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16/9/23

引きこもりがニューヨーク留学をした結果大企業に就職した話~vol.3 はじめての挫折から大学受験、引きこもり突入~

Image by Olia Gozha

神様って信じる?


高2の夏、すべてを失った気がした。

野球、勉強、将来の展望、周りに対する優越感、自尊心、アイデンティティ。


何のために高校に通い自分はこれからどうなるのか、めちゃくちゃ不安で、恥ずかしくて、情けなくて、でもどうすればいいのかわからなくて、なにもする気も起きなくて、ただ生きてるだけだった。



そんな時、副担任に放課後声をかけられた。


この副担任は、とにかく変わった人だった。


尾崎豊の「僕が僕であるために」のCDを授業中に流したり、ことあるごとに「人間は考える葦である」「我思う、ゆえに我あり」など著名な哲学者の言葉を引用したりとかなり暑苦しい人だった。

それでも、

【人間として生まれたからには考え続けろ】

という先生の一貫したメッセージが当時の僕には妙に刺さったことを今でも覚えている。


副担任「ちょっと話せる?」

「部活あるんで急がないといけないんですけど、ちょっとだったら。」

副担任「なぁ、神様って信じる?」

「は?」

副担任「ぼくはね、神様っていると思ってるんだよ。そんで、神様は人間を成長させるために各々のレベルに合った試練を与えるんだけど、それはギリギリ乗り越えられるレベルの試練なんだ。神様は、乗り越えられる試練しか与えないんだよ。」

「。。。」

副担任「それだけだ。部活がんばれよ。じゃあな。」



めちゃめちゃクサい言葉だけれど、当時の自分は救われた


「今更もう遅いかもしれんけど、やるだけのことをやろう」

「楽しもう」


スタメンだの、大学だの、将来だの、ぐだぐだ考えるのは止めにして、とにかく今を楽しむことに集中した。


結果的に、最後の夏の大会ではずっとやってきたポジションでの出場はなかったし、大した成績もあげることはできなかったけれど、悔いのない形で高校野球を終えることができた。


又、可愛い彼女もできた。体育祭では応援団長をやり、とことん高校生活を楽しむことができたと思う。



そしてなにより、辛い練習を一緒に乗り越えた野球部の仲間ができたこと、野球部以外でも僕に大きな影響を与えてくれた先生や同級生との出会いは今でも大きな財産だ。





悔いのない高校生活、ただし進路を除いては。


当初、指定校推薦で早稲田か法政に進学するつもりだった。

だが、うすうす気がついてはいたが、評定平均が足りなかった。


授業中にほぼ寝てたので当然である。

高校時代の教科書は、よだれにまみれてペラペラだった。


じゃあ、どうしよう。


「勉強しよう。浪人しよう。早稲田に行く!」



そして、暗黒の浪人生活に突入。


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壊滅的な成績からの挑戦、躍進、そして引きこもる


高校3年の9月。

受験での進学を決めた僕は、初めて模試を本気で受けてみた。



「それまでの模試は睡眠時間に充てていたから結果は伴わなかったけど、言うても中学まではそこそこ勉強できたし、偏差値とかあんまりよく分からんけど50はあるでしょ」


完全に舐めていた。

結果は散々。


国語⇒偏差値55(130点/200点)

英語⇒偏差値36(35点/200点)

世界史⇒偏差値38(20点/100点)


上記の副担任の影響と好きになった女の子が読書好きということで、読書にふけった3年間だったのが功を奏して現代文では点数が取れたが、それ以外は壊滅的

根拠を持って回答した問題などほとんどなかった記憶がある。


早稲田大学の偏差値が65くらいからだったから、現役での合格はもちろん浪人してもかなり厳しいスタートとなった。


10月、受験するとは決めたものの何からはじめていいかもわからないので、私大受験に定評のある地元の予備校に入った。

周りの同級生たちが最後の追い込みにかかるなか、僕は同じ高校の野球部から一緒に同じ予備校に入った友人と二人で高校1年生と一緒に授業を受けた。しかし、全くといっていいほど授業についていけない。

