top of page

16/8/22

夫は死去。奥さんは頚椎損傷の上、29歳の若さで車椅子生活を余儀なくされた。そんな彼女のとった行動とは。

Image by Olia Gozha

ある日突然、

自分には全く、なんの落ち度がないにも関わらず、

自身の身体の自由を奪われたら。


あなたは一体どうしたいでしょうか。


今日は、ちょっとショッキングな話をします。

あるご当家、の話。

もう2年くらい程前の事です。

ネットビジネスというお金を稼ぐ手段を知った当初の話。


今でもですが僕はセレモニーホールの従業員をやっていて、

夜中に「亡くなりました」という連絡を受けたら、すぐさま駆けつける、

夜勤要員のようなこともやっています。


その時にあった電話は、息子が交通事故で亡くなった。という電話でした。


さっそくお迎えにいくと、親族の人が誰も居ない。


病院関係者に話を聞いたら、

「実は隣に乗っていたのは奥さんで、

奥さんも意識不明の重体。仮に回復しても、満足に歩くことは困難になるだろう」ということでした。


なるほど、了解しました。

と僕は言い、故人様のみを連れて式場の方へ搬送しました。


まだ30歳。僕の一個上の年齢で、去年籍を入れたばかりでした。

それから間もなく故人様の両親が到着。取り付く島がなく、泣いていました。


それから、10分もしないウチに、若めのシュッとした男性が到着。

事故をした相手側の、保険代行人と告げていました。事故を起こした相手は、顔を見せませんでした。

(この後、警察で取り調べを受けてると聞きました)


