top of page

16/8/5

第5章 日本生まれ、日本育ち。
でも、努力すれば海外でも自分の想像をはるかに超える経験ができる。

Image by Olia Gozha

第5章 日本生まれ、日本育ち。
でも、努力すれば海外でも自分の想像をはるかに超える経験ができる。

旅から日本に帰国すると、私の心は決まっていた。

「日本生まれ、日本育ち。
でも、努力すれば海外でも自分の想像をはるかに超える経験ができる。」


この事実をもっと日本の人に伝えたかった。


「大胆不敵な人生目標を応援します」
が、当時のキャッチフレーズだった英会話スクールに門戸をたたく。

面接で訪れたオフィスは、全ての部屋がガラス張りの部屋。
幹部のミーティングから自分の面接が行われる部屋まで丸見え。

でもおかげでどんな会社なのか一目でわかり、
そして、2次面接でアメリカ人の面接官に、
「君は合格だよ」と何も話す前に言われ「???」
その後すぐに、
「僕の誕生日と同じだからさ」といわれた。
私の緊張をほぐしてくれた外国人特有のユーモアは今でも忘れられない。


そして、世田谷の小さな街、三軒茶屋が私のスタートのスクールだった。
当時マネージャーだったOさんは、4ヶ月後に出産を控えた妊婦!!
出産と共に退職予定の彼女とはたった3カ月しか一緒にいられなかったけれど、
彼女の優しいだけではない、厳しさの中にある包容力に魅了され、
会社でのローモデルのとなる女性に入社後すぐに出会えたこと
が、
その後勤務地は変わっても、7年間勤められた要因であることは間違えない。

その後、大きな街、そして顧客のカラーも全く異なる、銀座スクールでの2か月。
殺伐と働くスタッフ、
そして表情をあまり変えないクライアント、
ビジネスライクの外国人講師に圧倒され、
ただただ体験レッスンの数をこなしていく毎日。

そんな繁忙な日々に終止符を打とうか、
と考え始めた時、関西スクールでの社内公募があった。

すでに中部へ異動が決まっていたスタッフに「応募してみれば?」と声をかけられた直後には、
HRへコンタクトをとっていた自分がいた。
数週間後に面接、
そしてその場では、
今回ではなく数年後に京都、神戸での新規開校の際に検討する、と面接は終了。

しかし、その数日後、連絡があり
「2週間後に関西へ行ってほしい」と。
「はい」と即答したかは全く覚えていないが、
その翌月には新大阪駅に降り立ち、その日に物件を決め、人生初の一人暮らしが始まった。

PODCAST

​あなたも物語を
話してみませんか?

Image by Jukka Aalho

急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ1(発生事実・前編)

暗い話ですいません。最初に謝っておきます。暗い話です。嫌な話です。ですが死は誰にでも訪れ、それはどのタイミングでやってくるのかわかりません。...

忘れられない授業の話(1)

概要小4の時に起こった授業の一場面の話です。自分が正しいと思ったとき、その自信を保つことの難しさと、重要さ、そして「正しい」事以外に人間はど...

~リストラの舞台裏~ 「私はこれで、部下を辞めさせました」 1

2008年秋。当時わたしは、部門のマネージャーという重責を担っていた。部門に在籍しているのは、正社員・契約社員を含めて約200名。全社員で1...

強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話

学校よりもクリエイティブな1日にできるなら無理に行かなくても良い。その後、本当に学校に行かなくなり大検制度を使って京大に放り込まれた3兄弟は...

テック系ギークはデザイン女子と結婚すべき論

「40代の既婚率は20%以下です。これは問題だ。」というのが新卒で就職した大手SI屋さんの人事部長の言葉です。初めての事業報告会で、4000...

受験に失敗した引きこもりが、ケンブリッジ大学合格に至った話 パート1

僕は、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、政治社会科学部(Social and Political Sciences) 出身です。18歳で...

bottom of page