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16/8/14

自分らしくを大切にする人生 その13 ~カミングアウトの決裂から10年以上、ある朝母がLGBTを兄に語り始める~

Image by Olia Gozha

僕が生まれたのはこの岡山県北のある小さな町。勝北町。今は津山市。18歳まで育ち、その後大学で札幌へ。実家を離れてから20年経ち、僕はこの地元でLGBTの講座を8月11日に開催しました。


田舎は緑が広がり、山もあり、水もきれい。とっても生活はしやすいところですが、

その一方で伝統的な日本の価値観が続く地域でもあり、

大人になれば男と女が結婚し、子どもを産み、親に孫の顔を見せる、

ということが当然の社会。

実家に帰省するたびに、「結婚しないの?」「いい人はいないの?」と、親戚やまわりから聞かれるのが当然の社会です。


そんな田舎でゲイということを公にしてLGBTの講座をすることは本当に勇気の要ることでした。


親戚からなんて言われるだろう。

家族の耳に入ったら、家族はきっと反対するだろう。


フェイスブックやブログを通じて、地元の同級生たちには僕がゲイであることはすでにカミングアウトはしていましたので、同級生たちはとても応援してくれていて、このチラシのとおり、たくさんの同級生が賛同してくれました。

また小学校5年生の時の担任の先生も「がんばりなさい!」ととても応援してくれていました。


両親には20代のなかばにカミングアウトはしていたのですが、
残念ながら全く理解してもらえず、

父親は怒ってしまい、僕を裏切り者だとしかり、

母親は泣き崩れてしまい、自分の人生をうらんでいました。


一組しかいない両親にちゃんと僕のことを知ってもらって、

その上でいい関係を作りたいと思ったのですが、そんな期待は木っ端微塵。

僕の勝手な期待だったんだな、と思いました。


あの出来事があってから、両親とゲイであることについて一度も触れないまま、

ある意味タブーのようになってしまい、10年以上の月日が流れていました。

戦後生まれの、酪農家の両親に、いきなりゲイをわかってくれというのがそもそも無理なのかもしれない。

両親が別に悪いわけじゃなく、時代や社会、周りの人たちとの関係で、LGBTに対するイメージや反応は違うもの、戦後すぐ生まれの二人にはしょうがないことだ。

そんな風にずっと思っていました。


今回、地元津山市でLGBTの講座をするにあたり、一番気にしたのは両親のこと。

小さな田舎です。こうした講座をやるとなれば必ず両親の耳に入る。

「恥ずかしい、周りの人や親戚に会わせる顔がない、辞めてくれ」

最悪そんな風に言われるかもしれない。

そんな心配がずっと続きました。


でもその一方で、

田舎だから悩んでいる人が絶対いるはず。

結婚して当たり前、という社会で、自分がLGBTであるということなんて絶対に知られたくないと思って隠したり、「ふり」をして生きている人はいるはず。

田舎だからこそ、やらなくちゃ。

そういう思いがありました。


それはすなわち、自分が小さい頃、この町で育って、

女のことばかり遊んでいたら変て言われてすごくショックだったり、

男子のソフトボールチームに入れられて、嫌でやめたくても、「周りの男の子はみんなやっている」と親に言われてやめられなくて本当にしんどかったり、

思春期になって同性に興味が行くようになっても、恥ずかしいことだと思って誰にもいえなかったり、

そもそもそんなことがあっても誰にも相談できなかった自分。

そんな経験をした僕なので、

田舎だからこそやらなくちゃ、今こうしてゲイとしてカミングアウトできて、自分らしく生きていけている僕だからできることだ、貢献できるはずだ、

そう思ってこの講座を企画したのでした。


でもやっぱり両親にはこの講座をすることが言えず、

母親の友人が知り合いで、その方が誘ってみると言って下さったのですが、

助かるなあという気持ち半分、でもどう思われるかなという心配ばかり募る日々。


すると、ある日母から電話があり、

その母の友人の方から講座があると聞いたと。

僕はびっくりしながら、電話で話しをしていたのですが、話をしている雰囲気から察するにおそらく内容は聞いていない様子。

というのも、

「周りの友人を誘っていくから」

「親が行くなら、参加者のみなさんにお茶を一本ずつでもお出ししないと。」

ととても積極的なことを言っている母。


カミングアウトをしてからゲイのことに触れてはいないのですが、

両親とは良好な関係でもあるのも事実で、

母は特にこうして愛情が深く、息子がやることには応援してくれたり、

参加くださる方への配慮をしてくれたりと、

本当にありがたい母です。


