2014年、元町のメインの通りに開運カフェ、というお店がオープンした。その店長さんはニコニコと笑い、店内には800以上の風水の仕掛けがしてあるんですよ、と楽しそうに説明してくれた。9つの星ごとに開運フードでランチを提供したい、と言って「私は開運予報士です」と頬笑んだ。
私は絶句した。
これまで、私が開業したのを聞きつけて、昔の友人が訪ねてくることがあった。
多くは共に喜んでくれ、占いで元町に来たの、と言うと面白がってくれた。
だが少数ではあったが、明らかに蔑む人もいた。
占いなんかに頼るんだ。
自分で決めたんじゃないんだね。
そういうのにはまるのって、どうかと思うよ。
ふりまわされちゃって。
僕は、自分のことは自分で決めたいな。
中には、長々とメールで批判する人もいた。
友人だと思っていたのに意外な一面を見てしまって、驚いた。
こんなにはっきりと言ってくる人達の他にも、心の中ではそう思っていた人もいたのかもしれない。
私が理解した範囲では、占いとは統計学で、天気予報と同じように使えるものだと思っている。
明日は雨でしょう、と言われれば傘を持っていけばいい。
そんなの嘘だ、と言って傘を持たずに外出して、ずぶぬれになるのは、その人の自由だ。
天気予報図だって沢山のデータの積み重ねでできている。
それを、自分で空を見て、風の向きで判断するから、天気予報なんて信じない、と言っているようなものだ。
それができるなら、そうすればいい。
天気予報を見た人を批判する理由もない。
身体の具合が悪いな、と思ったら病院に行く。
それと同じくらいのこと。自分では状況が分からないから、わかる人に聞きに行く。
多くの人が、癌ですね、と言われたら驚いて、手術しましょう、はい、と言うのと同じ。
それを高額な医療費を払って、医者に振り回された、と言うのだろうか。
また、私は占いに頼った、という気もしていなかった。だってものすごく自分で動いて努力も経験も積んだから。どちらかと言うと、占いを利用した、という感じだった。
ただ、時をよんでもらったのだ。
自分はなんでもわかる、私は万能だ、と言っている人の方が気持ちが悪い。
自分は病気にならない、死にもしない、と言っているようなものだ。
なんで?何を根拠に? と聞きたくなる。
それでも、今の社会の認識では「占いって怪しい感じ」というのが一般的だということもよくわかっていた。怪しい感じ、を売りにする占い師もいるからだ。怪しい感じ、を好む人も多くいるからだ。
私だって、高校時代の友人が、占いに行く、と言ったとき訝しんだ覚えもある。
知らなかったのだ。
占いと言うものを。
私のお店にやってくる子で、移動の辞令が出た子がいた。彼女は、せっかく職場の近くでいい雰囲気になった相手もいたのに、行きたくないなぁ、自分に務まる仕事か不安だし、と悩んでいた。
心の悩みは身体にでる。肩も背中もガチガチだった。こういう場合、ほぐす手段は心からだ。少しでも気持ちが軽くなれば、コリも緩む。
私は、独学で学んだものだけどざっくりとなら視られるから、と言って彼女の自宅から辞令先の方位と時期を照らし合わせた。
ぎょっとした。
本当に行ってはいけない時期と場所だった。
そっちに行っても大丈夫だよ、と言ってあげたかったのに。
断れる話なら、断ってみない? 行かない方がいいと思う、と止めたが、でも辞令ですし断ったら仕事を辞めなければいけないかもしれないし、と言って彼女は職場を異動し、しばらくして鬱になって、結局会社を辞めた。後になって「あの時せっかく止めてくれたのに、ごめんなさい。結局辞めるなら、あの時に辞めていればよかった」という手紙が届いた。私には、なすすべがなかった。生年月日からその人の持っている星を割り出し、運気が向上する時期と方位を示す。それだけでは、なにもできなかった。
ドラえもんを紹介したくても、もう彼は亡くなっていた。
『あなたの人生を私が生きることはできないんですよ。
あなたが決めなきゃ、だめなんです』
ドラえもんは口を酸っぱくして、何ども私に言った。
人生は選択の連続なんだ、と。
判断を誤れば命を落とすこともあるんだ、と。
彼女が動いてくれなくては、どうすることもできなかった。
