top of page
Copy of STORYS_edited_edited.png

16/8/14

アルコール依存症の母が死をもって私に気づかせてくれたこととは。

Image by Olia Gozha

「せめて私が生きてる間に気づいて欲しかったわ。」

母が死んだ。

アルコール依存症だった。

アルコール依存症とわかってから15年間母は酒を飲み続けた。


アルコール依存症の人が選択できる道は二つ。

酒を断つか、死ぬまで飲み続けるか、だ。

母は死ぬまで飲み続ける生き方を選んだ。


それゆえに私は15年間、悩み、苦しみ続けた。


母は独りで暮らす部屋で脳出血で倒れそのまま息を引き取った。

発見された時の状況や母の携帯電話の通話記録から死後24時間くらい経っているのではないか、

とのことだった。

まとめると、

”アルコール依存症だった母が一生飲み続ける生き方を選んだ結果、

誰にも看取られることなく孤独死した”ということ。

警察からの連絡を受けた私は冷ややかだった。

正直、”やっとくたばったか”と思ったくらいだった。

それから「クソッ」と舌打ちした。


母が死ぬ一ヶ月前のこと



相撲が大好きな母を両国国技館へ連れて行った。


その頃の母は1年前に酔って転んだことによる背骨の圧迫骨折の治りが悪く、

引きこもりがちになったため脚力が衰え、長い距離を歩くことが出来なかった。

目的地へ行くためには数十メートル歩いては休憩する、を繰り返し前進していった。

脚だけでなく全身の筋力が衰えていたらしく、失禁が当たり前だった。

尿意をもよおしてからトイレにたどり着く間尿を止めておくことが出来ない。


しばらく会っていなかった私は母がそんな状態だとは把握していなかった。

「相撲、観に行きたい。絶対行きたい‼︎」

わたし「圧迫骨折して動けんのやなかったっけ?大丈夫なん?」

「大丈夫、大丈夫。もう歩けるよ。心配すんな、私行けるし。」

本当かなあ?

とは思ったが意地でも行くと言いはるのでそこは本人の意思を尊重した。


実際会って母と並んで歩くが速度は赤ちゃん並みで、

今日中に国技館にたどり着かないのではないかと思った。

とにかく階段が登れない。

駅のホームでは必ずエレベーターを使用。

やっとの思いで国技館へ着いたはいいが観戦席までにたくさんの階段があった。

その日は千秋楽でチケットが取りづらく、最後尾よりの席だった。

しかしそれは母の希望でもあった。

後ろの方が良い、と。

私も母も国技館へ行ったことはなく後方の席がどういう造りになっているのかなどまでは知らない。

私は球場と同じようにたとえ後ろの方でも浅い階段が続いている感じかな?

と想像していたが甘かった。

国技館の後方の席へ行くには一段の高さが母の膝の高さ程ある階段を上る必要があった。

ホール内へ入るのにたくさんの階段を頑張って上った母だったが自分の膝場である階段を見て

「これは無理。」


と言いその場にしゃがみ込んだ。

ここまで来てそれはないだろうと思った私は無理矢理母に階段を上らせようとした

四つん這いになって上がろうとしても腕の筋力が無く這い上がれない。

「わーっ…怖いよう。」



またその場にしゃがみ込む。

場内の案内係の人が駆けつけてきた。

母が倒れたと思ったらしい。

しばらくすると消防の人が二人やってきた。

気分が悪いのかと思ったらしい。

(酒に酔って転んで圧迫骨折したんです。

骨折を理由に引きこもって酒ばっかり飲んでいたので筋力が無いんです。)

わたし「階段が高すぎて上れないだけ。気分が悪いわけではありません。」

だんだん大ごとになってきたことが私はとても恥ずかしくてキツイ口調で言った

(全て自業自得ですからほっといてください。)

わたし「上がれないだけ。気分は悪くありません。」

同じことを繰り返し言った。

言う度に私の口調はキツくなっていった。

消防の人は引き上げ、案内係の人が残った。

「もう、ここで観る。」

「席までは上がれないからもうここで観る。」

母が座り込んでいたのは通路だったが、十分人が通れるスペースはあった。

だから私もここでいいんじゃないかと思った。

要するに立ち見だと思えば。

しかし案内係の人はそれはダメだと突っぱねた。

この状況見てましたよね?

