心の悲鳴
《これまでのあらすじ》初めて読む方へ
大学生の桃子はショーパブでバイトをしている。それまでの自分を捨てて、そこに居場所を見つけようとする。必死で接客を磨き、ついに店のベスト10に入ることができた桃子だったが、大学では桃子に悪い噂が立ち始めていた。そんな中でミホという桃子とは真逆にタイプのホステスとの仲が深まっていた。
ミホの男性遍歴は
ひと言でいえば
凄かった。
よく言えば
恋多き女
悪く言えば
悲惨だ。
中学に行かなくなり、遊びに夢中になった頃から
異性と付き合うようになった。
母親は夜の仕事で
娘が学校に行っているのかどころか
家に帰っているのかさえちゃんと把握していなかった。
それをいいことに
ミホは朝まで遊び歩いた。
お酒の味を覚えたのもこの頃だ。
10代ですでに両手じゃ間に合わない数の男と寝たと言う。
その頃、ニキビ面におさげ頭で掃除をサボろうとする男子を
小うるさく取り締まっていた私には
想像もつかないような日常
ただただ、口をあんぐり開けて彼女の話に聞き入っていたものだ。
「10代の終わりに付き合った男はね、キャバクラで知り合った妻子持ちでさ
嘘ばっかつく人だったよ〜。女房はデブなオバさんでもう愛情とかないから
お前と一緒になるとか言っちゃって。ある日突然、事故起こして保険に入ってなかったとかなんとか言って私にお金貸せって言うの。女房にバレたら離婚できないとか言うからあ、仕方なく50万くらい貸したのね。そしてしばらくしたら店に来なくなって音信不通。彼の知り合いから後で聞いたらさあ、ひどいのお〜。事故なんてウソだったとか、奥さんはすごく綺麗な人で子供は私立の幼稚園に通ってるとかね〜」
聞いていて苦しくなるような内容なのに
ミホは他人事みたいにあっけらかんとしゃべり続けていた。
23になる今の歳まで彼女は途切れなく恋愛している。
ただしそれらのほとんどが騙されるオチだった。
それでも憎しみを込めたりはせず
むしろ懐かしむような穏やかな口調だった。
結局この子は、純粋すぎるのだ
と私は思った
私なんかよりもずっと
先入観、邪念がないのだ。
人を疑わないから
すぐに人を好きになる
心の中が素直だから
そこにつけこむたちの悪いやつを吸い寄せちゃうのだ
なんとも皮肉なことだ。
「でもね〜、やっぱり過去の男たちをこうやって
杏に語れんのはさあ、今のカレシの存在があるからだよね。
あいつとはマジで合うし運命感じるんだよね。今までと違って
愛されてるって実感あるし」
ミホの話題は結局は現在、半同棲の大野という
パテオのボーイに落ち着くのであった。
「また、ノロケてる」
私が呆れて笑うと
「いいじゃーん。幸せのおすそ分け〜。
てかさ、杏もそのナルシストな元彼のことなんかほっときな。
いいオトコ紹介してあげるよ」
「いいよー。今は恋愛とか」
「な〜に、それ。恋しないと女はダメんなるってよ」
「ミホに言われたくない」
「なに、コイツ〜。むかつく。オイ、コラ!」
枕が飛んできて私の顔面にぶつかる。
私たちはいつまでも笑い合っていた。
不思議だ。
水と油みたいな私たちがこうやって一緒に寝ている。
ミホの寝息が聞こえてきた。
私は体を起こして仰向けになった。
ミホの布団の中で私は彼女の部屋の暗い天井をみつめた。
ミホの彼がいない日は私はこうやって泊まりに来ることが増えた。
当時私が心を許せる友達は彼女1人だったし
彼女といるのは心地よかった。
パテオでホステス同士の騒動があったのは
それから間もなくだった。
ショーの打ち合わせをしていると
突然、更衣室からギャーギャーと騒ぐ声が響いてきた。
一旦レッスンを止めてショーメンバーたち何人かで
更衣室を覗くと
ミホがものすごい形相で
アキナというホステス睨みつけていた。
まだ18歳の小悪魔っぽい子だ。
やり合ったせいか2人とも髪の毛が乱れていた。
私は見たこともないような鬼の能面のような
ミホの顔に釘付けになりながらも
「ミホ、どうしたの⁉︎」
と聞いた。
「コイツが…コイツが」
ミホは息も絶え絶えだった。
「アタシの男に手出したんだよ!」
その顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡れた。
出勤したばかりのホステスたちも固唾を飲んで見ている。
「聞いてよ!このオンナのせいでウチらはもう…」
ミホは今にも掴みかかろうとしていた。
私が何か言おうとしたとき
「ウッセーんだよ!!」
アキナが初めて声を荒げた。
「黙って聞いてれば、ババアが、ざけてんじゃねーよ!」
