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16/10/8

世界47カ国女子バックパッカーができるまで(14)

Image by Olia Gozha

知らない国。知らない文化。

2005年6月。イギリスに来て、数週間が立とうとしていた。6月のイギリスの気候は日本よりもずっと肌寒く、常に一枚何かカーディガンを羽織っていなければいけないほど冷たい風が吹くこともある。

私が住んでいたのはロンドン市内から電車で20分程北にある、セントオーバンスという街からさらに15分くらいの住宅街だった。ボランティア教師のトレーニングを、まずはロンドン近くの学校で3カ月うけなくてはならない。その他10人くらいの日本人学生と一緒になって、トレーニングセンターに通うためだった。


なだらかな丘に沿って立ち並ぶ木造のかわいい家々や、お花や、教会、立木や公園など溢れる緑の中でくらす人々。心地よい静寂さの溢れる町にも、休日には公園の中央にマーケットが軒を連ねるなどにぎやかな一面も見せる。平日の昼間でも、湖畔の影でご老人が一パイントのエールビールを片手に静かに余生を楽しむ姿を見ることができる。そばには、湖に浮かぶ小鳥たちや野生のウサギが跳ねる。


私のホストファミリーは、フットボール観戦が大好きなジャマイカ人パパのロドと、お料理や家事が好きなドイツ人ママ、ウルスラの老夫婦だった。

夫婦2人の息子はすでに成人し、隣町に住んでいる。昨年、私と同じようにボランティア留学をしてきた学生をホストとして受け入れたらしい。


けれども英語の会話能力がほとんどゼロといってもいい私にとって、その生活は過酷だった。

老夫婦はそれなりに私の英語に聞き耳を立てて理解しようと努めてくれるが、機嫌の悪い時には言葉が理解できずに話がうやむやに終わったり、私の方が伝えるのをあきらめるときも多々あった。


朝食の席がしんと静まり返っていると、わたしはいたたまれなくなり朝ごはんを胃にかきこんで早めに学校に出かけることもあった。

ひとりになり、家から徒歩20分程度の電車の駅まで歩く道すがらの青々とした木々を眺めたり、目を閉じて風の音を聞いたりするのが好きだった。


学校の日本人たちには、あまり馴染めなかった。どこが悪い、というのでもなく、自分の存在場所がなかった。私は学校にも、家にもなじめずにただ孤独を感じていた。外の世界の鮮やかさに比して、自分の心の中にはもやもやとした不安や悲しみが存在していた。


そんなとき、事件は起こった。


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Image by Jukka Aalho

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