ただ、平凡な幸せを手に入れたいだけ…
結婚相談所に入会する女性は大きく二つに分けられる。
大金持ちと結婚したいがゆえに入会した
目をギラつかせ息荒く
獲物を狙うハンターのような女性
それから奈々子のように
なかなか出逢いがなく
ただ、分かち合える異性と出会い、平凡でもいい、暖かい家庭を持ちたい
こんなささやかな夢のために結婚相談所に入会する女性だ。
このあらゆることが多様化し選択肢あふれる現代社会で
なぜ、たった1人の運命の異性に出会えないのか。。。
出会いが多すぎるが故に、逆に目移りしてしまい
1つ1つの出会いに対し有り難みがないせいか
いや、そもそも人と人との関係が希薄になり
一対一で向き合うことを煩わしいと感じる人間が増えたせいか
私が思うに奈々子の場合は、いずれも当てはまらない気がする。
彼女はずっと探し求めていたのではないか。
純粋な気持ちで…
でも家庭の事情と彼女の引っ込み思案な性格のせいで
縁がなかったのだ。
これは後に、聞いた余談ではあるが
奈々子は短大時代、年上の社会人と付き合ったことがあったそうだ。
山岳部サークルのOBだった彼とは、何度か顔を合わせるうちに
少しずつ親しくなり、彼の方から交際を申し込んできた。
年上の彼は、奈々子にはとても大人に見えた。
実際に行きつけの店に連れて行ってもらったこともあった。
そこには大勢の仲間が集っていた。
大人しい奈々子はなかなか馴染めなかったが
彼の恋人でいられることが誇らしかった。
しかし、そんな彼とも1年も満たない間に別れた。
彼に好きな人ができたのだ。
すでに彼との将来を夢見ていた奈々子にとって
それは大きなショックだったが
少なからず自分にも原因はあると感じていたらしい。
というのも忙しい母に代わって、家事やまだ幼なかった弟妹の面倒で
なかなか彼と会う時間を作れなかったから。
以来、奈々子は特定の恋人を作ることはなかったそうだ。
それから短大を出て社会に出て
めまぐるしく過ぎる日々を
仕事と母の手伝いに費やしてきた。
時の流れは刻一刻と過ぎ
周りは何も変わらないようで、ゆるやかだが着実に変化していた。
友人たちが次々に結婚していく。
年賀状には去年生まれた子供の写真。
短大時代、奈々子と同様に奥手なタイプだった子達まで…
妹さえも、恋人を家に連れてくるような年頃になった。
気がつけば、自分だけが取り残されていた。
でも、もう大丈夫だ。
私は、やっと
自分の幸せのために生きられるようになったんだもの。
奈々子はいつの間にか夜、パソコンに向かうのが習慣になっていた。
マウスを操作する右手がほんの少し緊張する。
画面が切り替わり
マイページという表示と共に
奈々子はため息をついた。
またダメだった…
2週間前から申し込んでいる5人の男性からの返事は一つも来ていなかった。
これで何人目だろう…
結婚相談所に入会して3ヶ月
月に10人ペースでお見合いを申し込んでいるが
相手側からはウンともスンとも言われていない。
システム上、2週間以内に返事はもらえなければ
お断りされたことになるらしい。
ということは、入会して以来30人の男性から
会うことすら拒絶されたということだ。
決して高望みはしていないはずだ。
相手への希望条件は入会時に
社長のアドバイスを聞きながら決めた。
自分が短大卒なので、相手は大卒以上
年齢は同じ歳くらいから10歳上まで。
見た目や身長は、多少好みはあるけれど
イケメンや長身ばかり選んでいるつもりはない。
年収は、将来安定して暮らしを望んでいるので
600万円以上とした。
本当はここまで上げなくてもよかったのだが
例の女社長から
「うちの会員男性はそうそうたる方ばかり!
