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13/5/3

すべてのコーヒーにストーリーがある ② ~アフターテイスト~

Image by Olia Gozha

アフターテイスト

 バリスタの一日はマシンの手入れをし、エスプレッソを抽出することではじまる。

メッシュは適正か、マシンはちゃんと動いているか、そして自分の抽出は完璧かを確かめるためだ。

 適正に抽出されたエスプレッソを一口飲み、「So nice」とつぶやく。なぜかこのときだけは英語になる。

 お客様に最高のエスプレッソを味わっていただく。これが彼の仕事であり、生きがいだった。

 7時に店をオープンさせると、決まって7時ぴったりに来る客が二人。サラリーマン風の男と近くでイタリア料理を経営するシェフだ。

 バリスタはダブルのポルタフィルタで抽出し、二人に提供する。

 サラリーマンは砂糖を2本、シェフはブラックで飲んでどちらも5分もたたない間に店を出る。シェフは帰りにアメリカーノをテイクアウトしてそれを飲みながら自分の店に戻る。

 これだけでもバリスタ冥利に尽きる、と彼は思う。

 そして最初の客足のピークが8時ごろに収まり、客席もまばらになったころ、彼女はやってくる。



「エスプレッソ。ソロで」と彼女は慣れた口調で言う。

 バリスタももちろん了解しているので「かしこまりました」と幾分声を上ずらせながら答える。代金を受け取る手がかすかに震える。彼女の手に自分の手が極力触れないようにそっと受け取ろうとするが、彼女の少し冷えた指先が彼の掌に当たる。

 会計を済ますと、彼女はバンコの前に立ち、カバンから手帳を取り出して何かを確認するようにそれを見ながらエスプレッソが来るのを待つ。

 バリスタはドーシングをして、レベリングをし、タンパーを握る。そして、小さく息を吐き出す。

 タンパーを優しく豆の上に置き心持ち優しく圧をかける。ポルタフィルタの側面を軽く叩き、二度目のタンピングを行う。ここで自分の気持ちも一緒に詰まってくれることを祈りながらタンパーを押し下げる。

 ホルダーにセットにスタートボタンを押す。大丈夫、すべていつもどおりだ。

 とろっとした液体がカップに注がれる。25秒間、彼はそれをじっと見つめる。彼女と視線が合わないように。

 ソーサーにスプーンと砂糖をひとつセットして彼女に差し出す。

「お待たせしました」

 彼女はほんの少しだけ口元を緩めて、長い髪が少しだけ前に揺れるぐらい頷く。それから手帳を閉じて、砂糖と入れ、スプーンで軽くかき混ぜる。

 バリスタは振り返ってダブルで抽出した、もう一方のエスプレッソを手に取り、一口飲む。

 「So nice」と口の動きだけで呟く。

 そのころには彼女も飲み終えていて、スプーンで砂糖をかりかりやっている。

 彼女は二口砂糖をかじると少しだけ余韻を楽しんで、左腕の時計に目をやり、カバンを持って出口へと歩き出す。

「ありがとうございました」とバリスタが言うと、彼女はまたほんの少しだけ口元を緩めて、長い髪が少しだけ前に揺れるぐらいの会釈をして、店を出る。

 バリスタは彼女が飲み終えたカップをシンクに置いて、先ほどのエスプレッソの残りを飲み干す。

 そして鼻から空気を吐き出してアフターテイストを感じながらもう一度「So nice」とつぶやいた。

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Image by Jukka Aalho

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