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16/9/7

元気かな、会いたいな、と思っています ①ユキヤナギ

Image by Olia Gozha

ユキヤナギ

科・属名 バラ科・シモツケ属

開花期 3~5月

花の色 白・ピンク

柳のような細い枝に、白い小花が降り積もったように見える。

花言葉 愛嬌・愛らしさ・賢明・殊勝・静かな思い

 

 

ふと、思い出す人がいる。

こんな5月の晴れの日は特にそうだ。

ある日彼は両腕で抱えるようにして、ユキヤナギを持ってきた。

当時私は、JR横浜線の駅から川を渡ったところにある整体院に勤めていた。

院長は常駐せず、私に副院長という名前を付けて店舗の経営をいい意味で丸投げしていた。

「大丈夫、大丈夫。いつか自分で始める練習だと思ってやっていいから」

という言葉を素直に受けて、部屋の模様替えから外の花の植え替えなど、施術以外の作業も好きにさせてもらっていた。

私しかいない、と知っているお客さんもずいぶん好き勝手していたと思う。

ユキヤナギの花は小さい。

枝が揺れるたび、パラパラと花が散ってカウンター前に積もった。

「これ、よ、先生好きかなと思って」

ユキヤナギの枝に隠れるようにして、小さな瞳で私を見た。

嬉しかった。どんなに後で掃除が大変でも。

そんな彼をユキヤナギさんと呼ぶことにする。

 

ユキヤナギさんはカラカラと良く笑い、右手の指が3本しかなかった。

特に何か失敗をして、指を落としたわけではない。

まだ幼子だったころ、母の背に背負われたまま焼夷弾を浴びた。

まともに銃弾を受けた母親は即死し、母の返り血を浴びながらユキヤナギさんの人指し指と中指は飛んで行った。

「俺だって覚えてねえよ。3つの時だ」

私が、この手はどうしたんだい、と尋ねるとユキヤナギさんは鼻で笑ってそう言った。

焼け野原になった横浜で、3歳だったユキヤナギさんがどのように生きてきたのか、私は知らない。私と出会ったとき、ユキヤナギさんは60歳を少し過ぎたばかりで、経営していた鉄工所を息子に譲ったところだった。

「仕事ばっかりだったからな。早期退職して遊ばないと。じいさんになっちまうだろ」

と言った彼はとても楽しそうだった。

がっしりとした体躯とオールバックになでつけた豊かな白髪、黒く太い眉とつやつやした頬はとてもじいさんには見えなかった。

「動けなくなってから遊ぼうと思っても、遅せえんだよ」

にやりとしながらユキヤナギさんは言った。

この言葉は、30歳になったばかりの私の胸に深く刻まれることとなった。

今の私の思想はこれが始まりだったのかもしれない。

30歳の誕生日を迎えてガックリしていた私に「29も30も変わんねえよぉ」と呆れたように言ったユキヤナギさんのおかげで、私はあまり年を数えなくなった。60年以上生きている人に向かって、30歳になったと肩を落とすのは愚の骨頂だった。

 

3本の指で器用にウエストバックを探る。車の運転もする。

「最初から3本だからな。特に不自由だとは思わねぇな」

と当たり前のようにつぶやく。

私自身、左目の視力はどんなにレンズを入れても、0.2止まりだった。眼鏡と言う補正器具は自分には使えないんだなと悟った中学2年生の私は、それほどショックも受けなかった。もともと見えていたものが見えなくなったわけではないからだ。私の目のことは目医者さんしか知らない。家族も友人も気がつかなかった。ただ、右目の視力が良かったため、焦点がずれる。バトミントンや卓球などの球技は、球を当てることはできなかった。それが運動神経によるものか、見えている世界と実際の位置が違うことによるものなのかは、わからないが。

「同じ条件の奴なんていないからな。生きていくのに問題がなけりゃ、あとはてめぇしだいだろ」

折に触れてそんな言葉が出て、妙に納得したのを覚えている。

ユキヤナギさんは賢明な人であった。

 

遊びたい盛りの60代は、私をなんとか付き合わせようとあの手この手を使ってやって来た。院長の目の届かないところで私に株式取引を教え、競馬を教え、宝くじを教え、引き際を教えた。年末には自宅の畑で収穫した大根や白菜を山のように分けてくれ、電車通勤の私を困らせた。

シャイなのに豪快なユキヤナギさんは、実は心臓の病気を持っていて、ある日入院先から電話をくれたことがあった。私が勤めていた整体院を辞めて2年が過ぎたころだった。

「心臓が止まっちまってよ。畑で倒れたとき顔から突っ込んじまって血だらけだぜ」

と照れたように笑っていた。

 

あれから10年以上が過ぎ、ユキヤナギさんも70歳を越えただろう。

また時々心臓を止めながら、頑張って遊んでいるのかな、と思う。

ユキヤナギが風に吹かれながら白い花びらを降らせているのを見るたびに、そう思う。

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