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16/10/2

占いを実行して、占いの意味を知る 【出会い】

Image by Olia Gozha



占い、と聞くとどんなイメージを抱くだろうか。

怪しい、胡散臭い、高額、何か石を売りつけられる、そう思う人が大半じゃないだろうか。

私もそこまでとはいかないが、占い師によっては当たりはずれもあるだろうな、と思っていた。私が思う占い師は、過去が見え、現在が見え、未来が少し見える、という感じで、今でいうスピリチュアルに近いものだった。それは占い師の力に大きく左右されるもので、占い師自身も自分の体調に左右される、とても不安定なものだと思っていた。

今日は見える、今日は見えない、とか。

だから、当たるも八卦当たらぬも八卦、なのだと。

「信じるか信じないかは、あなた次第です!」という娯楽なのだと。

 

そうではなかった。

まるで勘違いだった。

 

私は大学を卒業後、システムエンジニアとして6年務め、色々考えた上げく、整体師になった。多くの同僚は、そんな畑違いの仕事に何故、と首をかしげたが、私にはとても合っていたと思う。1対1で向き合って相手の不調を改善してあげられることは、仕事として、を通り越して、私にとても得難い出会いや経験を与えてくれた。

整体の道に進んで2年が経ち、もう少し施術の幅を広げようとタイ古式マッサージの学校に通うことにした。そこでは経験者であることを買われ、特急で授業が進み、2か月後には鎌倉の古民家を改装したお店の店長になることになった。

当時私は31歳が終わろうとしていた時で、会社員を辞めて整体師になったため実家に出戻っていたのだが、そろそろ独立した姿を親に見せて安心させてあげたかったのもあり、新しい職場に近い藤沢へと引っ越しを決めた。

忘れもしない2006年4月。

私は実家のある町田市から藤沢市へ移動した。

まさかこれが占いに出会うきっかけになるとは、思いもしなかった。

 

2年ほど勤めた整体院では、副院長という形で、1人でお店を任され、それでもお客さんは多く、お陰様で歩合給料でもこの業界では結構もらえていた方だった。それで自信を付けたのもある。異業種への転職すら、頑張ればなんとかなったのだ。お店が変わっても、それも整体院ではなくタイ古式マッサージのお店になっても、私はそれなりにやっていけるだろうと思っていた。

それが開店休業状態のお店であろうとも。

指定されたお店は鎌倉の長谷駅からほど近く、古民家をうまく活用した趣のある店だった。そしてまた雇われ1人店長だった。

お客さんがまるで入っていないのと、ここで働く人がいなかったため、お店の周りは雑草が茂っていた。せっかくいい場所にあって、雰囲気もいいのに、とてももったいない。

しかし予約はゼロ。ただお店にいるだけではお給料は出ない。

タイ古式マッサージの施術時間は長く、1番短くて60分、長くて3時間だった。

さらにこのお店では「リゾートに行くほどお休みが取れないあなたに、1日で極上の癒しを」と謳って、8時間コース、というメニューもあった。

価格帯は6千円~4万8千円で、決して安くはない。

足を運んで、この料金を払ってもらうためには、と私は必死で考えた。

まず草むしりから取り掛かり、畳を拭き上げ、駐車場の壊れた板の修理を始めた。よくみれば手入れが行き届いていない。古民家だからと言って、鬱蒼としていてはいけないと思う。お店を磨くことから始めた。

また、徒歩圏内から江の島の方までポスティングにも行った。近隣のお店にあいさつに回り、チラシを設置させてもらった。また、鎌倉観光モデルコース、を自分で歩いて作ってみた。鎌倉駅からこのお寺を参拝して、ここでランチをして、疲れたところでタイ古式マッサージ♪、と写真を撮って順序を決めて、お店のHPに記載して欲しいと本部に提案した。予約のない時間帯はとにかく歩いた。歩いて歩いて、32歳になった私のカラダ年齢が20歳という表示になるくらいだった。日に焼けて真っ黒になっても、ひたすら宣伝をしに歩いた。本部が渋谷にあったため、鎌倉でお客さんが付くまでは渋谷勤務もした。渋谷に来たお客さんに鎌倉店の紹介をして、やってきてくれる人もいた。心配して様子を見に、予約を入れてくれる友人の協力もありがたかった。

