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16/11/1

Life goes on, Chapter 3-2

Image by Olia Gozha

 ウギャア、ホギャア、ウェェェェーアアアアァァァ!

何と表せばいいのかよくわからないが、とにかく子どもが生まれて初めの1年、聞こえた音の全てである(笑)。


まあ、なんというか、赤ちゃんは泣くのが仕事、とは聞いていたが、よく泣く赤ちゃんだった。

鳴き声が耳の中でこだまのように鳴り響いて眠れなかったり、幻聴のように聞こえ続けていて、お風呂にも入れないこともあった。

抱っこしてもダメ、おっぱいあげてもダメ、外に連れ出してもダメ、おむつ替えてもダメ・・・。

「赤ちゃんが泣きやません」という理由で、ER(救急)に行ったことが、実は2回ある。

ちょっと精神状態がおかしくなっていたんだと、今では思える。


で、その間、旦那さんはどこにいて何をしてたのさ?と思う方もいらっしゃると思う。

旦那さんは、娘が生まれて1か月もしないうちに、戦地へと赴くことになった。

そう、彼は軍人である。

どちらかというと、前線に出る可能性が高い部隊だったので、旦那がいない7か月間は、そりゃあ生きた心地がしなかった。

慣れない土地で新生児抱えて未亡人になるなんて、そんなの嫌よ!と。

嫌だろうが嫌じゃなかろうが、起こる時は起こるんだけれども。


CNNを毎日見ながら、現地でおかしなことが起こってないか確認し、又彼の部隊の後方支援的な意味でアメリカに残っていた同じ軍の人々から、本当にたくさん助けてもらったし、私の隣人にもたくさん助けてもらった。


悪いことばかりじゃなかったよ。旦那さんがずっと一緒だったら、甘えて学ぼうともしなかったであろうこと、私は一人になったせいで強制的に学ばざるを得なかったから。


同じく軍人として働く人、そしてその家族のために仕事をしたい、と漠然と思うようになったのも、この頃からかもしれない。

そして、私は旦那に頼ることなく、全てを自分でやっていこう、という癖がついた。癖がついた、というよりは、独身時代から続くそういった気性がますます強められた、というべきか。


アメリカでの日々はとにかく乳飲み子に振り回されて過ぎていく。

振り回されて、と表現する自分をいつも責めた。

周りを見ると、皆楽しそうに嬉しそうに赤ちゃんを抱いている。

私は・・・・赤ちゃんを泣き止ませることもできない。

ひどい無力感で人とも出会いたくないし、買い物に出かけることすら億劫だった。育児を楽しめない自分は母親として女性として、欠陥品のように思えた。


だからこそ、躍起になって責任感と義務感だけで世話をしていた。だから、楽しくもなんともなかった。

娘には申し訳ないと思う。可愛い、いい子なのに、きっと。




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