例外として取り扱ってくれたっていいんじゃないかなあ?

わたし「チケットはちゃんと持ってます。でもこの人がこんなだからここでいいでしょう?(怒)」


案内係は全てを承知の上でダメだという。

もうキレた。

わたし「苦労してここまで来たけどもう諦めるわ。帰ればいいんでしょ?」

わたし「帰るよ、ホラ。立てよ早く(怒)」

疲れ切った母は怒鳴る私を無視し始めた。

周囲にいた人はこの一部始終を見ていた。


その中に非常に勇敢な青年がいた。

母をおぶって席まで上がろうとかって出たのだ。

その青年はとても華奢な体つきで、60キロ級の母をかつげるとは思えなかった。


その青年の登場でますます恥ずかしくなった私はもうやめてくれという思いでいっぱいだった。

わたし「お気持ちだけ頂いておきます。本当にありがとうございます。」

引きつった顔でお礼を言ったがその青年の母親が出てきて私たちと席を代わろうよと提案してきた。

私達の購入した席と勇敢な青年親子の席では値段的に倍程違う。

ましてや千秋楽。きっと苦労してとったに違いなかった。

わたしは断った。

しかし母は何くわぬ顔をして

「あら、そーお?」

「では遠慮なく…」


とズケズケと青年親子の席に座ったのだ。


怒りでゆでダコになっている私を見て不憫に思ったのか青年の母は私に気遣い、

せっかく来たんだから楽しまなきゃ!

と声をかけてくれたが、私は笑えなかった。

青年は、僕の母は医者だから大丈夫だと胸を張って言った。

わざわざ職業を公言する必要あります?