しかし僕としてはこの内容を知ったらとても驚いて拒否反応をしめすだろう。

反対するんじゃないか。

そう思って、

「別に来なくてもいいから。僕だけでやれるから心配しないで」

とごまかす答えしかできなかったのでした。


そして、前日。



地元の山陽新聞に僕の講座の告知が出たのですが、

それを見た母が朝イチで電話をかけて来ました。


「男性同性愛者って書いてある」

と母。


「そうそう、でも心配しないで、市役所の方も応援してくださっているから。」

と、心配させないように言う僕。



そして当日東京から岡山に飛行機で飛び、

実家に荷物を置いてから会場となる津山市の文化センターに向かおうとしたのですが、

実家に帰ると両親の雰囲気が明らかに違いました。


いつもは「おかえり」と玄関先まで迎えに来るのに、

迎えにも来ない。


父親の表情は暗く、目もあまりあわせない。


完全にアウトだ。。。


母には、

「無理してこなくてもいいからね!」

と言いましたが、

「もうお友だちも誘っているのに自分だけ行かないなんてできないでしょ」

と、仕方なく行く、

といったことを言われてしまう僕。


僕も心臓がドキドキで、

心配な気持ちしか出てこなくなりそうなので、

そそくさと準備をして、家を出て、会場に向かったのでした。



会場では同級生たちがボランティアで設営や受付も手伝ってくれて、

本当に安心の空間。

みんな笑顔で手伝ってくれて、

本当に心強く感じました。


また津山市のローカルテレビ、テレビ津山さん、毎日新聞さん、津山朝日新聞さんといったメディアの方も取材に来てくださいました。

毎日新聞さんはわざわざ遠く岡山市から遠路はるばる来てくださいました。


テレビ津山さんはぜひ特別番組を作ります、とまで言ってくださって、僕もたくさんインタビューいただきましたし、



このように、開始前に同級生達にもインタビューを。

この後小学校5年生の時の担任の先生、島田先生にもインタビューくださり、本当にうれしく思いました。



お花もたくさんいただき、わざわざ東京の編集者さんが送ってきても下さいました。



そしてこのように満員御礼。

同級生達、恩師、教員の方たち、行政の方、後輩などなど、本当にたくさんの方が集ってくださいました。


そして母親も、友だちと一緒に参加してくれたのでした。

講座を聞いたらどう思うかな、親の前で話すのは緊張するな、という不安や心配もありながら、

でも来てくれたことは奇跡のようで、うれしく思いました。

まさか来てくれるなんて。



講座もみなさんとても真剣に聞いてくださり、とても楽しい雰囲気の中、たくさん質問もいただいて、あっというまの2時間。

LGBTの基礎知識や、

性は多種多様であること、一人ひとり違っていて、カテゴリーではわからないこと、

一人ひとりの違いを大切にできること、違うことは悪いことじゃないし、違っていても大丈夫、

自分らしさを大切にすること、

そんなことを僕の体験談を含め一生懸命お話しさせて頂きました。



同級生達たちの存在はうれしく、講座中本当に心の支えでした。




感想にも、

「自分も誤解していることがあると気がついた。まずは知ること、話を聞くことからと思いました。」

「性って多種多様なのには驚きました。それは性だけではないですよね。人として基本的なことで、多くの人がわかってくれるといいですね。」

「性のあり方は、カテゴリーではなくグラデーションであるという言葉が印象的だった。」

「人を属性で見ないことが大切だとあらためて思いました。」

「津山にも悩む子どもがいる、悩んでいる人がきっといる、今日お話を聞かせて頂いた一人として、理解者として、考えていきたいと思います。」

「人の思いや言葉に耳を傾け、寄り添うことに努めたいなと思います。」

「「人と違っても大丈夫」という話でとても癒されました。」

「LGBTの方たちがくらしやすい社会→だれもが暮らしやすい社会に近づくと思う。」

「一番大切なのは、相手が「どういった性の方なのか」ではなく、「どんな人なのか」、要はその人自身をそのまま受け入れること。」

などと、みなさんが共感してくださり、性の多様性を理解くださったのが分かり本当にいい講座になりました。



ただ、その一方で、講座中母親の表情は浮かないまま。

講師として前に立っていると、お客様の表情は手に取るようにわかり、もちろん母親の表情も見えるわけです。

母親がずっと浮かない顔をしていてそれが気になっていたり、ちょっと緊張したりするものの、

でも講座は母親1人のためにやっているわけではなく、

参加してくださったみなさんのためにやっているのであって、

1人理解してくれなくても仕方ない、伝えるべきことを伝えよう、一生懸命頑張ろう、と思って行ったのでした。