彼女は、しばらく社会復帰はできない、と言った。
ドラえもんはあらゆる知識を持っていた。風水から四柱推命、手相、もっとあったと思う。
私と高校時代の友人とでは接し方も違っていた。私にはけっこうスパルタにやってきたが、高校時代の友人には好々爺だった。それもそれぞれの持つ個性を読み解いてのことだったと思う。本人を動かさなくては、どうにもならないからだ。ドラえもんはそれを狡猾に使いこなした。私には、好々爺バージョンでは、だめだったのだ。
占い、とはとても広い学問だった。それらを網羅するにはとてつもなく時間がかかる。
その知識をピンポイントで教えてもらうのに、3万円は安いくらいだった。
自分で学んで導き出すとすれば、もっと時間もお金もかかってくる。
私は悔し涙を飲んだ。彼女に差し伸べる手を持たない、自分の浅はかな知識を悔いた。
そしてやってきた。
ニコニコと正面切って、その人は元町のメインストリートにお店を構えた。
9つの星ごとに、その月にその人が食べれば運勢が上がる食材を使って、デザートも意味を込めて用意している。メニューは毎月変わる。ものすごい事だった。私も自分と夫の星を見て開運料理を作ったことがあった。食材の意味からレシピから調達からと、毎日なんてとてもやってられない、と感じるほど大変なことだった。それを9パターン。このすごさを理解できる人が、世の中にどれくらいいるだろうか。まず多くの人は、食べたいものを食べてしまう。
「占いのイメージを変えたくって。あなた、死ぬわよ、とかそういうものじゃないんです、占いって。自分がどうなりたいかを後押ししてくれるものなんですよ。当たってあたりまえなんです。その先を示せなくては。私、見える・見えない、とかは信じていないんです。」
店長は清々しい店内で、ニコニコと説明した。プチ鑑定もやりますよ、手相視ましょうか、15分1000円で受け賜ります、と言って私の手相をみてくれた。元町の隣には中華街があり、そこにもものすごい数の手相屋がいる。友人が来た時に遊び半分で一緒にみてもらったりしたが、どれも似たり寄ったりで、こうすると変わるよ、と提案をしてくれるものではなかった。娯楽に近いものだった。
しかし、私が店長に感じたものは、
ドラえもんの生まれ変わりか? だった。
こ、この人、本物だ。すごい勉強してきてる。網羅、してきてる。
手相もちゃんと視ることができている。
1000円でこのクオリティは、破格だ。
この値段で視てもらえる日は、そう長くは続かない。すぐに跳ね上がる。
もうこの人、普通に話をしてもらえないくらい、すごい人になっちゃう。
大変だ、大変な人がやってきた、と勝手にあわあわした。
店長は相変わらずニコニコしている。
占いって、怖いものでも怪しいものでもないんですよ、とニコニコしている。
あぁ、でも、これを理解できる人はすごく少ない。真摯な占い師と、尊大さ甚だしい占い師との違いを見分けることができる人は、少ない。ヤブ医者を見分けることが難しいのと似ている。そしてこのランチの意味を理解できる人は、ものすごく少ない。
社会の占いに対する認識は、まだこの店長に追いついていない。
震える思いで店長の開業理念を聞いていた。
どうか、どうか潰れないでほしい。
困っている人の後押しを、どうか、やってあげてほしい。
私は鎌倉店でひとりぽつんとお店に居た時のことを思い出した。
予約の電話も鳴らず、予約も入っていない。予約表は真っ白。
話をするスタッフもなく、とても静かだった。
タイ古式マッサージ、というと風俗をイメージする人も居る。
実際、予約の電話が鳴った、と喜んで出ると、
そちらは本番ありですか?
と聞かれたこともあった。
虫の鳴く声だけが、外から聞こえてくる。
地球上に、もう生きている人はいないんじゃないか、と思うくらいだった。
私1人を残して、みんないなくなってしまったんじゃないかと思うくらいだった。
心が折れる寸前だったと思う。
そんな思いをこの店長にしてほしくない、と思った。
私がこのお店を訪れたのも、うちに来たお客さんからの話が始まりだった。
ねぇ、表の通りに占いのお店ができたよ、知ってる?
なんか、怪しいの。
師匠の写真とか貼ってあって。
行ってみた?