年収1000万円なんて普通よ。それ以上だってゾロゾロいるわ!」
と言われたからだ。
二言目には
女の人生、お金は大事よ〜〜!と言われ
「うちならそういうセレブとの結婚も
現実のものになるわ!」
ドヤ顔で息巻く。
そんな調子に合わせていたら
600万円など大した金額でもないようにさえ思えて来たのだ。
もっと条件を広げるべきなのかな…
奈々子は、再びマウスを動かした。
すると今度はお見合いを申し込んできた
男性の写真付きプロフィールが出てきた。
画面に映し出された数人の男性たちに一通り目を通した。
正直言って、パッと見て好きになれそうな異性はいない。
学歴と年収が条件を満たしていても、15歳以上年が離れていたり
住んでいるところがかなり遠距離だったり
今一つ会う気になれないのだった。
奈々子は、眼鏡をかけた太めの男性が歯を見せて笑っている画像を
じっと見つめた。
やはり、一生愛して添い遂げられる人ではないような気がする。
奈々子はその画面を閉じた。
私、ホントにココで見つけることができるんだろうか…
いや、すぐに進展を望んじゃいけない。
もう少し様子を見よう
しょんぼりと肩を落としながら、奈々子は
今日の化粧室での出来事を思い出した。
社内では派遣チームは5人単位で動く。
グループは仕事以外でお昼休みなども一緒にいることが多かった。
1人の若い主婦を除いて全員独身だった。
ただし、30代は奈々子だけ、
後の4人は20代。
皆、それぞれに可愛らしくイマドキの女の子といった感じ
髪を明るく染め、付けまつげにネイル
黒髪をいつも束ねているだけの奈々子はどこか浮いていた。
しかも独身の彼女たちは皆、彼氏がいるのだ。
みんなでいても彼氏の話題が頻繁に出る。
「彼氏とハワイ行くの?!いいなあ!」
とか
「今度それぞれ彼氏連れてきて飲もうよ!」
なんて話題まで。
最近は、うち1人が結婚することになり
その話題で持ちきりだ。
結婚の決まった子はまだ24歳だ。
今日も昼休みの化粧直し中
式の準備について話が盛り上がっていた。
奈々子を除くと最年長の28歳は、羨ましそうに24歳を見た。
「いいなあ、肌なんかピチピチでさ、やっぱ花嫁は20代のうちにだよね
私なんか、もうリミット目前だよ」
すると残りの子達は、私の方を見てから気まずそうに目を逸らした。
そう、ここに32歳女子がいることを忘れないでほしい…
…と言っても無駄だよね
必ず33歳の誕生日までには、結婚を決めたいと思っていた。
奈々子は相談所にメールを送った。
無料の個人カウンセリングの予約。
入会時、予約が殺到してなかなかできないと
聞いていた割にはすんなり予約できた。
カウンセリング当日
4ヶ月ぶりにゴージャスなサロンの一角に奈々子はいた。
担当カウンセラーと名乗る中年女性は
実に淡々とした対応で話を進める。
入会時、あれだけ熱弁を繰り広げたド派手女社長は姿を見せなかった。
カウンセラーに尋ねると
「社長は取材のため終日戻られません」
と、やはり抑揚のない淡々とした口調で答えた。
どうすればお見合いできるのか、アドバイスが欲しかったのだが
形式的な言い回しばかりで、期待する答えはもらえなかった。
彼女はこう繰り返した。
「たまたま、あなたが選んだ会員男性に見る目がないだけでしょう。
そのうち、あなたの良さを見抜く人がきっと現れるはずです。
なんなら、申し込んでいただいてる方と会ってみたらいかがです?
