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16/10/7

HAYATO NY物語1

Image by Olia Gozha



1992年7月1日にNYでHAYATOサロンの1号店をオープンしてから今日で24周年になる。


シャンプー台2台とセット面5面スタッフは僕とアシスタントの圭樹の2名だった。


若干27歳、1989年に渡米してから2年7カ月の出来事だった。


お客様は渡米してから日系の2店舗を経て?(初めのお店はオーナーに技術的な事で歯向かい首になり、2店舗目は1年で3度も料金値上げされて嫌になった)その後アパートの一室で口コミによる紹介客だけで広がったほぼ日本人のお客様だった。


英語も片言しかその当時は話せなかった。本当に若くて無謀で怖い物など何一つなかった。


自分のヘアカット技術は世界一だと信じていたあのころが懐かしい。


2か月後には日本で同じ髪成という萩原宗から独立した勉強会グループの他店舗にいた飯野ちゃんが加わり3名になり、その1年後にはスタッフは5名ぐらいに増えていった。


売り上げも初月の7000ドルから30000ドルまで延びて全て順調だった。


こうなると自信家の僕は手が付けられない。


NYのサロン事業は順調でサロンを拡張する為に日本からNYに来たい美容師を応募したら3名の採用枠に50名近くの応募者が殺到した。


その数の多さにびっくりした。


急遽、日本に帰り以前のオーナーの阿原先生に定休日のサロンをお借りして一人一人面接した。


集まったみんなのNYへの思いは熱かった。


僕もNYに夢を抱いて世界一が集まるNYで美容師として勝負をしたい一人に過ぎなかったが今はサロンオーナーとしてみんなにチャンスをあげる側にいた。


僕はNYに来たときはサロンオーナーに恵まれなかった思いがあった為、僕は自身が採用したスタッフはどれだけ技術的な事で対立しても絶対に首にはしないと心に決めていた。


3名の採用枠だったがその中から5名を採用する事にした。


本当は全員採用してあげたかったがサロンにはそこまでの実力はなかった。


日本からこれだけたくさんの人からの応募がある事に僕の今後の道が何をすればいいのか導きだされて行った。


いつの日かNYと日本を結ぶ駆け橋になるようなサロンにしたい。みんなの夢を叶えてあげたいと考えるようになった。

#hayatony物語



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