私は苦笑いを浮かべて、じゃぁ見てくるよ、胡散臭いかどうか、と答えた。
占い、というだけで世間の風当たりは強くなる。需要があることは確かでも、占いに行く、というのは人に隠れてこっそりと行くものだった。風俗がそうであるように。
風俗産業だって、もしなければ、もっと沢山の性犯罪が起きていると思う。
それでも裏舞台だった。
ドラえもんに渡されたマニュアルにも
『指定期間が来るまでは人に言わず、行動もしない』
と何度も書かれていた。
なぜ、人に言ってはいけないんですか?と聞くと、ドラえもんは眼鏡をキランとさせて、
必ず、邪魔が入るからです。良い時期に動かなければ、必ず、足を引っ張られるのです、
と言っていた。
『例えば百獣の王ライオンの前をサソリが通り過ぎても、よほど空腹でもない限り、ライオンは黙ってみています。多くの場合、人間は違います。なんだか変!気持ち悪そう!と感じた瞬間、そのサソリを叩き潰すかもしくは逃げ出します。中には遠ざかっていくサソリをわざわざ追いかけて行って殺してしまう人も多いのです。
人という生き物は異質にかんじるものに敵意を持ちます。
人の感情は異質なものへ敵意を感じてしまうのです。』
私はできる限り応援をした。それでも私は微力だった。
毎月変わる開運ランチを一番乗りで食べに行くくらいしかできない。
店長さんは、占いを表舞台へ、と立ち上がったのだ。
そんな開運カフェも、もうじき丸3年になる。近くで見ていて本当にこのお店は頑張ったなぁ、と思う。私が想像した通り、開業当初はとても風当たりが強かった。同業者からの嫌がらせもあったし、紆余曲折しながら何度も舵を切り替えた。私は毎月楽しみに通っていたが、9つの星ごとの開運ランチはまだまだ理解できる人は少なかった。今ではカフェを縮小して講座を行うことが増えている。教えてほしい、という要望が増えたのだ。1日中鑑定をしている日もある。もちろん、金額は跳ね上がっているし、内容もプチどころではない。店長自ら買い出しに行き、開運グッツの販売もしている。それは驚くほど安価で、その人に対して運気が向上するものを、店長が見立ててくれる。
「高価な物だと、これさえ持てば大丈夫、って思ってしまうでしょ?
そうじゃないんです。これらは後押しをするものだから。まず自分が動くきっかけを、作るものでないと。そして、風を起こすんです、風を。そうすることで動き出すものがあるんですよ。運勢は〝動″から始まるんですから。」
と言って、ニコニコしていた。
あるときニュースで、30年くらい前に人気だったギャグマンガの舞台化の話を知った。
いまさらなぜ? と思う話だ。それでもその漫画家が開運カフェを訪れていることを、私は知っている。きっとその漫画家も開運カフェで自分の中の風の起こし方を知り、もう一花咲かせに立ち上がったんだと思う。これからも自分のやりたいことをつき進めて、沢山の仲間たちと充実した日々を送るのだろう。私にはそれが見えるようだった。
だって、私もそうだから。
病院に行って、手術ですね、と言われたお客さんを、整体の施術で手術を回避できた人は沢山いたし、不定愁訴の人たちが元気になって行く姿も沢山見た。漢方薬の先生や歯医者さんにも相談して、施術だけでは追いつかない人に様々な改善案も提案している。例とえば、犬歯がほかの歯に当たると、ふくらはぎの電圧が変わる、ということが歯医者さんの学会で話に出ている。歯医者さんからすれは関係のない話だが整体師としては違う。筋肉は電気信号が神経に伝達されて緊張・弛緩をするものなので、犬歯のせいで電圧を変えられると吊ったりするのだ。それが夜間に起こる歯ぎしりのせいで足が吊っているならば、私の施術以外にマウスピースの着用や、噛み合わせの治療を歯医者さんにお願いすることになる。そんなことをイコールで結べる整体院はまだまだ少ない。でも私は知っている。
また、外反母趾から腰痛を引き起こしている人に腰の施術だけでは繰り返すだけだと、外反母趾対策用の靴下の取扱店にもなったし、冷え取り用の足首ウォーマの会社とも仲良くしてもらっている。フットバスのバスソルトは開運カフェで月光浴をしてもらった岩塩を使用して、驚くほどの血行促進と厄落としの効果を上げているし、冷え性対策として毛細血管を強化するのにルチンが効果的だと自分で実験してよくわかったので韃靼蕎麦茶を販売していた時もあったし、蕎麦アレルギーがある人にはピーマンで代用できることも分かったので家庭菜園でピーマンを栽培して販売していた時期もあった。医療の神様の追っかけをして、先日大阪にも行ってきた。そこには快眠のお守りがあったし、癌を取るお守りもあった。そしてそれらは必要な人に渡って、不眠を快眠へと導いた。お守りごときで何が変わるの?と言う人には効かないかもね、と言って渡さない。何が効くかどうかは本当に個人個人違うから。症状が軽度か重度かで施術期間も変わってくるし、方法も変わってくる。私は魔法使いではないので、ちちんぷいぷい、はいこれで何もかもよくなった、とはいかない。不思議に思うかもしれないが、性格が筋肉に出ていることはよくある。なんだか占いと似ているな、と思う。本当に一人ひとり対処が違うのだ。私はそれを網羅しようと思う。