社会的に地位の高いお医者様が起こした行動だから尊いのだ、

と恩きせがましく言われた感じがして嫌だった。


ただ単に母を尊敬するがゆえに思わずこぼしたことだったかもしれないのに。


そんな私にはこっちは頼んでないのに、とひねくれた感情しか持てなかった。


怒りとイライラから私はマイナスループにはまり込んでいた。


変わってもらった席の隣は青年の兄夫婦だった。

歓迎してくれている雰囲気に安心したのか、

母は力士の登場ごとに母の持つ豆知識をその夫婦に披露し続けた。

傾聴してくださるご夫婦。

その様子を見て他人のふりをした私。

もう早くここから消えたかった。

愛に溢れた対応だったのにその善意さえも迷惑だとマイナスに捉えてしまっていた。

後日その家族に対して抱いた感情を振り返って私は愚かだったと反省した。


優勝パレード



横綱白鵬の優勝だった。

「優勝パレード、見たい。」

わたし「背中痛いんじゃないの?そんな体で白鵬が出てくるまで待てるわけ?」

「うん。待てる。というか、待つ。意地でも待つ。」

執念を感じた。

本人の意思を尊重し、白鵬がオープンカーに乗るのを今か今かと待った。

1時間ほど待った。

母はじっと耐えていた。


待ちに待った横綱白鵬に母は興奮し、嬉しそうだった。

喜んでいる姿を見て、さっき怒って悪かったなと反省した。

帰りにちゃんこ鍋を食べたいねということになり、両国駅周辺を探したがどこも満席だった。

しょうがなく、両国を離れることにした。


その夜私は秋葉原のホテルに泊まる予定だった。

ここから母の家まではだいぶ遠い。

母が疲れていたので、ホテルに一緒に泊まることにした。


秋葉原駅近くにある居酒屋で腹ごしらえをし、ホテルへ向かった。

ホテルの部屋でさらにお酒を飲み始めた母に、

早く寝なよ

と言って眠りについた。

翌朝目覚めてトイレに行くと、床が濡れていた。

母がシャワーの水をトイレ側にかけてしまったのだろうかと思ったが

それは母のおもらしだった。

トイレだけでなく床にベットにとそこら中が尿だらけだった。


ありえない、と怒りながら掃除する私を見て

母はしょうがないじゃない、と悪びれもせず言っていた。


身体中の筋肉がなさすぎるからこうなるんだよ、と私は母に怒鳴り、追い詰めた言い方をした。


母の履いていたズボンは尿でびしょ濡れだった。


チェックアウトして私たちは東京駅まで行き、そこからそれぞれ家路につくことにした。


ズボンが尿で汚れたままだったので駅でズボンを買おう、と探したが適当なものが見つからなかった。

乾いたから、もういい。

という理由からズボンは諦めた。


それから母はまたお酒コーナーへ向かい、好きな日本酒を買っていた。


その姿を見て腹が立った。

歩けないわ失禁するわ、人に迷惑しかかけないくせにそれでもまだ飲むのか、と。

もうこんな奴知るか、と母と早く離れたい気持ちになり無理矢理母を電車に乗せて帰らせた。

「心配せんで大丈夫。一人で帰れるから。」


と言いはる母にしつこく大丈夫なのかと尋ねた。

家まで送ってあげたいがそんな時間は私にはなかった。

心配だから、の一言が言えなかった。


それが母と会った最後の日となった。



なぜこんなにも母にイライラするのか

酒を飲む飲まないは本人の決めること。

干渉しない。


と口で言いながらも私は心からそう思っていなかったのだ。


酒を買う姿、飲む姿を見るとあの辛かった記憶が蘇るからだ。

(詳しくは、母がアルコール依存症になってから10日間地獄を見た話。をご覧ください)


自分が、あの時のような母をもう見たくないという思いから

酒を飲むことをやめて欲しいというかなわない欲求を持ち続けていたのが原因だ。


自分がまた、あの悲しい辛い思いをするのが嫌だった。

だからお酒を飲まないで欲しいと思った。

飲む飲まないは本人の問題であって、私がどうこう出来ることではないのだ。


他人は変えられない。

本人に任せて、自分は関わらない。

ここまではわかっているつもりだった。


わかっていると言いながら、酒をやめて欲しいという思いを私が捨てきれずずっと抱えていたのだ。


酒を入れたコップをテーブルに置く、あの音が聞こえるだけで私は反応していた。

朝の寝起き時や、受話器の向こうからこの音が聞こえる度にイライラが止まらない。

まるでパブロフの犬のように条件反射していた。




このコップの音を聞かずに済めば自分がイライラせずに済む。

だから私は酒を飲むなと母にガミガミ言う。


”私”の”酒をやめて欲しい”という欲求は母の問題だから”私”が実現させることは不可能。

そこは本人に任せて”私”は関与せず、この思いは実現不可能として捨てなければならなかったのだ。

私のイライラの原因となっている”私”の中の欲求にスポットを当てて考えることをしなかった。


そんな私が行き着く先と言ったら、


母の寝顔を足で踏んでやろうと思った。

酒の瓶で頭を殴ってやろうかと思った。

車椅子に乗った動けない母がわがままを言うのに耐えられず線路の上に置いて帰ろうかと思った。

全部母が酒ばかり飲むからこうなったくせに巻き込まないで欲しい。

と私は恨み、憎み、怒り、殺意までおぼえるようになっていた。

母の状態、態度によって私は自分の気持ちをかなり揺り動かされていた。


結果私は母の行動に対処する時における怒り、嫌悪感、恨み、憎しみ、殺意というマイナス感情の毒素を溜め込み続け、自分で自分を傷つけていたのだった。



アルコール依存症という病気の正確な認識とは

アルコール依存症とは「酒をやめたくても飲み続けてしまう」病気であり、

母の意思とは関係なく酒を飲んでしまう、という病気だ。


母は自分ではどうしようもできないアルコール依存症という病気に縛られていた。


アルコール依存症者が選択できるのは、酒を断つか、死ぬまで飲み続けるかの二つしかない。


私は母が酒を飲まずにいられるかどうかだけに注目し、何があっても酒を飲み続ける母を

ダメ人間扱いしていた


借金に追われてアルコール依存症になった、という母の現実は受け入れるしかないものなのに、

結局出来なかった私。


多額な借金を抱えながらもそれを返そうと心を病むほど一生懸命生きていたのだ。

それはもしかすると、私たち家族のためだったかもしれない。


そんな現状を私は受け入れ、母をリスペクトし、自分の抱えているマイナス感情という毒素を出すことに専念し、自分の抱え込んでいるマイナス感情で自分を傷つけずにもっと自分を大切に生きる道を選ぶということが私にとってはもちろんのこと、アルコール依存症の母にとっても最善策だったのだ。


