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16/8/14

京大二次、英検1級、京大模試、Z会、のレベル比較

Image by Olia Gozha

京大二次、英検1級、京大模試、Z会、のレベル比較


1、英検1級

  英検1級は、大学生の頃は“雲の上の存在”でした。私は教育学部出身だし、英語を専門としているわけではなかったからです。でも、卒業後に何か武器がないと仕事が見つからないと思い、自分の得意なものを考えました。すると、英語しかない。

  それでも、卒業までに合格はできませんでした。ここ三重県では、英検1級は毎年1名か2名しか合格者が出ていなかったので、自分には無理だろうと諦めの気持ちでした。

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  しかし、26歳の時にアメリカのユタ州、ローガン中学校で1年間教師をする機会に恵まれてから気持ちが変わった。

「これでダメなら、もうお終いだ」

  と覚悟を決めて、できるだけネィティブと話す機会を増やし、英文で日記や手紙を書き続けた。そして、帰国後に

「こんな自分が英検1級に落ちるわけがない」

  という自信を持って、受験した。そして、落ちた(笑)。

  そこで、過去問を買ってきて3周ほどやった頃に合格できた。30歳だった。


2、通訳ガイドの国家試験

  当時(1980年代)、TOEICは普及していなかったので、免許をもらえる通訳ガイドの国家試験を受けることにした。英検1級に合格できる英語力なら楽勝だろうと考えて。ついでだった。

  しかし、1回では合格できなかった。二次試験の日本の地理や歴史も楽ではなかった。三次試験の面接も楽ではなかった。ただ、私は塾講師なので地理や歴史を勉強していたので他の受験生よりは有利だったと思う。

  合格した時は、34歳だった。

3、国連英検A級、ビジネス英検A級、観光英検1級

  せっかく資格試験を頑張ったのだから、国連やビジネス関係の英語も覚えてチャレンジしておいた。



4、Z会の「京大即応」

  英検1級や通訳ガイドの国家試験に合格している自分なら、京大の英語も楽勝だと思った。それに、塾生の方や保護者の方にアピールするには英語の資格試験より、京大英語の得点の方がいい。

  ところが、実際に受けてみたら6割ほどの得点にしかならなかった。ビックリした。これでは、高校生に負けるではないか。とても、公開できない。

「なんで、アメリカ生活をしてペラペラかつ1級合格の自分が・・・」

  と、納得いかなかった。

  研究するしかない。それで、Z会の「京大即応」を8年間やりながら京大の先生が好む英語を研究し始めた。しかし、毎回の添削が納得いかない。自分がアメリカで身につけた英語と違う。それが、後に

「自分で添削しよう」

  と思うきっかけになった。その頃、名古屋の河合塾学園など大規模校で昼間だけ非常勤講師をさせてもらって、他の英語の先生方と知り合った。英検1級を持っている人も、京大卒の方もいなかった。

5、河合、駿台、代ゼミの「京大模試」

  それで、定評のある大規模予備校の京大模試を受けてみることにした。結局、10回受けた。ところが、こちらの英語の偏差値も伸びない。

「あの講師の方たちが採点しているわけだよね」

  と内情が分かる気がした。

「こういうテストと採点官の決める点数で志望校を考えていたのか」

  と、現役の高校生の頃のことを思い出した。

    現場で私が見たのは、四日市高校に落ちて暁高校に行った人が、四日市高校の受験生を指導している姿。名古屋大学を落ちて、南山大学に行った人が、京大受験生を指導している姿。

  それで、私は京大模試を受けるのをやめた。


6、京都大学の二次試験

  結局、京都大学は7回受けることになった。最初の2回は、素直にZ会の進めるスタイルで解答を書いた。受験英語というやつだ。すると、6割台。そこで、次の2回は、英検1級で使った古い実用英語で書いてみた。すると、7割台。

  それで、あとの回はもとに戻ってアメリカで生活していたような現代英語で書いてみた。すると、8割台の得点になった。これは、医学部に合格するレベルで、然受験生のトップクラスのはずだ。

  私のような無名の田舎の個人塾の講師の声など、誰も耳を傾けてくれないが、これは、私だけの意見ではない。ネイティブの友人に英検1級の過去問を見せ、赤本や青本の模範解答を見せ、Z会の採点官の模範解答を見せると、

「これはダメでしょう」

  ということが多かった。

  調べてみたら、高校の英語教師の半数しか英検1級に合格sていないし、たとえ京大卒の教師でも英語は65%程度で合格している人が多い。予備校や塾だと、もっとヒドイ比率だ。

  そんな水準でも、テレビでタレントやアニメが宣伝をすると生徒が集まるのだから、bジネスとしては問題はない。それが、現実の日本の教育事情だと分かった。

文科省も、教育委員会も「ゆとり教育」を導入したかと思うと、廃止にした。

 今は、「小学生から英語」などと言っている。


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