恐るべき未来へと
《これまでのあらすじ》初めて読む方へ
普通の女子大生だった篠田桃子はある出来事をきっかけにショーパブで働き始める。野心に目覚めた桃子はそこに居場所を見出し、恋人と別れクラスメートからは避けられても、挫けず着実に地位を築いていった。そんな最中、ホステスの中で唯一友達だったミホが事件を起こし店から消え、桃子は不安と寂しさでいっぱいになるのだった。
その手は憎悪そのものだった
嫉妬や妬み、そして裏切り
私を打ちのめしたのは、そのどの手からも殺気が
伝わってきたからである
私はそのドス黒い無数の手に殴られ、叩かれ、辱められ
押し付けられたた挙句
奈落の底に突き落とされた
…助けて…
大声で叫んでいるつもりが
声にならない
か細く、弱々しい声
無力な自分
私は、このままどこに
堕ちていくのだろう……
ハッとして瞼を開いた。
見慣れた部屋の天井と蛍光灯がそこにあった。
夢だったのか…
嫌な夢
私は上体を起こし、額の汗を拭った。
昨夜、終電に間に合わずタクシーで帰って来て
布団に入ったのが深夜2時。
いつもより少し早いくらいだった。
その時は寒くてしばらく布団の中で縮こまっていたというのに
今朝は脇から何から汗でベッタリしていた。
私は気持ち悪くてすぐシャワーを浴びに立った。
サッパリした身体で、椅子にまたがりパンをかじりながら
テレビのニュースを流し見した。
いつもは何の感情も持たずに観れたが
画面に暴行されて亡くなった女性の顔が映った瞬間
ついさっきまでの恐怖が蘇ってきた。
私は身震いし、テレビを消した。
そして暗い気分をかき消すため
2限の授業のためだけに大学へ行く支度を始めた。
3限と4限に出るつもりはなかった。
この教授は一切出席を取らないことで有名だったからである。
重たい足を引きづるように私は大学までの坂道を登った。
学校のない日は
布団の中で深い眠りの中にいる時分だ。
すでに10時をとっくに過ぎていたが
日の眩しさには、まだ朝の名残があった。
私は目を細め、前を楽しそうに歩く学生たちを見ていた。
2年生も残すところ後、1ヶ月あまりだ。
普通は3年生になると週の半分くらいの登校で済むはずだったのに
この半年間で多くの単位を失ったおかげで
私は他のクラスメートより、多く大学に通わなくてはならない。
当然っちゃ当然だ。
怠けたツケが回ってきたのだから。
仲の良かった子たちとのネットワークを消失してしまったせいもあった。
互いに代返しあったり、試験のヤマを教えあったり
急なお得情報を流しあったり
そういうことから全て離れてしまったのだから
要するに単位を取ることに不都合が生じたのだ。
全ては自業自得というわけだ。
2限が終わり席を立とうとすると
苗代という教授に呼ばれた。
40そこそこの助教授だ。
見た目は神経質そうな印象だが、若いせいか学生の立場をよく理解してくれ
冗談が通じる先生として、学生たちから人気があった。
苗代の授業は必修科目で落とすと進級できなくなる。
来年のゼミも彼の担当するクラスに入る予定だ。
というのも、噂で由美たちのグループが就職に強いからと言って
大ベテランの年配教授のチームに入ると聞いていたからだ。
苗代と表示されているプレートのドアを開けると
彼は吸っていたタバコを消して笑顔で迎入れた。
苗代は向かいのパイプ椅子に私を座らせると
「最近、イメージ変わったね」
と私の髪を見ていった。
私はそれまでしたことのないような明るい色に髪を染めて
化粧も自然と濃くなっていたし、何より決定的なのが
肩にかけているルイヴィトンだろう。
この半年で知らず知らず私の身なりは大きく変わっていたのだ。
「そうですか?」
私の目にやや不快さが宿っていたのに気がついたのか
苗代は、パーにした手を顔の前にかざして
「いや、いいんだ。それは。おしゃれしたい年頃だろうし」
でね、僕が言いたいのは…ね
苗代は私の出席がギリギリであることや
他の教授たちからも、真面目だった篠田がなぜ…
という質問が何件かあったことを静かな口調で語った。
そして、いれたてのハーブティーを差し出しながら言った。
「バイト…か何か、夢中になるものでもあるのかな?」
「いえ、まあ。」
私は言葉を濁した。
「サークルだって恋愛だって何だって夢中になれるものがあるのはいいことだよ。
何たって若いんだからね。でも、今すべきことを忘れないでくれよ。
君はずっと優秀な学生だった。模範的で明るくて素直で…」
苗代は、自分の青春時代の話を織り交ぜながら
時にはドヤ顔や苦笑いを交えて話し続けていた。
彼の言葉は、残念だが私の耳にあまり入ってこなかった。
それでも表向きは、ハイ、ハイと素直に相槌を打っていた。
僕は、いつだって君のことを応援してるからさ
そう締めくくった時の彼に顔は自己陶酔でいっぱいだった。
しまった。
皮肉系対人分析、ひねくれた視点
この半年でこれが、すっかり身についてしまった。
私は家に帰りベッドにもたれながら少し反省した。
あんなに学生から慕われていて、
自分のことを心配してくれている教授のことまで
素直に信じて受け入れられないなんて
私、どうかしてる。
私はため息をひとつついて立ち上がった。
もうすぐ出勤時間だ。
今夜から後半のショーにも出演することなった。
それはショーに出演する者にとっては光栄なことだ。
これでまた確実に指名も増えるだろう。
昨夜、帰るとき玲子さんがにっこり微笑んで
「期待してるから」と声をかけてきた。
その笑顔が本物か疑っている自分がいた。
どうしても、あれ以来思い出してしまうのだ。
この「パテオ」からミホを追放したときの
彼女の冷酷なもう1つの顔。
もうすぐ1ヶ月経つ。
ミホがいなくなっても店は何1つ変わりはしなかった。
あの恐ろしい事件のことは誰1人口に出す者がいなかった。
玲子さんが全てのスタッフに口止めしたせいだ。
噂では顔の半分がただれてしまったというアキナは
すでにお払い箱になったらしい。
私がパテオを続けてきたのは玲子の存在が大きかった。
それは玲子の人格や立ち振る舞いにはどこかで憧れていたからだ。
でもあの事件以来、彼女を慕う気持ちと共に
ホステスとしてのやる気も失せかけていた。
でもそんな時を見計らったかにように
玲子からショーの出番をぐっと増やすと言われたのだ。
私にとってすでにショーは特別なものになっていた。
自分を解放し、表現し、野望を剥き出しにできる場所と時間。
これはなくてはならないものになっていた。
すでに私は、パテオから足を洗えないまでになっていたのだった。
そして今夜が後半のショーのデビューというわけだ。
さらに
その夜、私は意外な人物に遭遇するのであった。
その人物に近い将来、牙をむくことになるとは
この時は思いもしなかった。