自分一人しか歌うはずもないテストなのに、
僕は最初から最後まで口パクだった。
要するに、ただの沈黙だ。伴奏だけ。
周りの人は、僕のことを滑稽だと思っただろう。
それでも、僕の出番が終わったときはホッとした。
面白いことに、
僕がこのように口パクをしたことで、
続く何人かの生徒も、
口パクだけして歌わない奴がでてきた。
正直これにはかなり救われた。
これで僕のことだけ変な目で見るやつはいなくなるだろう。
音楽の成績は悪かったが、
他の教科はテスト前にちょっと勉強すれば
簡単に良い成績を取ることができたので、
高校は偏差値60くらいの
地元ではそれなりの公立高校に進むことになる。
ここからは
高校時代について書いていくが、
まずは当時の僕の心境を説明したい。
高校へと進学した僕であるが、
僕は自分を優秀な人間だと思っていた。
プライドは相当高いものがあっただろう。
それと同時に、人見知りで
他人の前で感情を出すのは苦手だったから、
歌のテストなどがあれば、
それは僕にとって大事件であった。
そんな僕は将来について、
漠然と「自分は勉強もスポーツもできる優れた人間だ。いい大学に入って、年収1000万円を超えるような会社で働き、勝ち組として人生を生きる」という気持ちを常に持っていた。
中学ではサッカーのレギュラーにはなれなかったが、
「俺はあいつらと違って勉強もできるから、結局最後に笑うのは自分だ」と納得していた。
今思えば、実にしょっぱい人間だ。
そもそもいい大学に入るなんて
人生においてそれほど重要ではないし、
サラリーマンとしての収入には限界がある。
まあ、そんなことは
当時の自分に知る由はないので、
高校時代は一流大学に合格することが正義だと信じていた。
そして自分は将来、
勝ち組になることしか考えていなかったので、
「一流大学に合格しないことは人生の破滅」を意味していた。
そんな僕だから、
高校に入学してからはずーっと
頭の片隅に『大学受験』という
重たい課題がのしかかっていた。
『一流大学』=『人生の勝ち組』
という考え方だったから、
当然、大学受験は乗り越えなければいけない壁だ。
もちろん常にそればかり考えていた訳ではないが・・
高1の時は、
「いずれ本気で受験勉強するんだよな~」
高2の時は、
「あと1年後には、一流大学目指して勉強してるんだよな~」
という程度に悩んでいた。
ちなみに高3になるまで勉強は全くしなかった。
とまあこんなかんじで、
『勝ち組になるための大学受験』
という不安要素はありながらも、
高校生活は今まで同様、充実した日々を過ごしていた。
サッカーは高校でも続けることにした。
何の変哲もない公立高校のサッカー部であるから、けっしてレベルは高くない。
小・中とそれなりのレベルでサッカーをしてきたため、
僕はすぐに上の学年の試合に出るようになり、
高3で部活を引退するまで、
ずっとチームの中心として活躍することができた。
しかし忘れてはいけない。
僕はこのように、
周りが自分よりレベルの低い環境なら輝くことができるが、
一転して、ハイレベルな環境、
激しい競争の中に入り込めば、
自分の殻を破れない僕はすぐに潰されてしまうだろう。
中学時代の挫折により、
この自分の弱さは薄々自覚していた。
それと同時に「ポテンシャルは他の人間より高い」という自信も捨ててはいなかった。
こういった感じで、
サッカー部では目立っていたし、
怒られない程度に髪を染めたり、
パーマをかけたりしてチャラけていたから、
私生活は友達に囲まれて楽しく過ごしていた。
相変わらず人前で話すのが
苦手というコンプレックスはあったが、
それでも普通に彼女はできたし、
何不自由なく生活していたと思う。
そんな高校生活で、
あるちょっとした事件があった。
高3になってすぐの春に行われた三者面談である。
いよいよ高3、受験生であるから、
担任、親、自分とで進路について本気で見据える時間だ。
この時、僕の成績は、
学年320人中で、300番台という最下層にいた。
さすがに2年間まったく
勉強してこなかった自分が、
いい成績を取れるほど高校の勉強は甘くない。
それでも僕は、
