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16/9/28

子連れでオーストラリアに留学してみた~習い事編~

Image by Olia Gozha

習い事、日本を発つ前からやろうと決めていた。

まず私。私は主に体を動かす系。

大学のジムには、よく、図書室での自習の合間に通った。

おもに受けたのがピラティスとヨガの講座。ちょうどお昼頃の時間に開講されていたので、午後の自習(子供たちのお迎えまで)もすっきりした状態で身が入るようになった。

それから公園で開かれていた運動講座。こちらは事前に予約し、2か所行ってみた。

1か所目は

「ブートキャンプ」。

当時現地ではやっていた「The biggest loser」という番組があり、コーチの指導で運動しながらどれだけ痩せられるかを競うものがあった。そのコーチのひとりが鬼軍曹で「コマンドー」と呼ばれていた。そのコマンドーさながらのコーチによる1時間みっちりの運動プログラムがなんと無料で毎週開催されていた。肥満を減らそう!を目的にしてるのだと思うが、そういうところに自ら足を運ぶ人たちは私を含めて痩せている人が多い気がする(私はあまり太れない体質、、)。そして自分に厳しい人たちが多い気がする(私は自分にも他人にも厳しい性格、、職業柄しかたないのか、、と)。そのコマンドーもどきのコーチにパーソナルトレーナーをお願いしているらしいむきむきマダムたちに混ざり、ヒョロヒョロ学生のわたしも公園内のアスレチックフィールドを走り回った。このあたりから走ることが好きになり、帰国後は地方マラソン大会で10Kmに出場するのが恒例行事となった。依然の自分からは考えられない成長だ。

次に上の子。彼女はYAMAHAのピアノ教室に通っていたので、どうにかそれを続けさせたいと思い、ネットで調べておいた。少し進度を戻す形になったが、車で40分の場所に開講されている講座を発見。渡豪すぐに習い始めた。レベルは日本よりは低いかな、、と思ったが、英語になれるにはよい環境だった。先生もマレーシア出身の方で日本のアニメの話とかしてくれてすぐになじんだ。発表会(YAMAHAは地区でまとまって合同でやる)にも参加できたし、グレードテストも1度受けた。開講講座の場所や時間の変更で1年間しか続けられなかったが、毎週通った思い出の場所になった。(ピアノは買えなかったので2万円で小さなキーボードを購入して練習していました)。


二人一緒の習い事は結構やった。まずサッカー。「シールポニー」というチームに入った。コーチは中学校の体育の先生などがボランティアでやっていて、二人をかわいがってくれた(ような気がする)。オールイヤーではなく、年に2季ほど開催されていた。それで残りの2季にはバスケットボールをやらせてみた。こちらは「オージーフープス」というチーム。ボランティアでコーチをしてくれているお兄さんお姉さんがたと一緒に楽しんでやってくれた。日本のスポーツ少年団ほど縛りも厳しさもなく、気楽に楽しめるのがよかった。

それからテニス。夏休み中の集中講座に行ってみたら結構楽しかったので、続けることになった。こちらは車で40分ほどかかるテニスクラブ「エリートテニスクラブ」。インド系オーストラリア人のコーチが面倒を見てくれた。帰国後もテニスを続けているが、メルボルンのテニスができる環境がいかに素晴らしかったかを痛感する。街中のあちこちにテニスコートがあり、大学にもあり、暇があればよく行っていた。もちろん全豪オープン観戦にも行った。私はテニスをやらないが、いつかやりたい思わせてくれた。

おまけで「サーカス」にも挑戦してみた。夏休み中に2,3日通ってあとは続けられなかった(場所と時間の問題があった)が、面白そうだった。


小学校でも習い事をあっせん?してくれる。昼休み中に習うことができる。で、上の子はヒップホップダンスを習ってみた。1学期間でやめてしまったが、発表会にも一度出た。ヒップホップは授業でも取り入れられていて、朝の集会や学期末の集会で披露したりしていた。さすがラリアだね、、と思った。

いつでも3人で過ごしていた私たちにとって、学校以外の人たちにふれることは必要不可欠だった。習い事を通してたくさんの人たちに出会えた。そして私たちの世界を広げてくれた。

出会いに感謝。




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Image by Jukka Aalho

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