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16/8/14

小さな命を失った日

Image by Olia Gozha

 この物語は若くして命の決断をした心痛い物語です。

※今妊娠中という方は読まれない方が良いです。この物語はミクシィというソーシャル・ネットワーキング サービスの日記から引用しています。 




家族を持った

結婚したのは24歳。2008年に結婚しました。

そして翌年の1月1日に長男が誕生

妻は1つ年上なので若い家族という感じです。

共働きでしたが妻が妊娠し、出産と同時に産休へ

そのまま妻は退職

稼ぎは良いとはいえず(火星へ!の物語参照)

正直

子供一人でも家計的に余裕が無い感じです。


やっぱ子供は可愛い

子供の面倒を見るのは正直苦ではなく

私も料理好きな点から離乳食を如何に作るかを考え

平日の夜中に作ったりしてました。

夜泣きすれば散歩してみたり

おむつ変えたり

今思えば育メンですね

こうして子どもを育てていくと

「もう一人ほしい」

そんな気持ちになるには

妻も私も必然だったのかもしれません。


次男を妊娠

2人目の子供を妊娠した時

家計の計算が出来てませんでした

ただ

4人家族の方が楽しいかなと思ったし

兄弟だからこその家族での絆を考えました

私も妻も兄弟がいるので

こうした考えは賛同し

念願した妊娠になります


長男の成長と次男の成長

長男がつかみ立ちする頃

妊娠中の妻は家で留守番し

私が息子をおんぶ紐を使い

買い物に行くのは当たり前


夕食ですらおんぶ紐を使い料理するような感じです。(画像参照)

妻の体を気遣って無理をさせずにと気遣いは出来る限りしていました。

お腹が大きくなるにつれてですが

仕事に行っている時

心配になりました。

0歳の息子を連れて動けるわけもないので

妻や子供に何かあっても嫌だなと

すぐに行ってあげれない場合に頼れる人もいないしと

出産予定日にはまだ十分な時間があるので

何か方法を考えなければいけない

そう思っていました



実家へ

私の実家は徳島にあり

今ならお腹がそこまで大きくないので

飛行機で行けることが判明

出産を徳島で行う決心をしました。

病院も近いし近所には親戚がいるので

何かあってもすぐに対応できるという利点もあり

徳島での出産を決意

私の誕生日が12月1日だったので

祝いをした週の日曜日12月7日に出発を考え

航空券の予約も行った。


2009年12月7日(以下 当時の日記を引用します)

※妊娠中の方は閲覧をご遠慮くださいませ。

25歳の誕生日をすぎ

2児の父になる覚悟を胸に新しい生活を待っていた

そんな今日、12月7日 

妻は14時55分発 

羽田から、徳島に向かう予定だった 


しかし 

10時頃

出発の準備中 

突然陣痛が発生 

パニックになる自分

妻もどうしよう!?とパニックに。

息子が大泣きする中

救急車を呼び 救急隊の到着と同時に 


破水 


近くの病院に着き  

長男と共に待っていると

隣の部屋から 「ダメだ・・・」

と言う医師の小さな声が聞こえた 


長男をみて、涙が出た

ぎゅって抱き、歯を食いしばった・・

わかってたさ

この病院では未熟児を保育する設備がないのを

だから死産だって。 


医師のダメだって内容もすぐ理解できた

お腹に戻せないって事なんだって・・・ 


医師がその後来て別室で説明してくれた

『お腹の子供は心拍数50回/分で通常は100回 /分

弱っていますがまだ生きています。しかし既に足が片方出てしまっている

なので無理に戻せない状態です』


『現状では帝王切開でお腹を切って取り出せるけど

普通に生きてはいけない可能性が高く

心拍数は微弱です

正直いつまで続くかはわからない 

なによりも

母体の出血がひどく

これ以上時間が長引けば命の危険があります』 

と医師が話した


決断して下さいという意味だろう


唇が噛みしめた為に血が出て

手が震えていた

正解が分からないのと決断の怖さ責任の重さに

この場から逃げたかった

そして震える小声で胸元にいる長男に話かけた


『父さんは君の弟を殺さなければならない

ホントは生きれる道も可能性もあるんだけど

君のお母さん無しで

今の僕だけで君を育てれない

ホントにごめん、許してほしい・・』

長男は意味が分かるはずも無い

僕はただ許しを貰うかのように話しかけた


そして


妻を・・母体を優先でお願いします。と医師にお願いした


その後、緊急処置と診断を終えた妻が

ベッドに寝た状態で出てきた。

虚ろな目に生きる目をしていない感じだった

酸素マスクをしていたが意識はあった


医師はこう説明をする

『お腹の子ですが心拍数はほぼなく多分ですが

すでに亡くなっており死産となります』と

母体に対して気を使ってくれた説明だった。 

実際はまだ生きれるし可能性はゼロではない

けど今はこうした気遣いが精神的な面で妻を支えた


自分の決断は間違っていなかったよね 

と自分を信じるしかなかった

出産させる反動で母体が死んでしまう

しかも出血しており危険な状態で更に帝王切開での出産

どう考えても妻は死ぬ

そして生まれる子も生きれるかどうか分からない・・

そんな生死の賭けは出来ない。


その後

陣痛促進剤を打ち

うまくいけば自然分娩で取り出せるとの判断で 

6時間後

自然分娩が成功

妻が無事だった結果にホッとした


死産ででてきた子供とも対面

手も 

足も 

頭も 

爪まで 

完璧に育ってました 

何が足りなかったのか 

足りなかったもの 

運と時の流れ 

まだ生まれる為の時を過ごさず 

そして逆子だったと言う運を味方にできず 

目をつぶって、手を組んでいました 

やわらかい体にかわいい指 

触れたその時やっと実感が湧きました

そして死産を受け止めました


めまいに似た症状に

胸が痛くなり

おう吐を繰り返した

涙も止まらず

苦しくて苦しくて


妻には本当の事は言えない

この日記もMixi日記は非公開にしています

皆様に報告したのは

心配を掛けてしまった内容の一部始終であり

こうすることで供養になればと思いました


また生まれ変わるその日まで待っててくれ

今は妻のメンタルに気を使ってあげたいです 

・・・・・・・・・・・・・mixi日記より・・・・・・・・・・


あの頃の自分へ 

今思い返しても胸が痛みます

その後ですが2012年2月に長女が誕生しました

生まれ変わりだと私は思っています


実はこの日記の次があり

生まれ変わりという内容ですが供養的な考えでもあり

その日記で記載されています

こうした死産を経験した人だけが経験できる内容なので

機会があれば物語を紹介します


当時のあの精神状態で

一人でよく色々と乗り越えたと

褒めてあげたいです


あの時の記憶は少しずつ消えてきてはいますが

こうした積み重ねの上で

今の自分がいるんだと

そう自覚しています

あの小さな命の大切さを知っているからこそ

今いる子供たちを精一杯

愛情を注ぎたい


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