一流大学に合格する未来しか想像していなかった。
プライドの高い自分が、
当時の自分の価値観で言うところの
三流・四流の○○工業大学などに
入学するのはありえない話だったのである。
しかし、僕がいくらこのような野望を抱いていようとも、
周りから見れば、成績最下層の僕が一流大学に合格するというのは夢のまた夢である。
担任は今からでも頑張って勉強して、
○○工業大学(偏差値50以下)に
合格できればいい方だと考えていたし、
親は何とか国立大学に入ってくれれば・・という感じだった。
僕の高校のレベルは、
地域でトップの大学(旧帝大の一つ)に、
現役で10名くらい合格すればよし。というレベルだ。
少なくとも、
学年のトップ10に入らなければ、
一流大学に合格するのは不可能である。
僕は、この三者面談で少しショックを受けた。
すでに誰も僕に期待はしていなかったからだ。
「お前はもう手遅れだ」と大人たちは考えていた。
でも僕はまだ本気を出していない。
スタートラインにすら立っていないのである。
それなのにもう無理だと決めつけるのは早すぎではないだろうか。
プライドの高い僕にとって、
この状況にはメラメラと沸き立つものがあった。
ただこの状況で、
「自分は一流大学を目指している」と
言えるほどの自信はなかったのも事実である。
実は僕が一流大学に
こだわる理由はもう一つあって、それは兄の存在だ。
兄は3つ歳上で、
僕と同じ高校の卒業生である。
そして兄は、一流大学に現役合格した。
要するに高校ではトップレベルの成績だったということだ。
兄は、僕と違い、
高1高2の頃からまじめに
学年のトップの方の成績を維持していた。
当然のごとく先生方の期待を一身に受け、
見事そのまま一流大学合格の切符を手にした。
一流大学に合格するほとんどの人は、
コツコツと良い成績をキープできる、
兄のような模範生である。
僕はその対照というわけだ。
三者面談を終え、
部活も高3の6月には引退する時期となり、
いよいよ僕はここから本気で受験モードに入った。
受験勉強開始。
簡単に僕の勉強法を説明すると、
まず、ペンをほとんど持たない。
教科書、参考書、問題集を何度も読みまくる。
理解できるまで読みまくる。
だから僕の勉強場所は、
自分の部屋のベッドである。(笑)
椅子に座るのは疲れるので、
ほとんどベッドから動かずに楽な姿勢で勉強した。
もちろん細かい勉強法は色々あるが、
長くなるのでここでは書かない。
興味のある方は連絡してほしい。
そして受験勉強の結果を言うと、
成績はメキメキと伸びた。
11月くらいには、
僕はクラスで『一流大学を目指す組』みたいな扱いになっていた。
模試の成績は学年でもトップクラスだった。
半年前までは
誰も期待していなかったのに、
結果で示した途端、
周りは都合よく僕に期待するようになった。
そしてこの勢いは止まることなく、
僕はついに念願の一流大学の現役合格を手にした。
あっさり書いたけど、
受験勉強はしんどかったし、
サボらず毎日勉強したから合格できた。
正直、僕は安心した。
勝ち組になりたいという意識が
人一倍強かった僕にとって、
一流大学合格はそれを一気に現実のものに近づけたと思ったからだ。
さて次はいよいよ、
学歴は正義!大企業に就職することが勝ち組だ!と考えていた僕が、
価値観を崩壊させ、
学歴も、就職の道さえも捨てた、大学時代の話である。
晴れて一流大学に入学した僕は、
気持ち的にはゆとりを持って生活をしていた。
もともと勉強をまじめに
やってきた人間ではないから、
授業はくそつまらなかったけど、
単位さえ取ればOKっていう大学の環境は、
自分にとって居心地がよかった。
あとはバイトもたくさんしたし、
学科の同期で遊んだり楽しい大学生活だった。
しかしマジで何の生産性もない生活だったのは事実である。
時間は莫大にあったのだから、
この時間を何か一つのことに集中していれば、
かなり大きなものを得ることができただろう。
まあそれでも僕はこの生活に満足していた。
なぜなら
一流大学という学歴さえあれば、
あとはそれなりの大企業に入って、