お見合いに慣れておくことも大切です。
会ってみなくてはその人のことは何一つ分かりませんから」
彼女は虚ろな目のまま
口元だけうっすらと微笑みを作った。
奈々子は、そう言われても素直に応じることができないのだった。
写真などの情報を見た段階で何も感じない人を
会って好きになれるとは到底思えないのだ。
しかもお見合い料は5000円と安くはない。
奈々子は、もう少し諦めず、今まで通り申し込むことにした。
それからまた1ヶ月過ぎたが
事態は変わらなかった。
奈々子は不安にかられていた。
検索して条件に合う男性はもうほとんど断られた。
できることはやったつもりだった。
相談所の有料セミナーに参加したり
婚活の本を買ったり
気がつけば寝ても覚めても婚活のことを考えていた。
電車に乗っていても、男性の薬指にばかり視線が行ってしまう。
一方で仕事では、例の同僚の1人が寿退社した後も
上層部が人員を増やすことなく、チームは人手不足状態だった。
派遣社員である奈々子も遅くまで残業させられる。
そのうち嫌気がさしたのか、また1人辞めていき
仕事はますます激務になっていくばかりだった。
そうこうしているうちにあっという間に季節が変わり
新しい年を迎えた。
相変わらずパソコンは開くものの
徐々に諦めの気持ちが、奈々子の中に浸透していった。
33歳の誕生日が迫ったある日
奈々子は意を決して
申し込んできた会員のうちの1人とお見合いをした。
条件も悪くない人で
見た目も優しそうだった。
歳も35歳と近い。
当日、早めに着いた一流ホテルの化粧室で奈々子は
鏡に向かい化粧の仕上げをしていた。
何しろ初めてにお見合いだ。
緊張と焦りで上手くいかず、
手が震えマスカラが下まぶたにベッタリとついてしまった。
焦ってこすると、パンダ目になった。
どうしよう…
あと数分で待ち合わせ場所へ行かなきゃならないのに
奈々子は思いきってメイクを落とした。
まだスッピンの方がマシだ。
奈々子は口紅だけ塗って化粧室を出た。
相手に男性は小柄で銀縁のメガネをかけていた。
写真より老けていて神経質そうだったが
それはお互い様だろう。
彼の方だって、奈々子を一目見た瞬間
目に落胆の文字が浮かんだような気がした。
会って数分後にこう言われた。
「いや、なんか写真と雰囲気違いますよね」
ホテルのラウンジでその男性とは1時間くらい話した。
その人はお見合い慣れしてるのか
それほど緊張もしてなさそうだった。
政治や経済の話と、自分の地元の話をしていた。
奈々子に語りかけるというよりも
ブツブツと呪文を唱え、自問自答しているようにも見えた。
滑舌のあまりよくない人なので、よく聞こえない上に
緊張で何を話していいか分からず
彼の話に相槌を打つのが精一杯だった。
彼が一つ話し終えるたび沈黙が訪れた。
とにかく落ち着かないままお見合いは終了した。
最後に彼は少し苦笑いしながらこう言った。
「大人しい方なんですね」
お礼を言って別れ
相手の姿が雑踏に消えて見えなくなると
奈々子はその場にしゃがみこみたいほどだった。
お見合いってこんなに疲れるものなんだ…
奈々子は帰宅してから、少し迷いパソコンを開いた。
お見合いの返事はなるべくその日のうちにと
担当カウンセラーから言われていた。
奈々子は昼間の男性の姿を思い浮かべた。
すでにもう、どんな顔だったかすら霞んでしまっていた。
そんな男性と一生添い遂げたいとまでは、どうしても思えないが
もう一度会ってみたらまた印象が変わるかもしれない
その旨を相談所にメールしてその日は眠りについた。
しかし次はなかった。
その男性も、またその日のうちに担当者に返事を送ってきたそうだ。
ただし、お断りの返事としてだ。
奈々子が無理言って相談所側に理由を問いただすと
「写真と違って地味、フィーリングが合わない」
男性会員はそう答えたそうだ。
写真なんて、どの女性会員だってみんな
実物と違うのに…
ああ やっぱりスッピンがよくなかったのかな…
奈々子は、すっかり落ち込んでしまった。
会社でも、家族の中でもあまり話さなくなり
休日も一日中家でパソコンに向かって、あまり外に出なくなった。
相変わらず申し込んでも申し込んでも
お見合い成立にはならなかった。
それでも時の流れは容赦なく過ぎ
気がつけば
奈々子は33歳になっていた。
そしてこの頃から
奈々子は自分の中で何かが音を立てて壊れていくのを
感じるようになるのだった。