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16/10/11

会社の後輩から末期ガンだと告白されてしまった私がやったこと。

Image by Olia Gozha

それは会社の後輩が入院したと聞いて首都圏の国立大学病院を訪ねた時のこと。「先輩、ちょっと外に出ましょう。」と、言われて病院の庭を散歩していた時のことだった。「実は私はガンで手術をすることになりました。」

病室で気づいたのだが同室の患者さん達からは、なんとも言えないやりきれさみたいなものが感じられていた。

ある人は顔じゅうを包帯でグルグル巻きにされて寝込んでいる。

手術を終えた患者さんと、手術を待つ患者さんとだったのだ。


その後輩は病院を幾つもたらい回しにされた後、幸運にもその分野で評判なこの大学病院に辿り着いた。

病名は、耳下腺ガン。

文字通り、耳の下に位置する唾液を作る唾液腺にできるガンで、グリグリしたものができて気づく様です。


「そうか。それは大変だったな。でも手術すれば治るんだよな?」と、私。

「・・・・・」

「何。そんなに悪いのか?」

「はい。」後輩は下を向いたままそう答えた。

「進行度で1とか、2とかあるけど。どれ位か先生に言われた?」

「はい。4だそうです。」

「‼️・・・・・」今度はこちらが言葉を失った。

「それで人事にはその事連絡してあるんだろうなぁ?」

「いえ。先輩に話すのが初めてです。」


手術は事前検査があるので約1ヶ月後。

この大学病院での耳下腺ガンの治癒率が高い理由の一つが、幹部の周りを思い切って大幅に切除してしまう為だという事も後輩から聞いた。

同室の一人は眼球を一つ取り出しているとの事だった。

後輩の場合もガンの進行があるので、耳下腺ガの周りにある顔の表情を司る顔面神経を切除する事になり表情を失う事があるとの事。

そもそも転移が大きければ完治を望む事が難しくなる。


そこで私のした事は、当人の同意を取った上で、会社の同僚に事実を伝え見舞いに行く事をお願いする事。

あの病室の中で患者さん達だけコミュニケーションを取っていると、どうしても気分が落ち込みがちになる。実際、入院患者の一人が手術を待ってその後の術後入院もする事になると自分の経営する中小企業が倒産してしまうと、死を覚悟して退院して行ったという話も聞いた。

あと、本当は良いのかどうだか分からないが、近くの駅前の居酒屋に人を集めて宴会を開いた。

宴が盛り上がりすぎて、門限時間に間に合わなくなるという事件も発生したが。

手術室に入ってから、生きて出てこないという事態も頭に浮かんだ。


そして手術の当日を迎えた。

結果としては、顔の半分の表情がほぼ失われ、また首の所を交差している手の運動神経にも一部損傷があるとの事で片手に麻痺が残ったが手術は成功。

それから5年。

ガンの完治は一般に5年後の生存で計られますが、その5年も過ぎ、無事に結婚をして子供も授かり今日まで元気に過ごしています。


しかし本人では無いものの、あの日、病院の庭で耳にした「ステージ4」という言葉は今でも頭の中に残っている。


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