勝ち組の道は約束されていると思ったからだ。
とりあえず僕は理系なので、
大学卒業後も大学院までは進学して、
就職しようというのはイメージしていた。
そんな僕に、大学4年の夏、人生の転機が訪れる。
ある日、僕は自宅で
ゴロゴロとスマホをいじっていたとき、
『アフィリエイト』という言葉を見つけた。
どうやらアフィリエイトとは、
ネットビジネスの一種らしい。
『ネットでお金を稼ぐ』
という言葉に興味を引かれた僕は、
アフィリエイトについて検索して調べまくった。
そしてわかったことは、
・アフィリエイトでは月100万以上稼ぐことができる
・一度稼ぐ仕組みさえ出来てしまえば、寝ていても不労収入が入ってくる
・リスク0で、副業など片手間で始められる
ということだった。
正直、胡散臭いという気持ちがなかったわけではないが、
アフィリエイトというビジネスモデルを考えてみれば、詐欺とかではないなと思った。
世の中でもそれなりに知名度があるみたいだし、
副業でやって実際にお小遣い程度で稼いでいる人がいるということは、
別にそんな怪しいものではないなと思った。
ただ果たして自分がそれを実践して、
本当に稼げるようになるかは別の話だと思ったが・・
それでも
『月収100万円、不労収入』という言葉に魅了され、
アフィリエイトをやってみようという決意を固めていった。
せっかくやる気が出たんだけど、
ちょっとタイミングが悪くて、
大学4年の時期は卒論研究が本格化して、
なかなかネットビジネスに
時間をかけることができなかった。
結果として大学4年では、
情報を収集する時間に費やすことになる。
そして大学4年のある日、
僕はある運命的な出会いを果たした。
その日は夏休み中で、
昼夜逆転していた僕は、
深夜3時だというのに目はパッチリと覚めていて、
だらだらとネットサーフィンしていた。
そしてふと、ある人物が目にとまった。
その人物は、大学生にして
なんと月収500万円を稼いでいるというのだ。
「月収500万円!?どうせ嘘だろ~」
と最初は疑っていたのだが、
彼はYoutubeでネットビジネスの
情報をしゃべりまくっていたので、
僕はとりあえず彼の動画を視聴することにした、
結果・・
彼の発する言葉には説得力があったし、
『クリックするだけで100万円稼げます』
というような甘い言葉で消費者を引き寄せるような輩とは明らかに違った。
そして彼は、衝撃的な言葉を発した。
「サラリーマンとして会社に雇われて働くことに、真の自由はない」
この言葉は僕にとって受け入れがたい事実だった。
だって僕が22年間生きてきた意味は、
いい会社に入って、人並み以上の給料をもらう勝ち組になること。
そのために受験勉強もしたし、
難関大学(旧帝大)に合格することもできた。
はっきりいってこのとき僕は、
「いやいやいや、この人はいったい何を言ってるんだ。年収1000万越えのサラリーマンが勝ち組じゃないわけないだろう!冗談も大概にしてくれ」とおもった。
そもそも、
ネット上の顔の見えない人物の情報を信用するのもおかしな話だ。
たぶん普通の多くの人は、まともに相手にしないだろう。
だが僕は、
彼の言葉を100%無視することはできなかった。
なぜなら彼の言ってることは、
耳を塞ぎたくなるようなことだったけど、
受け入れざるを得ないような根拠もしっかりとあったからだ。
冷静に考えて、サラリーマン、
つまり会社に雇われて働くということは、
どんなホワイト企業であろうと、
朝の8時~9時には出社し、
定時17時に上がったとしても、
一日に8時間以上の労働をすることになる。
実際は、定時に上がることは
ほとんどないと思うから、
実質の労働時間はもっと長くなる。
それが最低でも週5日は繰り返される。
さらに恐ろしいことに、
この労働生活は、定年するまで40年間続くのだ。
僕はこの現実を、
「まあ、そういうもんだからしょうがない」と受け入れていた。
人生の大半の時間は
会社に捧げることになるが、
そのかわりに給料をもらうことができる。
それに自分の仕事にやりがいがあれば、
働くのは苦にならないさ。
とはいえだ・・
ネットビジネスで
