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16/10/19

ウツで10代のうちに人生を壊され、道路に寝そべり、線路に寝そべり、もう二度と夢を見ないと決意したウツ男が、あることを意識するだけで 「180度変わった」と言われるまで成長したハイジャンプストーリー part5 ~神様は唯一幸せになれない人間を作った~

Image by Olia Gozha


部活をやっているときでした。



シュートを打った際、

「ピキっ」と腰に電撃が走りました。



激痛が全身を巡らせ、まともに歩けなくなりました。




そのまま近くの整体院で診てもらうと


『ぎっくり腰』


と診断されました。



ビックリです。




それまでぎっくり腰は

なにか重たいものを持った際になるものだと思っていましたが

ただのジャンプでもなるんですね。




先生はこう言いました。



『しばらく絶対安静にしてください』




「しばらくってどれくらいですか?」




『1、 2ヶ月ですね』






・・・・・





・・・・・





・・・・・







神様はどこまで僕をどん底に落とすんだ・・・


これだけどん底に落ちているのに

僕の大好きなバスケまでも奪ってしまうのか・・・


なんてひどいんだ・・・




あまりにも不幸過ぎる・・


僕が一体なにをしたっていうんだ・・








もう何もかも、意味が分かりませんでした。




バスケもできなくなり

とうとう生きている意味を失くしました。




あまりにもバスケができなくなるという

現実は僕にとっては大きすぎました。




神様から


「もう死になさい」


と言われているようでした。




荒れ狂う気力さえなくなり、

ただうずくまり、ただ泣きまくる日々を過ごしました。






更に、ぎっくり腰から僕はヘルニアになりました。




腰が機能しないと本当に何も身体が動きませんでした。




何もしない日々がずっと続きました。


なんにもない、なんにもできない、ずっと同じ時間。




バスケも奪われ、僕に残されたのは

ただ「辛い」だけの時間でした。













そんなとき、

お母さんがヘルニアのレーザー手術というものを

探してきました。


なんでも、ヘルニアにはレーザー手術が一番いいという話だったので

せめてバスケだけはしたかったので受けてみることにしました。






この時の僕の目標は、部活の引退が近かったので

『最後の大会までがんばる』

ということでした。


部活を引退したら学校も辞めようと決めていました。






ただ、手術費用42万円・・・。




また親に迷惑をかけてしまいました。









このレーザー手術も残酷な手術でした。


本当に今でも不思議なのですが、

レーザーが椎間板に入っていく様子を画面で見せられました。




「ギグッギグッ」

と音を立てて、レーザーが腰に入っていきます。




強烈に痛かったです。





身体の中から

「ギグッギグッ」

という音が鳴るんです。





本当になんで画面を見なきゃいけなかったのか

分かりませんでしたが、

無事手術は終わりました。




でも、手術前とあまり変わらず一体何が良くなったのか

分かりませんでしたが

一応、少しずつバスケができるようになりました。




それが何より嬉しかったです。






部活のみんなに迷惑をかけた分

これからはがんばらなきゃいけないなと

思いました。














ここでがんばれたらどれだけ良かったでしょうか。






少しは容態も良くなっていたかもしれません。










奈落の果てなんてまだ序の口でした。




もっともっと深く、もっともっと暗く、

二度と上がってこれない閉ざされた闇の底がまだありました・・・。









この時点で僕は、学校を1ヶ月半以上

休んでいたので留年は確定していました。




でも、そんなのはもうどうでもよく、

最後の大会でコートに立ち続けるまでがんばると決めていました。






でも、思いがけないところに落とし穴がありました。






ある日、部活をしているときに顧問に呼び出され、

衝撃なことを言われました。




「もっと早くに調べれば良かったんだけど・・

 高校のルールで留年した人は

 最後の大会出れないそうなんだ」







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





・・・・・・・・・・・・・




・・・・・・・・・・




・・・・・・





全身の力が抜け、その場で崩れました。