また、事業計画でも上げたように、1対1でとことん話を聞くことに重きをおいている。
これは案外病院ではやってくれないので、私の店ではこの需要が一番多い。
ちょっと世間一般の整体院とは違うと思う。でもそれでいい。
さらには、空き時間には花壇の手入れもできて。
色々勉強することも多くて大変だけど、思い切り自分のやりたいことがやれて、大満足だ。
その漫画家が店長の似顔絵でロゴマークを描いた。
開運カフェは開運予報士協会を立ち上げていた。
「正しく占いを理解してもらうために」
生徒さんたちが増え、占いに対して正しく理解できる人たちが増えてきたのだ。
ようやく時代が店長に追いついてきた。
そして私も、やっと、息詰まっている人に自信をもって紹介できる占い師、いやいや、開運予報士ができた。これも私のやりたいことのひとつだ。身体の不調を取り除くための、整体師としての、私の人脈と知識と経験と手腕に加わる。
すべての人は平等だ、という。それは、そう思う。
ただチャンスをつかむ時期を知らないだけだ。
今、動く時なのか。
今、待つ時なのか。
目の前の道を渡りたい、と思ったとき、車が走ってくれば走り去るまで待つだろう。
車が行き交っていても、渡れるタイミングもある。
それを聞きにいけばいい。
開運予報士に。
困ってから聞きに行くと、リカバーするのに時間がかかる。
困る前に、自分の望みを実行できる時はいつか、聞いて来れれば計画が立てやすくなる。
この先の横断歩道が青になったから、今はここには車がいっぱいですけど、
じきに停止しますから。
その時にさっと渡っちゃいますか。
あ、でもバイクがすり抜けて来てるから、横断歩道まで歩きます?
ラッシュの時間帯を越せば、ほとんど車の通らない道ですし、
ここを渡るにはその時の方が安全ね。
来月になれば歩道橋もできますけど。
自分が杖を突いているなら、横断歩道まで行って渡ればいい。
瞬発力に自信があるなら、流れが緩やかな時に車の間をすり抜けていけばいい。
その人その人によって状況が違う。持っているものが違うのだ。
行けると思って進んで、立ち往生してしまうときもあるだろう。
右から、左から、車がやってくる。
開運予報士はビルの上からその道を見渡している。
もうすぐ、車の流れが止まるよ、とか、だって今ラッシュだし、とか、わかるのだ。
立ち往生している相手に、メガホンを持って、
「10台前の車が停車して荷卸し始めたから、車の流れ、緩やかになるから!
ちょっと動かないで待ってて!あなた、走るの遅いんだから無理してすり抜けないで!」
と、その人ができることを、状況を見て伝えてくれる。
道を渡るのかぁ、でも、家から出るの怖いし、と思っている人にはきっと
じゃ、まず靴を履いてみましょうか。
ウキウキ歩き出したくなる明るい色の靴なんて、どうかしら。
と提案してくれるだろう
占い=引っ越し、ではない。
動き出すきっかけを示してくれるのが占いで、開運予報だ。
動き出すきっかけが音楽である人もいると思う。本や映画な人もいると思う。
心が動くきっかけは人それぞれだけど、動き出すときに小さな風が起きるのか大きな風が起きるのか、それはいつなのか、教えてくれる人が、いるのですよ。
天気予報やお医者さんに知りたいことを尋ねるように、開運予報士に聞けばいい。
怪しくもない、胡散臭くもない、研究結果の事実として教えてくれるから。
私は道を渡り、振り返って、道の向こう側に居る人に手を振るために、
いまこれを書き上げた。
私、渡れたよ、ドラえもんありがとう、と言っている。
ドラえもんは相変わらず、
あなたが渡らなきゃダメなんですよ、
私が代わりに渡ることはできないんですよ、と言っている。
なにかおかしいな、どうしてうまくいかないんだろう。
願いははっきりしている、どうしても叶えたい。
そう思っているのなら
そんなの嘘だ、信じない、なんて時代遅れなこと言っていないで、
多くの人が、
目の前の道を、
事故にあわず、
立ち止まらず、
渡って来てくれるといいな、と思っている。