彼のように月収100万円以上を稼ぎ出し、
さらに365日汗水たらして働かずに、
毎日自分のやりたいことをして暮らせる。
そんな人間が現実に存在することは、僕の中で革命的だった。
世の中には2種類の人間がいる。
『雇う側の人間』と『雇われる側の人間』だ。
『雇う側の人間』、つまり経営者は、
自らが、お金を稼ぐ『仕組み』を作ることになる。
例えば、おもちゃ屋さんを例に考えると、
おもちゃ屋さんは、子供たちにおもちゃを売れば売るだけ、儲けが出る。
経営者は、
このおもちゃが多く売れた分だけの利益をすべて自分のものにできる。
つまりおもちゃを売る『仕組み』というものを作り、
この『仕組み』を大きくすることで、経営者の収入は無限大なのだ。
それに対して、
『雇われる側の人間』、サラリーマンなどは、
この『仕組み』の中の一部でしかない。
どういうことかというと、
これもおもちゃ屋さんを例にしてみると、
『雇われる側の人間』=
おもちゃ屋さんのレジ打ちをしている人、
お客の目を引くような広告を考える人、
新商品のおもちゃを開発する人、
などなど様々であるが、
要するに営業部、開発部、現場などこれらすべては、
経営者が作った『仕組み』という歯車を回す一部でしかないのだ。
『仕組み』を回すために、時間と労働力を提供して、
その対価として、サラリー(給料)を得ることができる。
しかし雇われる側の人間は、
自らは『仕組み』を所有していないから、
収入の上限は働いた分が限界。
会社の給料が30万円だったら30万円、
それ以上のお金を稼ぐことは、どうあがいても無理だ。
僕は、この真理をはじめて聞いた時、
「たしかに言ってることは間違ってないけど、経営者なんて誰でも簡単になれるわけじゃないだろう。それに経営者は赤字になったら人生詰むじゃん・・」と考えた。
だが、ここで驚きの事実が発覚する。
“ネットビジネスなら誰でもローリスクで経営者になることができる!”
ネットビジネスというのは、
ブログ、YouTube、Twitterなど、
ネット上に自分のメディアを作って、
自分の伝えたい情報、売りたい商品を紹介するものだ。
例えば、アフィリエイトというものなら、
自分のブログから、クレジットカードを申し込んでもらえれば、
その報酬として5000円くらいのお金がもらえる。
他にも、アマゾンや楽天の商品は
すべてアフィリエイトすることができる。
自分のブログで好きな商品を紹介して、
ブログのリンクから商品を購入すれば、
その何%かを報酬としてもらえる。
つまりこれは・・
先ほど言った、経営者がやっていること、
お金を稼ぐ『仕組み』を所有することなのだ!
ネットビジネスの凄いところは、
これらがすべて、たった一人でもできるということだ。
ブログを作るのに人を雇う必要はない。
実際ネットビジネスの世界では、
たった一人で、たった一台のパソコンで、
月収100万以上を稼ぐひとが山ほどいる
また、経営するのにリスクはほぼ0といえる。
なぜなら、
必要な経費はサーバー代くらいで、
年間で数万円もかからないだろう。
「失敗した」「成果が出ない」からといって、失うものは何もないのだ。
僕は、このネットビジネスの世界に大きな可能性を感じた。
「月収100万、毎日遊んで暮らせる。
これはもう勝ち組の中の勝ち組じゃないか!!!!」
もはや僕の価値観は崩壊寸前だった。
これまで僕が勝ち組だと信じていた『エリートサラリーマン』という人生は、
所詮『自分』という狭い世界の中で作られた価値観でしかなかった。
僕の価値観を変えてくれた、
この月収500万円を稼ぐ大学生、
僕はこの人についていこうと決めた。
彼のYouTube、ブログ、メルマガは徹底的にフォローした。
それはもうストーカーのように・・(笑)
彼の発する情報は一言一句聞き漏らさず、全てを自分の血肉とした。
そして、僕は最初に、
ある分野の『見積もりサイト』を作ってみた。
最初は本当にわかんないことだらけ。
「そもそもサイトって素人が作れるのか?」
「ドメイン?サーバー?なんじゃそりゃあ?」
まあそれでも何とかサイトを立ち上げた。