必死な努力のおかげか、数か月後にはお店の売り上げもゼロから40万円まで伸びた。

指名料なども加わり、私の給料も18万円になった。でもまだこれは手取り額ではなかった。昨年度の収入が良かったため国民健康保険、住民税の負担は大きく、国民年金、所得税、家賃を支払い、来月の収入がまだよめないことから食費を切り詰める生活だ。正直、こんなに苦しい戦いになるとは思わなかった。それでも自分で開業したと思えば、これも修行だと思えば、と自分を励ました。

 

「鎌倉店でダイエット合宿をやるので、そこは予約を入れないで、合宿を担当してください。日当は時給でお支払いします。」

 

本部から連絡が入った。

 

「ダイエット合宿の詳細はこれから検討します。

お客様からは前払いで頂いてしまっているので、もう決行です。」

 

意味が分からない。

どういう営業をしたら、内容の決まっていないものが売れるのか。

ようやく予約がもらえるようになった鎌倉店で、まったく別の内容の商売をするとは。

なんのために頑張ったんだ?

 

ダイエット合宿のために、本部で社員として働いている子が送り込まれてきた。

この子はとてもよく働く子だった。本部に忠実で、かわいそうなくらいだった。私が断れば彼女一人で担当しなければならない。そうすれば寝ることさえしないでやってしまっただろう。私は悩んだ結果、渋々承諾して、磨き上げた鎌倉店を開放した。

 

結果から言うと、ダイエット合宿は大成功だった。

お客さん一人に対して2人がかりで四泊五日、付きっ切りで痩せることをなんでもした。よく働く社員は栄養士の資格も持っていたので、献立から買い物・調理を一人で担い、摂取カロリーをコントロールした。その間私はサウナスーツを着たお客さんと鎌倉散策にでかけ何時間も歩き、戻ってきてすぐに発汗の強いお風呂に入れて、でたらみっちり三時間タイ古式マッサージ、という本当に合宿らしい合宿でお客さんは体脂肪率も落ち、しっかりダイエットできた。

そしてスタッフ二人も、がくりと体重を落とした。

あたしたちがダイエットになっちゃったね、とほほ、と二人で苦笑いしていたが、お客さんはとても喜び、本部もとても喜び、鎌倉店はダイエット合宿の場にしよう、と盛り上がっていた。私の評価もすこぶる高く、よくやった、とお褒めの言葉も頂いた。

 

いえいえ、私はタイ古式マッサージをするためにここで働いているんですが、と詰め寄ると、正社員にしてやる、給料は10万円でいいか?と聞かれた。

 

良いはずがない。

 

おかしい。ひどく頑張っているというのに、思いもよらない方向に話が進んで行く。

なんだこの会社、ちょっとおかしいし。

評価しながら月給10万円って。

手取りいくらになっちゃうと思っているのよ。

それでも、会社の方針で鎌倉店はタイ古式マッサージをしません、と言われれば私にはすることがなかった。

 

あのまま整体師、やっていたら良かったなぁ。

後悔が頭をよぎる。

これが修行の結果じゃ、仲良くしてくれたお客さんたちに別れを告げて出てきた意味がないよ。

今すぐ他のお店に動くべきか。

いやいや、それは我慢が足りないんじゃないか。

根性なしなだけじゃないか。

でもダイエット合宿のスタッフ?

それが嫌なら渋谷で働け?

藤沢に引っ越してきたのに?

もう、自分でお店を持つか。

でも、ここで開業するの?

なんの地合いもないここで?

貯金もできてないし、今は厳しいよなぁ。

 

うーん、と唸っているときに、高校時代の友人から連絡が入った。

彼女は学生時代、ショートカットを金髪にして物理で100点を取るような子だった。

決して勉強ができなかったわけではないのに、行けたであろうに大学も受験せず、専門学校に進学し、卒業して実家に戻って就職もしたが、どうしてか数年経つと彼女の勤め先は閉店や倒産し、いつの間にか失業保険で暮らすことに慣れ、フリーターになり、今は無職だった。

 

30歳過ぎて無職で実家暮らしは結構辛いものがありまして、でもなんかやる気も出ないので友達に勧められた占いにでも行ってこようと思う、と言う電話だった。

 