すべてが崩壊した瞬間でした。










今までのがんばりがすべて無意味になり

何のためにがんばってきたのか分からなくなりました。






もしかしたらなんとかがんばれば

学校に戻れたかもしれません。


最後の大会に出るために

もうちょっとがんばれたかもしれません。








でも、もう僕は




疲れました。








もう何もかもどうでも良くなったんです。


本当にどうでもよかったんです。


生きるのもがんばるのももう全部やめようと思いました。








神様は世の中に一人だけ不幸になる人間を作ったんだ・・。


でなきゃ説明できない・・。








17歳にはあまりにも残酷で

受け止めることなんてできませんでした。










僕は部活にも行かなくなりました。






行けなくなりました。






ひたすら苦しみました。






1時間半ずっと泣きわめき

部屋の壁に穴を開けたこともあります。






部活では間違いなく一番がんばっていた。




あんなにがんばっていた。




すべてを捧げた。




誰よりも努力してきたのに

最後の大会はユニフォームすら着れないなんて・・・。




そんな生殺しにされるくらいなら

もうバスケなんて見ない方がいい。






ウツになった自分を恨みました。




ウツになって僕はすべてを奪われました。








薬の量も自然と増えていき、

突発で現れる巨大な不安に襲われる回数も増えていきました。





精神も肉体も崩壊。




いつ死んでもよかった。




もう何もいらなかった。














中学時代、親友のシュンがどれだけ辛かったか分かりました。


本当の意味で分かりました。












「入院したい」

僕は親にそう言いました。




もうすべてを見るのが辛かったのです。

すべてから断ち切りたいと思いました。




お父さんが運転をし、お母さんが助手席に乗り、

病院を探しました。




反対をしなかった親は本当にすごいと思います。



今思えば「入院したい」なんて本当にひどい言葉です。


親としては聞きたくなかった言葉だと思います。


それでも、探してくれました。




でも、現実はそう甘くはなく、

ウツで入院したいという旨を病院に伝えても

どこも受け入れてくれませんでした。





結局僕は、入院することができませんでした。















僕は、自分を救う方法は


【自分を赦すこと】


だと分かっていました。




でも赦すことなんてできなくて


自分を

責めて責めて責めて責めて責めて責める

しかありませんでした。






胃に穴が開くくらい苦しんで

いっぱい自分を傷付けて

もう二度と光が差し込まない闇へ消えていこうとしました。




また光が見えるのが辛かったからです。




また期待して、また落とされて・・・




もう疲れました。




どうせまた落とされるなら


このまま光が見えない方がよかったのです・・・。








でも、苦しみに終わりはありませんでした。


辛さに底はありませんでした。





いつか終わると思っていた

『苦しみ』

『辛さ』




いつまでも続くことに気付きました。








どれだけ苦しんでも


どれだけ辛くても


終わることはありませんでした。




終わるとしたら

苦しまなくても、辛くならなくてもいい道を

選ぶしかありません。




つまり、闇を抜けるしか方法はありませんでした。












カウンセリングの先生が言った




「自分を赦すことができたら一番いいのにね」

という言葉がずっと頭に残っていました。








「自分を赦す」








自分を赦すことが気持ち悪いと思っていました。




人をたくさん巻き込んで

人をたくさん傷付けて

人にたくさん迷惑をかけてきて

赦すことなんてできるわけがありませんでした。






苦しむことが罪の償いだと思っていました。




でも、もう限界でした。




もうたくさん苦しんで、

たくさん辛い思いをしました。




そこで僕は初めて、

「そろそろもういいんじゃないか」と思い始めました。









赦すのではなくまず苦しむことをやめれば

それが赦すことに繋がるのかもしれないと

思えるようになりました。








なかなか簡単にできることではありませんでしたが、

初めて



『自分を赦す』



ことを少しだけしようと思いました。




つづく。

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