そんな自分のことは振り返らずにアルコール依存症の症状ばかりを勉強し、

それに対処する術を身につけずにいた私は

15年間毒素を抱えたままの自分を棚に上げ、母を攻撃し続けた。


そんな私は異様なまでに自己肯定感が低く、


自分のような人間が周囲に受け入れられるはずがない、

だってアルコール依存症の母を持つから。

結婚なんて考えられない、

だって面倒くさいアルコール依存症の母がいるから。

短気でこらえ性がなくキレやすくなってしまったじゃないか、

だって母がしょっちゅう私を怒らせるから。


結婚できないのもキレやすいのも自分が周囲とぶつかるのも全部自分の問題なのに

それは一旦棚に上げ、母の病気のせいにしていた。


自分がうまくいかないことを全部母のせいにして自分の問題と母の酒の問題を自分に都合よくすり替えていただけ。


これは母の問題ではない。

自分の問題だということに母が死んでやっと気づいた。



後悔する私、そして…


母が死んで、やっと死んだと安堵した。

面倒くさいのからやっと解放されたと思った。

そしてケンカ別れだった最後の日を思い出して悔しい気持ちになった。

自分が素直に正直な思い、心配なんだ、という一言が言えなかったこと。

数日経つとこれまでのことが思い出されて悲しくなった。


涙が止まらなかった。

後悔の涙だった。

その後悔とは、

私の問題だったのに母のせいにし続けたことだ。

私は母のありのままを受け入れることができず、母の存在価値を認めることができなかった。

アルコール依存症の人の回復に必要なのは、

あなたには生きてる価値があり、あなたの存在は私たちにとってなくてはならないという

その人の価値を十分に認める人間関係 だそうだ。

母の存在価値を内心認めることができない自分が、生きている価値を認めてくれるのが必要な母と

うまくいくわけがない。

アルコール依存症でなくとも人は自分の価値を他人から認められたい生き物なのに。


他人を変えることはできない。

自分は変えることができる。

飲まないで欲しいと思ってもアルコール依存症という病気の性質上、

自分にはどうすることもできない。


自分にどうすることもできない欲求は捨て、酒を飲む飲まないは本人に任せ、自分は関わらない。


マイナス感情という毒素をデトックスし、安定した感情を取り戻すことに専念し、

健康な日常を送ること。


借金まみれになりながらも一生懸命生きた母の存在価値を受け入れること。


私は母が死んでずっと悲しみから回復できなかった。

私にとって母はなくてはならない存在だった、ということだったんだ。

死んで認めたってしょうがない。

生きてる間に認める必要があったのだ。


そして私が母の状態によって自分の気持ちが揺れ動くということがない自分になるまでに回復することによって自分で自分を傷つけることなく、私も母も救われる。


15年間苦しみ続けた私が解放へ向かう方法を学ばなければならない。

たくさん悲しい思いをしてやっと自分の感情と問題に向き合った。

アルコール依存症になった母から何も学ぼうとしなかった私に

母は永遠の別れをもって気づきを与えてくれた。

周囲の人も、自分も幸せになるためには

自分を大切にしなければならないということを。


参考文献

森岡洋 著 「よくわかるアルコール依存症 その正体と治し方」白揚社

水島広子 著 「自己肯定感、持っていますか?」大和出版


最後まで読んでいただいた皆さま、本当にありがとうございます。森田望美

←前の物語
つづきの物語→

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

フリークアウトのミッション「人に人らしい仕事を」

情報革命の「仕事の収奪」という側面が、ここ最近、大きく取り上げられています。実際、テクノロジーによる「仕事」の自動化は、工場だけでなく、一般...

大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

今日は父の日です。この、STORYS.JPさんの場をお借りして、私から父にプレゼントをしたいと思います。その前に、少し私たち家族をご紹介させ...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

「どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで!」こんにちは!個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口と...

あのとき、伝えられなかったけど。

受託Web制作会社でWebディレクターとして毎日働いている僕ですが、ほんの一瞬、数年前に1~2年ほど、学校の先生をやっていたことがある。自分...

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ面接の時の話はこちら=>ピクシブに入るときの話そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこと...

bottom of page