へぇ。めずらしい。そういうの行くんだ。

私の最初の感想はそうだった。

もう本当に藁にもすがることにしたんだな。

頑張っていたのに、この10年、散々だったしね。

動物のしつけの専門学校にも行ったけど、ダメだったしなぁ。

それでも何かを変えるのに、占いかぁ。

それもありだけど、どう出るかなぁ。

 

当時、彼女の生きる気力はカスカスだったと思う。

何を言っても、どうせダメだし、と返ってくるばかりだった。

 

後日、彼女がそれこそ10年ぶりくらいに弾んだ声で電話をかけてきた。

引っ越すことにした。貯金もないけど、とにかく行けって。アルバイトでもなんでも時給850円で8時間働けば月に16万円にはなるから、とにかくそこから始めるつもりで行けって。

やってみようと思う。

 

彼女はとにかく実家を出たかったのだ。何を言われてきたのか、出るきっかけをつかんだ。

あんなに動かなかった彼女が、家を出るという。仕事も決まっていないのに。

長い付き合いだが初めて見る彼女の張り切りぶりに、私も興味を持った。

私もその占い師にみてもらいたい、開業するなら藤沢が良いか実家に戻るのが良いか、聞いてみたいと思った。

コイントスのようなつもりでいた。

裏が出るか表が出るか。どっちでも良かったのだ。鎌倉のお店を辞める決心がつけば。

私は今まで、自分がぐずぐず考える方ではないと思っていた。

それなのに次への動きに躊躇していた。守りに入ったのかな、年取ったな、くらいにしか思っていなかった。

 

彼女は私の生年月日と名前を占い師に伝え、費用は3万円だよ、と言った。

正直、今の収入で占いに3万円も出すのは痛かった。それでもまだ貯金はある。

これで踏ん切りがつくなら、かけてみるか、ぜんぜん見知らぬ第三者に、何が見えるのか聞いてみたいな、と思った。

なけなしの3万円、という金額が私の意識を変えるほどの投資になるとは、このとき全く思いもしていなかった。

 

予約の当日を迎え、八王子にある指定された事務所のドアを開けた。

そこは不動産業も営んでいたようで、パーティションの向こうで数人が電話の応対をしている。黒いソファがローテブルを挟んで並んでいる、応接室のようなところに通された。

占いの館、を想像していた私は少し面食らった。

 

こんな面接のような感じで占いをするのか。

 

私がソファに腰を下ろしきょろきょろと周りを見回していると、男の人がやってきて、私の目の前に座った。

顔の輪郭がずれて見えるほどの分厚いレンズの眼鏡をかけ、丸く出っ張ったお腹を包み込むようにズボンを履き、そうではなかったと思うが波平さんのような髪型をしていた。

私の想像していた占い師は、なにやらベールのようなものをまとった髪の長い細面の美人だったのに、まるで賃貸契約の書類に目を通す客と不動産屋、といったところだ。

あれ?水晶玉とかのぞき込んだりしないの?と、さらにきょろきょろした。

ドラえもんのような占い師は、コピー用紙に私の氏名と生年月日を書き、8とか9とかよくわからない数字を書き足していた。

整体院を開業したいと思っているのですが、と切り出すと、分厚いレンズの向こうの小さな目が私を見据えた。私からは特に何の説明もしなかったのに、ドラえもんはこう切り出した。

 

今年の4月に思い立って南に動いたか。

あなた、収入が2/3以下になったでしょう。

こういう星回りの時にこういうことが起きるんですよ。

動いちゃいけない時ってあるんですよ。

努力は必ず報われる、なんてことは、ないんです。

そんなこと言ったらみんな成功するじゃないですか。

そうじゃないんですよ。

きちんと時をよまないと。

あなたは今、正確な判断ができなくなっているからね。

人生は選択の積み重ねなんです。

判断を誤れば命を落とすんですよ。

暇つぶし、なんてしている時間は無いですから。

時間を潰すなんて、命を潰しているのと同じなんですよ。

わかってほしいですよ。

このままそこにいても駄目だからね。

もう30歳超えているからいいでしょう。ちょっと苦労するけど。

あなた来月、北東に出なさい。

マニュアルも付けて、渡しますから。

 

話は2時間にも及んだと思う。

私は何を言われているのかよくわからないまま、気が付くと、駅前のファーストキッチンの座席に腰を下ろし、ぐったりとしていた。

なぜだろう。ひどく疲れていた。

なんだろう。ひどく叱られた気がした。

 

