退職日までコツコツと、入っている予約をこなし、本部のある渋谷店でも仕事をした。
退職、と言っても正社員ではなく業務委託契約だったので細かい手続きなどはなにも無かった。もちろん手当もない。あんなに悩んだのに、ひどくあっさりしたものだった。
所詮、使い捨てかぁ、と寂しく感じた。
渋谷店で働くスタッフからこっそり耳打ちされた。
ここ、辞めるんだって?
自宅、藤沢だったよね。伊勢佐木モールって知ってる?
SEだったんでしょ?
そこのお店でパソコンできる施術者探してるんだって。行ってみない?
なんという偶然が。偶然なのか?
ここ数日地図を凝視している私は、伊勢佐木モールの場所を知っていた。
北東の範囲内だったからだ。
ここを辞めた後の収入の当ても考えなくてはならなかった。渡りに船、とはこのことか。
私は、面接に伺いますと伝えてもらうことにした。
指定された10月10日以前であったが、伊勢佐木モールに向かった。そこはピラティスのスタジオレッスンを主体とし、タイ古式マッサージやリフレクソロジー、整体も営業しているお店だった。
オーナーの希望はこうだ。
タイ古式マッサージのスクールを立ち上げたいのよ。
パソコン周りや事務仕事もできる子が欲しくて。
HPとか作れる?
あなた、リフレもタイ古式も整体もできるんですって?
月給20万出すわ。来てくれない?
驚いた。
歩合仕事に慣れていた私は、引っ越し後の固定給がひどく魅力的に感じた。鎌倉店では月給10万円で、と言われたことが、ここでは20万でどうだ、と聞かれた。
なんだ?なんだ?
アルバイトを始めようと思っていたので、じゃぁここでもいいか、と安易に考えた。
今月中にはこの近辺に引っ越して来ます。よろしくお願いします、といって握手を交わした。賃貸契約をするには、就職先と収入も記載しなくてはいけない。
ほ、とため息がこぼれた。
今思えば、施術にも入って、スクール立ち上げの仕事もするには割に合わない給料だ。
それでも私は目先の収入に飛びついた。
仕事とは、相手に喜んで貰って得る利益、というところの、相手、が誰かも分かっていなかった。
営業時間は10時半~20時半。引っ越したら12時間自宅に居なくて行けない、という縛りが発生する。
10時に家を出たとして22時までには帰宅しなくてはいけない。新しい職場の近くに部屋を探さなくてはならなくなった。
伊勢佐木モール内や関内駅付近の不動産屋を周り、あちこちの物件を見せてもらう。
案内されるのは中華街の中にあるマンションや、眠らない街で眠らなくちゃいけないような場所だった。関内は場所柄、夜の仕事をしている人が多い。
ほらみろ、ドラえもんの奴。そうそうないじゃないか。
そうひとりごちりながら、ひとつ隣の駅まで行ってみようかな、と思った。
ドラえもんは、石川町あたり、とも言っていたなぁ、と思い出したのだ。
石川町駅からふらふらと歩く。小さな飲食店が並んでいるが、伊勢佐木モールとは異なり、戸建ての住居も目立つ。
大きな通りにぶちあたり、周りを見回すと小さな不動産屋があった。
ごめんください、と扉を開けた。
女の子の一人暮らしだったら、あそこが良いんじゃないかな。
パン屋の上。
元町の中だから治安もいいし。
家賃の値段も大家さんに相談してあげるよ。
・・・。
管理費負けてくれるって。
小さな部屋だけど、見てみる?