ミホに負けず劣らずすごい剣幕だった。
「アイツがしつっこく誘ってきたんだよ。
ずっと好きだったって。付き合ってほしいって。」
ミホが悲鳴のような叫び声をあげる。
「ウソだ!!」
「嘘じゃね〜よ!アイツ言ってたよ。お前みてーな馬鹿オンナはウンザリだって」
アキナは嘲るように吐き捨てた。
「お前のことなんか最初っから遊びだったってよ」
この子、絶対元ヤンキーだ…
いつも可愛い子ぶってるくせに。
私はミホの気も知らずそんなことを思っていると
ミホがうわあと声にならない叫び声を上げ
アキナに掴みかかった。
アキナも負けじともがいている。
「おい、お前ら、何やってんだ!!」
いつの間にか佐々木が更衣室のドアに立っていた。
すぐ後ろには玲子さんもいる。
床に倒れこんだ2人のホステスは気がつかずもみ合っている。
髪の毛も服も見るも無残に乱れていた。
ミホなどキャミソールの肩紐が取れはだけている。
「もう、やめなさい!」
玲子の鋭いトゲにある声に
ミホの手が一旦止まり、ドアの方を見る。
「もう十分でしょ、それだけ暴れたら」
玲子がそう言うと
アキナはチッと舌打ちしてミホの手を振り払った。
「アキナ、トイレで整えてきなさい。もうすぐ開店よ」
アキナはハイと答えるとやれやれという顔で立ち上がり
ミホを睨みつけると
「この勘違いオンナ」
と捨て台詞を吐いて出て行った。
ホステスたちはそそくさとその場から散った。
ボロボロに横たわっているミホが更衣室に残された。
佐々木はラウンジに向かって
「おいコラ!テメーら見世物じゃねーぞ。とっとと店開けるぞ!」
いつもの調子でボーイたちをどやしに行った。
私はまだ立ちすくんでいた。
「ミホ」
私の声は玲子にかき消された。
「帰りなさい」
低いがはっきりした声だった。
私は玲子の方を見た。
そこにはいつもの微笑は一切なかった。
代わりに恐ろしいほど冷淡な表情があった。
「痴話喧嘩ごときでよくも、ここまで大騒ぎしてくれたわね。」
ミホはうずくまったまま動かない。
「早く出て行けって言ってるの。それから、もうここへは顔出さないでちょうだい」
玲子さん…
いつもとのギャップに私はただただ驚いていた。
「杏もそんなとこに突っ立ってないで、接客の準備して」
「でも…」
私はミホを見た。
ミホはゆっくりと起き上がると
服の乱れを直そうともせず
カバンを掴んでヨロヨロと出て行った。
追いかけたい気持ちを必死で堪えた。
玲子さんの視線もあったし…
ここには私が必要としているものがある。
それより、何よりミホが今私を必要としているのか。
本音は怖かった。
今出て行ったミホは
私の知っているミホではなかったから。
私はどうすれば良いのかわからなかった。
この時ミホを追いかけなかったことを
私は後々までずっと後悔することになる。
でも、その時はそんなことを知る由もなかった。
玲子が私を見て言った。
「杏、まだそこにいたの?早く行きなさい」
私は声を振り絞るように呟いた。
「なんで、ミホだけなんですか?アキナにはお咎めなしですか?」
「何を言ってるの、逆恨みして大騒ぎしたのは誰?!」
「それは…でも、それだけ酷い事されたんですよ、ミホは」
「杏、あなた全然分かってないようね」
玲子さんがまっすぐ私を見据えた。
「あの子とアキナとどっちが店の売り上げに貢献してると思う?」
「そ、それは…」
「アキナは1日に必ず指名をとる子よ。若いしこれからまだまだ伸びる。
それに引き換えミホはどう?ここのところ週に1本でさえ取れない。
それはまだいい。向上心のない子は嫌いなの、私」
私は、言い返せず俯いた。
「そう思わない?あなたなら分かるでしょう?
あなたこそ向上心の優れた人だものね」
玲子の目は有無を言わせない鋭い光が宿っていた。
こんな目…できる人なんだ。この人…
私は玲子に軽く頭を下げ背を向け更衣室を出た。
売り上げ
所詮は金なんだ。
私はほんの一口、アルコールを摂取しただけで
スカイみたいに赤くなっている常連の顔をしげしげと見つめ
力なく笑った。
こいつも
あいつも
今私がいる世界は金にモノを言わせる人間の溜まり場だ。
そして
そんな中で誰より金に執着しているのは私なのかもしれない
そんな私にミホを弁護する力も資格もありはしないのだ。
思えば、あれが私の見たミホの最後の姿だった。
彼女は永遠に姿を消した。
強烈な置き土産を残して。
それは、騒動から1週間も経たないでやって来た。
騒動に続く騒動だ。
いや、これは事件と言った方が良いのかもしれない。