えぇと、なんだっけ?と渡された白い封筒に目を落とす。

『未来情報の実証気学塾』と右下の隅に書かれたその封筒には、マニュアルと地図が入っていた。マニュアルを引っ張り出す。右上は糊で一枚一枚止められていた。プリントアウトされたそれを、ドラえもんが、わかってほしいですよ、わかってほしいですよ、と繰り返しながら貼り付けていたのを思い出した。

糊付けされたすぐ下に今日の日付が書かれている。

2006年9月27日。

 

2006年10月10日から11月3日の間に、

 別紙、地図の北東の範囲内に

 事前の情報収集なしに、事前の連絡や下見なしに、

 突然に転居先を探し始めて(それまでは人に言わず行動もしない)

 2006年10月10日から11月3日の間に、

行動して、実際に住み始めること。』

 

・・・。

えぇと、今日は9月27日で、2週間後には物件を探し始める、と言うこと?

4月に引っ越しをしたばかりなのに?

自分でお店を出すには、という話じゃなかったっけ?

それまでは人に言わず??

 

その後、

2008年5月9日から6月3日の間、もしくは、

2008年9月9日から10月4日の間に

お住いの位置から

北西の範囲内に(詳細はその時点でお問い合わせください)

事前の情報収集なしに、事前の連絡や下見なしに、

突然に転居先を探しはじめて(それまでは人に言わず行動もしない)

上記のいずれかの期間に、

行動して、実際に住み始めること。』

 

・・・。

えぇと、さらに2年後にまた引っ越しをしろと?

なぜに??

開業は??

なにこれ。

よくわからない。

 

『転居先の物件を探し始めることも、

仕事先を新たに求める事なども含め、

もの事を良い時期に、良い方位へ求めることが大事なのです。

勿論、地図上で範囲の確認をするくらいは自由ですし、

心の中で考えることは構いません。』

 

同封された地図を取り出し、広げてみた。

私の自宅を中心点として北東60°に線が引かれていた。

線の範囲は戸塚区から根岸、新横浜へと広がっている。

地図の右半分が青い。そこは港町だった。

海と言えば湘南、と思っていた私は、港、とつぶやいた。

2枚にプリントアウトした地図を、うまく重なるように糊付けしていたドラえもんは、

この辺ね、石川町・関内辺りまで行けるといいですね、と言っていた。

私は、その辺はお店とかオフィスとかばかりなんじゃないですか?一人暮らしをするような部屋なんてあるんですか?と聞くと、分厚い眼鏡をキランとさせて、指定した時期に指定した方位に行くと必ず出てきます、と答えた。

 

『相手に伝えたり、目的に向かって具体的な行動を起こしたり、

相手に意識させる行為が、気学上、物事の開始と言う意味です。

ですから、指定期間が到来するまではじっと待つのです

 

指定期間が到来してから、

指定方位内の人物や会社や施設、モノに対して行動開始、指定期間内に決めるのです。勤務先を探したり塾を探すなど、ものごとを依頼したり、大きな買い物をするような行為も、良い時期と良い方位で行うのです。その行為が貴方を向上させます。

 

生命はおかれた生存環境に大きく命を左右されます。

良い方位へ、良い期間に生存環境を求め、生活を始めますと、

脳細胞や体細胞が活性化を始めます。

 

本マニュアル通りに行動して、就業したり賃貸物件などを借りた場合、社会通念上、普通の行動をしている限り、物件の貸主や関係者からも徐々に、好意的な対応をしてもらえますし、結果的にトラブルなく退去できますし、仕事の場合は最初、かなり厳しく感じますが・・・

仕事とは何であるかが、解って努力していると徐々に、周囲から必要な人として重要視されるようになります。』

 

マニュアルは2冊入っていた。

もう一冊には、『自己実現と常識の狭間』と書かれていた。

その横にドラえもんが赤ペンで追記した文字があった。

『人脈と知恵 知恵のために知ること』

下の空白には『仕事とは・・・、相手に喜んで貰って、得る利益!』と書かれていた。

そんなこと、解ってるし、と思いながらも、解っていたのに、だな、と改めた。

しかめた眉の力が抜ける。

私は鎌倉でなんの仕事をしたのだろうか。誰に喜んで貰ったのだろうか。

とにかく、ただその日の予約を埋めることしか考えていなかったのではないだろうか。

 