親切な、不動産屋さんだった。
丁度、物件探しを始めて4件目の不動産屋さんだった。
マニュアルの文が頭に浮かぶ。
『そのうちの1社が必ず親切にしてくれますので
その業者の物件で決めること』
私はうっすらと鳥肌を立てながら、その物件を見に行った。
本当に小さな部屋だった。
パン屋の真上、ではなく、パン屋さんの横の道を通って20mほど先の建物だった。
小さな階段を下ると左手には可愛らしい小さな古着屋さんやシルバーアクセサリーのお店が並んでいる。右手に3階建て15世帯の一人暮らし向けマンションが建っていた。そこの2階の一番奥を案内される。
1Kの部屋は玄関を開けると正面にユニットバス、左に進んで小さなキッチン、その奥にフローリングの部屋だった。収納は半間。角部屋のため正面の窓の他に、右手に出窓が施されていた。延べ面積18平米。小さい。
その部屋の近所にはヤクザの親分の家があり、24時間体制でスーツを着た若い衆が立っている。
門番さんですよ。この辺はお陰様で空き巣もでませんよ、と不動産屋は微笑んだ。
私はこの時に、初めて横浜元町に足を踏み入れた。
そこは伊勢佐木モールとはまるで趣向の違う商店街を併設した街だった。
石畳で舗装された歩道はヨーロッパの雰囲気を醸し出し、近くに見える墓地ですら外人墓地と言って墓石は十字架だった。墓地に隣接する元町公園は緑が多く、公共の屋外プールもある。その公園を登ると、港の見える丘公園があるらしい。マンションの向かいは料理屋さんの厨房の出入り口になっていて、お出汁の良い香りが漂ってくる。外階段では野良猫が昼寝をしていた。
のどかだった。ひどく、のどかだった。
『生命はおかれた生存環境に大きく命を左右されます。』
マニュアルの言葉が浮かんで消えた。
環境の違いとは、こういうことか、と思った。
これまでに案内された部屋で、中華街の中にあるマンションを見に行ったことがあった。
そこには中国語で書かれた注意書きが掲示板に張られていて、不動産屋に尋ねると、
中国の方はお国柄、敷地内でタンを吐くことがあるんです、それはロビーで吐かないように、と書かれています、あと、中国の方は地声が大きいので、日本の方は怒鳴られているように感じるかもしれませんが、そんなことないですからね、ただ、同じマンションに暮らすとうるさく感じるかもしれませんが、と説明された。
また、伊勢佐木モール内のマンションを見に行ったとき、集合ポストの下に大きなごみ箱が設置されていて、これはなんですか、と尋ねると
DMなどが沢山入ってしまうので、ポストの下ですぐ捨てられるように設置されているんですよ、と説明を受けた。しかしそのDMたちはごみ箱からあふれ、床に散乱している状態だった。
車で案内先まで移動している最中、路地の角々に女装をした東南アジア系の細身の男の子が、ぽつりぽつりと立っているのを見かけた。あれは、と不動産屋に問いかけると、苦笑いを浮かべながら、あぁ、男婦さんですよ、と答えた。つまりは娼婦さんだった。
こういったことは、最初は気になるが慢性化してだんだん気にならなくなる。その環境に自分がなじんでしまうのだ。どういった環境になじみたいのか、どういう人が暮らす中で生活したいのか、ちゃんと選択しなくてはいけない。
かといって背伸びもできない。
私は元町の小さな部屋を選んだ。
母に連絡を取り、せっかく藤沢への引っ越しを手伝ってもらったのに申し訳ないが、また引っ越すことにしました。保証人の蘭をお願いできませんか、と告げた。
動揺させるかな、と思った。心配させるかな、と思った。せっかく独立したと思ったのに、まさか路頭に迷っているのか、と思われるかなと思っていた。
母は目をキランと光らせ、面白いわね、パパに内緒でやっちゃいなさいよ、ママがサインしてあげるから、と言った。良くなる、って言われて動いてるんだからやりなさいよ、いいな、ママもそういうのやりたいな、と言って笑っていた。
藤沢の部屋も、たった半年で引っ越しとなって、違約金とか発生するのかしらとドキドキしていたが、あっさりと受理された。
なんだろうか、このスムーズさ。気持ちが悪いくらいだった。
こうして10月10日から行動を開始し、引っ越しを終えたのは10月25日だった。
なんだかすごい。ものすごい勢いで色々なことを決めていく。ぐるぐると環境が変わってくる。そして、ここから70日間、外泊はできない。
カレンダーを確認すると、70日後は年明けの1月3日だった。年末年始も実家に帰れない。母にそれを話しても、やっちゃえやっちゃえ、と楽しそうだった。
ここからは時間との闘いだった。
日中は施術に入り、スクール用のHPの作成やパソコン仕事は持ち帰って自宅で行った。
SEだったからと言って、HPの作成をしてきたわけではない。作成ソフトを購入し、勉強しながらの作業だ。また、営業時間は20時半でも予約が20時に入れば終わるのは21時半を回る。22時ギリギリの帰宅になりそうなときはタクシーを使うこともあった。時計を見ながらギリギリまで自宅に居るようにし、12時間在宅を死守した。常に駆け足だった。もちろん飲みにも行かない。
スクール立ち上げのためにオーナーは講師予定のスタッフを連れて、タイに行っていた。タイのお寺で行われているレッスンを受けて戻れば、もう講師としてできるでしょ、という考えだったらしい。私は、自分が施術できることと、人に教えてできるようにするのは違う技術だから、教え方の練習をしてからじゃないと、と意見をしていた。
だんだんとオーナーの意向を聞いていて、なんだかおかしなことに気が付いた。
とにかく儲けられればいいのよ。
さっさと募集の告知を出して。
ヨガとかも募集してよ。
誰かできる子知らない?