英語版朝日新聞の天声人語を3分間で読み大まかな内容をみんなの前で発表するという授業で、ピカピカの1年生たちが次々に正解していくなか、僕と友人は最後まで読み終わることも出来ず、ただただ恥ずかしい思いをするばかり。

”白球を追いかけ甲子園を目指す”ことを言い訳にして、一切の勉強を放棄してきた過去の自分たちを恨んだ。


「これは流石に、本当に、まずい。」


見かねた先生が僕ら二人にアドバイスをくれた。

「とにかく単語を暗記しなさい。最低限必要な3000語を完璧になるまで丸暗記!まずはそこから!」

ということで、高校三年の10月から初めて単語帳を開き暗記を開始した。

1日に100語。次の日は前の日の100語と合わせて200語。その次の日はそれまでの200語を合わせて300語。一通りやり終えたら体に染み込むまでひたすら繰り返し。

3000語を完璧に覚える頃にはセンター試験を迎えていた。

センター試験結果

国語⇒140点/200点

英語⇒140点/200点

世界史⇒20点/100点

現代社会⇒80点/100点


最低限の英単語を覚えただけで、推論すれば長文問題もざっくりだが読めるようになっていた。

文法やイディオムの理解は乏しかったし、古典や世界史に至っては全く手を付けていなかったから、難関私大に合格する成績とはほど遠いものの、現代社会の成績を加味すればそこそこの私大に合格できるところまで3か月余りで到達することができた。


「これは浪人すれば楽勝じゃん」


すぐ調子に乗る悪い癖。

何はともあれ、こうして浪人生活に突入した。



浪人生活

浪人が決まった2月から日本史を一から始めた。

世界史や現代社会は出題範囲が広く、努力の成果が表れにくいということだった。

それからは山川出版の“日本史B一問一答”をどこへ行くにも持ち歩いた。

回答部分はもちろん、問題部分も緑色の蛍光ペンで重要部分を線引きし、赤いシートで隠して覚えるというスタイルで手垢まみれになるほど向かい合った。


その結果、日本史を始めて4か月経った6月頃には、模試の点数は98点を獲得し、偏差値は80を超えた。

(※余談だが、日本人は留学すると如何に自分が祖国の歴史を勉強してこなかったのかということを思い知る。アメリカ人やその他の国の学生は理数科目は弱くとも自国の歴史についての造形は深く、皆意見を持っているのに。なので留学したい人・する予定の人は、英語の勉強はめちゃくちゃ大事ですが日本史もある程度覚えましょう。日本好きの外国人と仲良くなれるよー。)


「日本史は完璧。あとは秋までに英語を完璧にして、古典を抑え、過去問を解きまくれば合格は見える」そう自分に言い聞かせた。


順調だった。そのはずだった。



7月、突如失速

これは未だに僕の課題でもあるが、一つのことに集中すると他のものが全く見えなくなるほど打ち込むことができる半面、それを長期間継続することができない節が昔からあった。

浪人覚悟で受験勉強を始め、彼女とも別れ、なりふり構わず半年余り続けてきたが、突如として一切熱が入らなくなってしまった。


完全な思考停止状態。


そんな時、昔から僕を可愛がってくれた祖父が亡くなった。

祖父がいなくなった空虚さが、やる気の低迷に更なる拍車をかけ、予備校をしばらく休んだ。


「俺は何のために勉強してるんやろ」

「今こうしてる間にも仲間やライバルは先に進んでるんやろな」

「もう俺取り残されたな」


そんなことを考えると、もう予備校には行けなくなっていた。

今考えると本当に情けない話だが、当時は本気でそんなことを思っていた。


そして、次第に“大学生”でも“専門学校生”でも“浪人生”でもない、何者でもない自分の存在そのものが急に恥ずかしくなって、情けなくなって、苦しくなって、頭がおかしくなってしまった。

気が付くと、他人の視線が恐くなり、みんなが自分のことを馬鹿にしているんじゃないかと、ありもしない被害妄想を抱くようになった。



そして、僕は部屋に引きこもった。


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