途中の休憩で、母の隣に座っていた母の友人の方が一生懸命母に話しかけてくださっていて、

きっと母にいろいろ説明したり、励ましたりしてくれているんだろうな、と思いました。

ありがたいことでした。


講座が終わって、メディアの方や、恩師、同級生などを母親に紹介した時に少し笑顔はありましたが、

そのまま母は帰り。


あーあ、やっぱりだめか。。。

と僕としてもなかなか厳しいなあと、思いました。



しかし、家に帰ると違う母がいました。

帰ってくるなり、

「今日はお疲れ様!」

と声をかけてくれ、

そのお友達と講座の後お茶をしたそうで、

「理解出来るかと言えば、理解はできないけど、若い人たちに伝えていかなくちゃいけないことだと友達と話した」

とか、

「2時間もあれだけ参加している人を飽きさせないで話せるのはすごい。寝ている人もいなかった」

と褒めてくれたり、

「もし周りの人から僕のことを聞かれたら、講座に行ってみてって言えばいいじゃない、と友達から言われて、そう思った。」

とも。


この言葉にそれまで緊張していた気持ちや心配な気持ちが緩み、

あー、よかった。

こうして理解を示してくれた。

と思いました。


実は、講座が終わっても、母のあの表情だったからなあ、これから家族をどうフォローしていけばいいんだろうと思うと、心配や不安ばかりが募っていたのでした。

10年以上前の、あのカミングアウトの後と似たような気持ちです。

言ったはいいが、今後どうしよう。どうやって接すればいいのだろう。

そんな気持ちが泊まらなくなってしまうのでした。


ですので、この母の発言はとてもうれしく思いました。

しかし、実はこれで終わらず、翌日の朝、自分でも信じられないことが起こったのです。


牛飼いで朝が早い両親。

朝5時には家の中は明るく、台所でせわしなく動く母。

兄も早起きで、台所で早くから朝ごはん。


僕は眠いので、部屋で布団にくるまって。


すると、母が兄に話している声が聞こえてきたのです。


「性には四つがあって」

(身体の性、心の性(性自認)、社会的性、好きになる性(性的指向)の4つの指標のこと)

「清文は別になりたくてそうなっているわけじゃなく、小さい頃から女のこと遊ぶのが自然だった。」

「自分がどんな経験をしたか、その経験を話していた。」

「○○(兄の名前)も~だからって決め付けられると嫌でしょ?清文も、オカマだから~だみたいに言われると嫌、決め付けられるようなのは嫌なんだって。」

と、なんと、昨日の講座の内容を兄に話してくれていたのです。


兄にはカミングアウトはしておらず、新聞記事で僕がゲイであることを知ったようでした。


さらに、

「話をちゃんと聞けばわかる。他の人に聞かれたら講座を聞きに行ってって薦めたい。」

とまで。


僕はこっそりその声を布団の中で聞いていたのですが、

涙が止まりませんでした。



10年以上前の、あのカミングアウトの時の決裂。

もう二度とこの話は蒸し返さないほうがいい、触れないで、いつか分かってくれる時がくるかもしれないけど、わかってもらえなくても仕方ない。

そうあきらめて生きてきました。


だから、

「話をちゃんと聞けば分かる。」

って兄に言ってくれるなんて、

もう、ミラクルとしか思えないことでした。


親に分かってもらえず、本当につらくて、

苦労もたくさんして、

10年以上時間はかかりましたが、

今こうして理解してくれている。


それを兄に母から説明してくれているなんて。

しかも性の4つの指標とか、結構ちゃんと講座聞いてくれていたんじゃないの!

うれしくてうれしくて、

涙があふれ、止まりませんでした。





今回の地元津山市でのLGBTの講座、

本当に怖くて、これまでいろんな講座を何百回として来ましたが、

こんなに怖くて心配だった講座はありませんでした。


始まる直前までドキドキ、

始まって話していても、母の顔を見ると心配。



それが、母がこうして理解を示してくれている。

全く期待していなかった出来事でした。


お茶を人数分用意してくれて、

わざわざ来てくれて、

そしてこうして兄に話してくれて。


お母さん、本当にありがとう。


お父さんはまだまだ時間はかかるかもしれないけど、

家族に1人でも理解者がいる、味方がいると思えると、

全く気持ちが違います。


いつかお父さんも分かってくれる時がくるかもしれないし、

それはもうゆだねようと思います。



本当に、この講座を実施して良かったと今思っています。

これからも、津山で何か貢献が出来ればと思っています。

田舎だからこそ、絶対に必要な内容だと思っています。



お母さん、ありがとう。


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