バランスボールでもなんでもいいわ。
なんでもいいからお客を入れなさいよ。
いえいえ、まだカリュキュラムも講師の教育もできていませんし、と言ってもまるで聞いてくれない。適当な人に声をかけて、スタッフばかりが増えていく。遅々として首を縦に振らない私を置いて、オーナーはどこからか生徒希望者を連れてきてしまい、授業料を受け取ってしまっていた。
危ない。なんだか詐欺の片棒を担がされている気がする。
ピラティスを担当している講師の子と話をする機会があった。
なかなかミキちゃんと話ができないからさ、どうなっているのかと思って。
ピラティスの方のレッスン取らないでって、タイ古式の授業でスタジオ使うからってオーナーに言われてるんだけど、知ってる?
ここ、スクールになるの?
ピラティスはどうするか、聞いてる?
寝耳に水だった。
まだカリキュラムも出来上がっていないのに。どうやって授業を?誰が講師で?
オーナー自ら講師を務め、口頭のみで授業を始めたらしい。私が休みの日に実行されていた。不信に思っていた私がHPのドメインがまだ取れないんです、などと言い訳してスクールの開設を伸ばしていたからだ。オーナーは強行突破に出たが、タイ古式ができるオーナーの友人達と3人がかりで1人の生徒にあれやこれやと指導し、生徒さんは筋肉を傷め、やっぱりこのスクール辞めたいから授業料の返金をしてほしい、とトラブルになって行った。私に隠れて実行してしまったので、オーナーも私には相談できない。その間に私はピラティスの講師の子と仲良くなって、このお店の内情を把握し始めていた。
講師の子は、オーナーの、とにかく儲かればいい、という主義に嫌気がさし、でもチケットを買って通ってくれているピラティスの生徒さんだけは守ろうと、懸命にレッスンをこなしていた。そして意図的に私と講師の子が接触しないようにされていたのだ。ピラティスの回数券は10枚綴りで3万円以上する。それが売れた後はレッスンに来てほしくないと思っているオーナーに、講師の子は怒りを感じていた。オーナーにとって都合の悪い話を私の耳に入れないようにしていたのだ。
思い通りにならない運営にオーナーは切れ、私と講師の子が共謀してレジのお金を盗もうとしている、と税理士に相談していた。私と講師の子は言われるがまま年内で退職、その間は自宅待機、もう店には出てくるな、という無実の罪を着せられることになった。
それでも私も講師の子も、ここを辞められるのならば、と黙って受け入れた。
70日の期限まであと10日に迫ったときだった。自宅に12時間以上居なくてはいけない私としては好都合だった。
スクールの生徒さんに返金されたことは確認できたが、オーナーは、あの子にもいい社会勉強になったでしょう、簡単に契約書にサインを書くからよ、返金してもらえただけ有り難いと思いなさいよ、などと訳の分からないことを言っていた。
なんだろうか。辞められて良かったけれども。
引っ越しをして、また無職になってしまった。
それでも鎌倉店を辞めたときと違って、なんの迷いもなかった。
もうタイ古式のお店で働くのは辞めよう、整体師に戻ろう、と決心していた。
タイ古式マッサージを受けに来る人は、趣向の部分が多いと感じたからだ。
痛い、苦しい、よりも、癒しを求めに来ている人が多い。
私は癒しを提供して利益を得るよりも、痛い、苦しいという人に接して、自分の知恵や経験を生かして改善していく姿を見ていたいな、と思った。それが性に合っているな、と。
占いを信じて動いたのに、悪いことが起きた、と捉えることもできたかもしれない。
でも私はここをクビになることに、何の不満もなかった。
詳細に見てみてば、この伊勢佐木モール店の話が来たのは引っ越しをする前の話で、まだ私の判断力が低下している状態、のときだった。
引っ越し後70日の間に、このオーナーと今後も付き合っていくかを判断できるようになった、とも捉えられる。オーナーは最初からずっと、なにをやっても儲かればいい、というスタンスだった。それに私は当初気が付かず、言われるままに動いていた。時間が経って私の想いと違うな、と思うようになったのだ。ただお金さえ入ればいい、というのは嫌だな、と思った。ここで働いていく、ということは、自分自身も、お給料さえもらえればなんでもいい、と言っているようなものだ。お給料を貰いながらオーナーの指示には従えません、というのもオーナーも詐欺にあっているようなものだ。
お互いにとって、良くない。
決別するべきだ、と思った。
でもこういう考え方は、占いにはまる、という事なのかな、宗教みたいかな、と不安にもなった。まだわからない。何が原因で何が結果なのか。
余談だが、私が辞めた翌年、鎌倉店と伊勢佐木モール店は閉店している。
本当に辞めてきて正解だった。