上記の期間が到来してから意識を持って転居先探し開始です。

勿論、地図上で範囲の確認をするくらいは自由です。

最低でも2年以上、住めるような物件を選ぶこと。

勿論、安全性や日当たりなど常識の範囲のことは注意して選ぶのですが、贅沢はいけません。基本的には住めればいいのです。

 

出来れば、物件探しを依頼する不動産業者も同じ良い方位である指定範囲内の業者を4社または6社選ぶと、(不可能な場合は2社)

そのうちの1社が必ず親切にしてくれますので

その業者の物件で決めること。

 

転居開始以後は、

別紙「必ず守って頂く事項」を厳守して生活されて下さい。

当初、色々困難があるとは思いますが徐々に慣れてきます。

転居開始時点から転居先に1日12時間以上、かつ連続70日以上、たとえ仕事を持ち帰っても、転居先に居るようにして下さい。

 

この行為が貴方自身の脳細胞、体細胞に良い変化を与えるのです。

転居開始日以降は休日も転居先に12時間以上連続で居ることです。

これを連続で70日間以上続けましたら、たまに外泊することもできますが、原則的に自分の居場所は転居先であるという意識を持って行動。

 

あくまでも自分の時間を過ごす拠点は転居先なのです。

どこに住んでいるのか判らないような生活状態は避けてください。

度々、以前住んでいたところに帰ったり、外泊や長時間の外出が多い生活をしていますと、転居の効果が薄れます。

 

良い方位へ転居開始し、

指示を守って生活をしていますと、周囲からの中傷、非難が徐々に、

必ず減少していきます。

 

注意・・・

後述する転居後の変化については、

ごく普通の教養レベル・・・つまり新聞を読んで社会情勢が理解できる程度で、転居後、前向きに努力していると・・・

自然に得られる現象です。

 

但し、素養のない方や、依頼心の強い人、

   ものごとを人のせいにするタイプの方と、

   ものごとに感謝の念が無い方は・・・

現象の変化に気が付きにくいので、転居の意味はありませんし、効果も期待できません。

 

 

 

買っておいたコーヒーに口を付ける。ホットを買ったはずなのに、もう湯気も出ていなかった。頭の中が整理できない。

私は何か間違いを犯したのか?

砂糖もミルクもトレーの上に乗ったまま。ひどくコーヒーが苦く感じる。

 

わからない。

施術の範囲を広げようと、新しい技術を身に付けるための転職だったはず。学校に通って現場も経験で来て、営業努力もして、お客さんも付いてきた。これが間違いだったとは思わない。大変だったけど、いい経験になったと思っている。しかしその評価は月給10万の正社員。この話にのるのは間違いだと思っているのに、断れないでいる。これが判断力の低下、っていうこと?

確かに。この職場で頑張る意味は見当たらない。

私はここで何がしたいんだ。

・・・。

で、引っ越し?

私の脳細胞と体細胞が活性化していないから?

は?

 

思考が止まる。

 

ふと、コインを投げた。

受け止めた右手を開くと表が出ている。

どっちが出たらどう、とも決めていなかった。

それなのに思った。

 

よし、引っ越してみよう。

 

自宅に帰ると退職のメールを本部に打った。

退職願いを出してから2週間、これで退職となる。

引っ越し費用をざっと計算し、通帳を確認する。ひとまず、開業は後回しだ。

バカなことをしているのかもしれない。

無駄な出費なのかもしれない。

占いと引っ越しの関係が結びつかなかったが、それでも藤沢に留まる理由もみつからなかった。

ノルカソルカ。

私は、ノル、という選択をした。

 

 

後に自分で学んで愕然とした。

私にとって、なんて星回りの悪い年に動いてしまったのか、と。

町田市から藤沢への引っ越しは南への移動を意味した。そこで生活した期間を最小限に食い止めるには早急な移動が必要で、占い師にとっても苦肉の策であったことを思い知る。

ドラえもんの手腕に、頭を下げても下げきれないことが起こるとは、まだこの時は、露ほども思っていなかった。

 

六白金星が北東に廻る年、八白土星を本命に持つ私は、ようやく慣れてきた藤沢から、見も知らない横浜元町へと引っ越すこととなった。

六白金星という星が『磨かれて玉になる』という意味を持つことも知らずに。


 

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