両親は、淡々とモノを言う代行人をキッと睨んでいました。

無論、その人は仕事上そういう場面に慣れているのか気にも留めてませんでしたが。

セレモニーホールの人間のサインが要るということで、サインをして代行人は去りました。


僕も「詳しい打ち合わせは明日、また来ますのでそこで致します。」

とだけ言って引き上げました。


葬儀自体は、トントンと進み、友人や知人。会社関係の人達、

全員を呼んで、お別れの儀式は2日間のウチに無事に終わらせることが出来ました。


重荷

それから1週間後、葬儀費用の支払いも兼ねて、故人様の両親が来店されました。

あの時の事故で自分達の息子は亡くなり、

その奥様は、つい2日ほど前にようやく目を覚ましたそうです。


ただし、頚椎損傷の上、29歳の若さで車椅子生活を余儀なくされて・・・。


両親いわく、奥さんの入院期間は今からおよそ344日に及ぶといいます。

その中でリハビリや日々の生活に馴染んでいくための、死ぬほどの努力をせねばなりません。


聞く限り、ご夫婦に落ち度はありません。

青信号を直進しようとしていたら、横から突っ込んできた加害者側のクルマから、

横殴りをくらってしまって。軽四だった夫婦のクルマは粉微塵なほどにぶっ飛んだのです。


そしてご両親は、こうも言ってました。

彼女の痛みや怒り、悔しさや、もどかしさ。後悔の念・怒り。

これらは、自分達にはどうやっても推し量ることも出来ない。息子を亡くした、

その念を引きずったまま、暮らし続けていくことになる。これほど辛いことがあるだろうか。


20代最後の年に押しつぶされんばかりの痛みを背負い、これからを生きていかなくてはなりません。


事故直後に聞いた、

ご主人の「死ねない・・」という叫びを、一体何回頭の中で繰り返していけばいいのか。


僕もバイク事故には何度か遭ったことはありますが、

ここまで壮絶なのはありませんから、正直想像もつきません・・。


そして例の保険の代行人が、彼女の元を訪ねて来たそうです。

戻らない。そんなのは分かってる。が、しかし。

故人様の両親の話を、続けて聞いていました。


淡々と話を進める保険代行人は、

病院のベッドの上の彼女の目の前でも、それは変わらなかったそうです。

書類にモノを書きながら話だけを進める代行人。

最後に「何か質問はありますか?」と代行人が聞いた一言に対し、彼女が言ったのは。


「「あの頃に戻すことは出来ませんか?」」


その場で彼女の両親も、ご主人の両親も聞いてましたので、

「あの頃=事故の前」というのは皆、察したはずです。


もちろん現実は、これからをその姿で生きる。ということのみ。

そんなことはそこに居た全員が全員、百も承知だったでしょう。


でも彼女のクチから出たその一言。

それは、誰にぶつけたった仕方がない、やり場のない怒りと悲しみの念、

それら蓄積したモノを溜めて捻りだした、怒涛の一言だったのではないかと、思うのです。


事故を恨む。相手を恨む。

人生を諦めて無気力に生きて、自暴自棄になろうとすることだって考えたハズです。

誰だってそれを責めることなんざ出来ないですよ。


でも、結果的に、彼女はそうしなかったそうです。


49日の法要の時、故人様の両親は

「進もうとすることを選んだ、強い嫁を持ったね。息子は」って言ってました。


もう主人は居ない。自分はこんな姿。

だからどうした。生き返ったと思って、精一杯生きてやりましょう!って。そう言ったそうです。


彼女を支えたのは、

ありのままで進む。これからの自分は、この姿が自分らしいということ。

と決心して生きることを決めた、彼女の意思です。


その選択をして、生きようと決めた人。

僕も話を聞いてて、「自分らしく・・か」と心に深く刻みこんだ、そんな話でした。


生きる。ということ。


人は死にます。呆気無いほど、カンタンに。


当然ですが死んだら人は蘇りません。

セレモニーホールの従業員として、僕はこのケースもそうですが、志半ばで自害してしまった人や、

3人の子どもを残して脳溢血でこの世を去ってしまったお父さんなど。

色んなご当家様と関わりを持ってきました。


そして、大切な人を亡くした人達は、

ご主人を亡くした彼女もそうですし、誰も彼も、

色んな「背負うもの・荷物」を抱えて、これからを生きていきます。


無論、それらを大きいだの小さいだの、それを比べるのすら、しょーもない話です。


ですが、その「荷物」に押し潰される人もいれば、

そういう場面を糧に「生きる理由」に変えて、踏ん張り続ける人も要る。

事故が起きるかどうか、それによって無事に生きれる/生きれない。

そんなのは残念ですが、選べない事がほとんどです。


でも、起こったことに「意味付け」をして、その後をどうやって生きていくか。

それらは選ぶことが可能です。彼女は、踏ん張って生き抜く道を選びました。


僕らだって、同じです。


今起こっている様々な出来事、日々の欲求・不満。

それらを解消することが困難な場合だって多々あります。


「それが人生だから」「そういう生き方しか出来ないから」

そうやってフタをして生きるのって、諦めから来る楽な思考だなって、思えます。


そんな中でも大事なのは「出来事すべてに意味がある」と捉えること。


今目の前に起こっている事は、自分にとってプラスか、マイナスか。

チャンスなのかどうなのか。

自分だけの価値観や常識だけで決めていては、見えない事だって沢山あります。


それを手にできるかどうかは、自分次第。

もちろん、どのようなモノでもキチンと吟味して、一度は考えるべきだとは考えますが。


そしてその選択を支えるのは、あなたが「1年後になりたい姿」そのものです。


いつか分からない将来じゃない、1年後になりたい、あなたの姿。

僕らの人生って選択の連続だし、

逆に言うと「どんなことだって選ぶこと」が可能なんです。五体満足なら、尚の事。


だからこそ、この問いに真剣になってもらいたいんです。

「自分は一体、どうしたいのか。」そのなりたい未来を基準に選択しないと、

望む未来なんて手に入るワケないんです。


お金を稼ぎたい? じゃあ、今から正しい方向で努力をしよう。

絵を描きたい? じゃあ、正しい方向で努力を。

声優? 正しい方向で~~~


正しく学んで、正しく行動する。そうすれば、大抵のモノは手に入るモノです。


ムカつく上司の愚痴を言うのも、反面教師にして学ぶのも、自分次第。


「コレが俺のキャラだから」なんて性格のせいにして変わらないのも、

「考え方くらいなら変えれるよね」と信じて、変わろうと努力するのも選択のひとつ。

自分の未来をしっかり描き続けるのも、

何かを妥協しながら生きていくしか無いと思い続けるのも、全部選択。


だから。

事実ひとつだって、選択の数と解釈の数は膨大にあります。

でもシンプルに言うなら、

どんなことが起きたとしても「前向きになるか」「後ろ向きになるか。」それだけのこと。


望む未来に近づくのはどっちなのか、

常に「自分らしい」選択を、し続けていきましょう。カラダが健康なんだから。なんでも出来ます。


死ぬこと以外、かすり傷。

最近読んだ本のイチフレーズですが、極端な話、そう思います。

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page