それでも、問題は次から次とやってくる。
「あれ、記事ってどうやって書けばいいの?」
「画像はどうやって挿入するんだよおおお」
もうね、最初はすべてが謎すぎる。
けど、やってくうちに慣れるのが面白いところ。(笑)
結局わかんないことは、調べれば答えが出てくる。
ちょっとGoogleで検索してやれば、
今の時代、わからないことってそうそうない。
たしかに最初は時間がかかる。
でも、一つずつ問題を解決していけば、気づけばできるようになっていた。
実際、ウェブサイトやブログを作るっていうのは、
どんなパソコン音痴でも、1か月かからずにできると思う。
こんな感じで、
見積もりサイトを作ってから3か月後・・
ポチポチっと管理画面を覗いてみると、
なんと僕のサイトから、1件成約が取れていた。
僕は人生で初めて、
インターネットビジネスで8000円という金額を稼いだのだ。
嬉しくて嬉しくてたまらずに、
そのとき深夜だったにも関わらず、
とりあえず外に出て家の近くを歩き回った。(笑)
その後、
僕は、さらに稼げるサイトを作っていって、
収入もどんどん増えていった。
なぜ僕は成果を出すことができたのか。
それは、『成功者の思考を徹底的にインストールしたから』
たったこれだけに過ぎない。
先ほどの月収500万の大学生、
僕は、彼の思考法や考え方を徹底的に真似した。
・労働者は経営者に勝てない。
・稼ぐためには、素直に情報を聞き入れること。
・自己流はやめろ。すでに成功している人の真似をしろ。
・できないと考える前に、とりあえずやれ。
・自分の『無知』を知れ。糞みたいなプライドは捨てろ。
何から何まで、彼の思考と同じに近づくようにした。
「精神論なんて興味ねえ」と考えるより、
彼の見てる世界と同じ世界をみることで、成功はぐんっと近づいた。
思考(マインド)さえできてしまえば、
自然とそれに伴った行動をするのである。
こうして僕は、
自分のビジネスを作っていくという、
経営者の道に入りこんだ。
現在は月収100万円を目指している。
ビジネスをするのに
才能や人脈なんてまったく必要なかったし、
本当に誰でもできると思った。
大事なのは、
自分の今ある価値観をぶっ壊し、
新しい世界を受け入れる勇気を持つこと、
ただそれだけだった。
昔の僕を思い出してみると、
なんとも実にしょっぱい男だ。
自分は他人より優れていると信じ、
一流大学、大企業に入ることだけを考えていた。
とにかく『勝ち組になりたい』という気持ちは誰よりも強かった。
そんなプライドの塊みたいな人間だったけど、
過去に何度も自分の『弱さ』を自覚することもあった。
本当は弱い人間だったからこそ、
『勝ち組になりたい』という執着も大きかったのだろう。
しかし幸運にも、
ネットビジネスの世界を知ったことで
『金銭的自由』『時間的自由』
この2つを手にする人生を選択できた。
毎日好きな時間に起きて、
飽きるまで映画観賞したり、
ふらっと旅に出て、温泉で癒されることもできる。
食事だって、
異次元なくらい高級な肉を食べたり・・
『お金』と『時間』が自由に使える人生、
これはネットビジネスを知らなければめぐり合うことはできなかった。
今は毎日が刺激的で楽しすぎる。
最後に、
ここまで読んでいただいた読者の方に心から感謝します。
こんな超長いレポートを
最後まで読んでくれて本当に嬉しいです。
このレポートでは、
僕の正直な気持ちをありのまま書き記しました。
過去の思い出したくないような経験とか、
自分の弱さに向き合うのは、正直めちゃくちゃ辛かったです。
でも自分と向き合う、いい機会にもなりました。
ここでも書いた通り、
僕は本当に弱い人間だったけど、
ネットビジネスと出会って、
素晴らしい世界を知ることができました。
自分をさらけ出すのは辛かったですが、
このレポートを読んだ方が、何か一つでも感じ取ってくれることがあれば、
とても嬉しく思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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