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16/9/19

偏差値35だった僕が名門大学に入学し 在学中に公認会計士試験に合格した話。1

Image by Olia Gozha

僕は今30歳です。 立命館大学在学中に公認会計士試験に合格し、卒業後は有限責任監査法人トーマツへ就職。

2013年3月に3年間勤めたトーマツを退職して起業し、 現在は株式会社Social Riverの代表取締役です。 独立して4期目を迎えています。

事務所なし従業員なしでほぼ固定費がかからない中、 粗利ベースで今期は年間2億円以上を見込んでいます。

今は1日平均60万円の利益が僕の講座に入ってきます。 とはいえ、働いているのは1日3時間くらいなので、時給に換算すると約20万円くらいです。

「才能があるからやり遂げることが出来てるんじゃないの?」

と考える人もいるかもしれません。

高校3年生の時の偏差値はたったの35。 アルファベットも全部は言えず、漢字の読み書きも怪しいレベルでした。

僕は決して特別な人間ではありません。 でも、こうして成功することが出来ました。 誰にだって、実現可能なことなんです。 行動を起こすか、起こさないか。 たったこれだけ。 悩み続けているだけでは、何も変わりません。 今こそ、行動を起こしてみませんか?

学年成績ほぼビリだった中学時代

1986年2月、僕は三重県三重郡川越町に生まれました。

僕の家族は父と母と兄の4人でした。

父は写真館の個人事業主でプロのカメラマン。 母は若い頃ミスコンにも選ばれたこともある程のめっちゃ美人。 父と母はとても仲が良く、僕にとっては自慢の両親でした。

兄は成績はずっと一番のまま、最終的には東大で先生をしていました。 成績優秀な兄とは対照的で、僕は本当に勉強が苦手でした。

中学1年の頃

「進研ゼミ」で全力で勉強して、一番をとってやろうと死に物狂いで勉強して臨んだ中間テストの 結果が、学年110番中80番。

「俺って頭悪かったんだ...(ショック)」

「勉強やめやめ、スポーツやろう。スポーツ推薦で高校にいこう!」

とスイッチを切り替え、野球に熱中しました。

中学2年の冬。

野球で上に行ける才能がないことに既に気づいていました。 しかも成績は80番よりも落ちて110番中100番以下。

ほぼビリ。

その頃、あれほど仲の良かった両親が離婚。 横浜に住むという母親にはついていかず、兄と僕は父と3人で暮らすことに。

これがきっかけで母親と仲が悪くなり、僕はちょっとグれました。

髪を染めたり、ピアスを開けたり...

野球もダメ、成績ほぼビリ、写真館経営の父の収入はそんなに高くはない。 「このままだと、将来ヤバイな...」 大学どころか下手したら高校にさえ行けないんじゃないかと心配し始めました。 「そうだ、勉強だ。勉強しよう!」

真剣に授業を聴き、家に帰ったら寝るまでずっと勉強しました。

しかしスタート地点があまりにレベルが低かったのです。

地元ヤンキー高校へ

僕が進学したのは、公立で「地域で下から三番目」と言われる高校でした。

偏差値43、倍率0.97倍。

つまり受験すれば誰でも入れるわけです。

男子の90%がヤンキー、女子の80%がほぼ茶髪のギャル系です。 僕も当時はバリバリヤンキーというか、やんちゃなジャニーズJr.といった雰囲気でした。

校内で騒ぎが起きない日は1日もなく、

何日かに一回は暴走族仕様のバイクが2、3台学校の周囲を走り、

喫煙で退学になる生徒があとを絶ちません。

ギャル女子高生たちは、朝すっぴんで登校し、 授業が終わる夕方頃にはメイクをばっちり仕上げます。 放課後には女子生徒が出てくるのを待つ、いかつい車が学校の外に並びました。

1年に1クラス減るほど退学者が多く、 たとえ卒業しても、良い方で地元で就職か地元の専門学校へ。 あとはバイトか水商売で、早くに結婚し、 会話といえば車のことばかりで、週末ごとにイオンへ大量の買い出しに行く。 まさに日本各地に根付いているといわれている「マイルドヤンキー」候補生の集まりでした。

そんな感じの高校で、勉学には熱心ではないぶん部活が盛んでした。

吹奏楽部に入部

楽器経験ナシ、楽譜も読めない僕が吹奏楽部に入部した理由は 「可愛い女子部員が多い」 与えられたパートは希望者の少ないトロンボーンでした。

僕は熱心な部員ではなく、吹奏楽部に何の貢献もしていませんでした。

夏の県大会目前の大事な時期に、僕は事件を起こしてしまうのです。(2へ続く)

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