先日、近所のあるスーパーで起こった、とても印象の深い出来事がありました。
あるご夫婦が、買い物に来られて、レジで清算をしようとしました。その時、アルバイトの店員さんは、お客様がお買い求めになった「プリン」をスキャナーに通そうとしました。しかしながら、センサーに感じなかったのです。
そこで、バーコードについた水分を手で拭い取ろうとしました。その時、力が入り過ぎて、バーコードのラベルがハガレてしまったのです。
店員さんは、「仕方なく」別の商品を持って来て、スキャンして、ことなきを得たと感じたのです。
その時、レジには、お客様の長い列が続いていました。
そして、問題が起きたのです。
そのお客様は、まっしぐらに「サービスカウンター」に行って、クレームを言い始めました。その内容は、はっきりしていました。
「お前のところでは、店員にどんな教育をしているんだ!」
「ひと言の謝りもないじゃないか!」
プロレスラーの長州力のような巨体の男性と、そばに寄り添う色っぽい奥様がいました。そして、こんこんと、そこにいた女性マネージャーに言い寄ったのです。
女性マネージャーは、泣きそうな顔をしながら、ぺこぺこと頭を上げていました。それでも、お客様の怒りは、おさまりません。
男性の声が、フロアー中に聞こえるような声になっていました。私も振り返ったのです。そして、気まずいと思って、近くにいた男性マネージャーに声をかけました。その男性マネージャーは、すぐにサービスカウンターに走って行ったのです。
しかしながら、益々お客様の声が大きくなりました。その状態を見ていた学生アルバイトも、見かねて、その中に進んで行きました。私も、思わず中に入りました。
「ここのスーパーの教育は、どうなっているんだ!」
「店員に謝るって、教えていないのか?」
「てめいは、何様のつもりだ!」
ものすごい剣幕で、怒っていました。男性のマネージャーも、女性のマネージャーも、頭を下げていました。しかしながら、その学生アルバイトは、ただお辞儀をしただけでした。
「お前は、学生アルバイトだろ?どこの大学だ!」
「城西(大学)です。」
「そんなバカ大学だから、おまえのようなバカがいるんだ!おれは、頭に来ているんだ!まちがったことをやって、どうして謝らないんだ?」
そこに、奥様もひと言言われたのです。
「悪いなら、ひと言謝ったっていいんじゃないの?私達は、謝って欲しいだけなんだから。」
それから、ご主人がさらに言いました。
「お前なんか、なぐってやる!」
そう言って、学生アルバイトに近づこうとしたのです。その時、私はその中を割って入りました。
「あっ、それは辞めて下さい。」
それから、私も話を聞いていました。
「スーパーは、ここだけではないんだぞ!」
そういいながら、ご夫婦は帰って行かれました。それから、その学生アルバイトに、事情を聞いたのです。
「バーコードをいじっていたら、ラベルがはがれちゃって、プリンの形が崩れてしまったんです。」
その学生アルバイトは、機械的な解答しかしていませんでした。指導されたように、プリンの代品を持って来たし、レジでは清算も済んでいる・・・おれは、ちゃんと教えられた通りにやっている・・・それが何と言うのだ?
そんな感じを受けました。
「あのお客様って、大きな体をしているけれど、きっとお酒の飲めない方なんだと思います。自分の買ったプリンが、目の前で崩れたのをじっと見ているのが、辛かったんです。コーヒーゼリーやプリンアラモードでも、ちょっと傾けると崩れますよね。お客様に取っては、ここのプリンが好きなんです。その好きなプリンを買って、MYプリンになって、そのMYプリンに傷がつくのを見ていられなかったんです。そんなお客様って、たくさんいるんです。これからは、もっと気を遣って上げて下さい。今日は、いい経験をされましたね。」
私が、そう言いながら、彼の背中をポンと叩きました。
それから、雰囲気が元に戻ってから、その学生アルバイトは、女性マナージャーに諭されていました。そして、「これで腐らないで、頑張って欲しい。」というメッセージを伝えたのです。
「ええ、ボクは頑張ります・・・」そう言いながら、帰宅して行きました。
あなたは、この一連の出来事を見て、何を感じますか?
いまの10代の若者って、「親から叱られた経験」が少ないように感じます。中には「兄弟のような話し方をする親子」もいますね。
偏差値教育で、偏差値が高ければいいというような教育の中で、「家庭教育」が崩壊しているように感じています。
試験でミスをしないように訓練され、ミスすることに臆病になり、偏差値の高い高校や大学に行った生徒さんには、その傾向が余計に強いと感じています。
間違いをしたら、頭を下げて、「申し訳ありませんでした。」と謝罪する。
こんなことが出来ない子が、今増えているのではないでしょうか?
この学生アルバイトは、「お辞儀程度の頭の下げ方で」いいと思っているのです。そのことも、お客様の怒りを買うきっかけになっていると思いました。私が見ても、「頭が高い」と感じました。
問題となっても、事の重大さを「感じない」感性なのです。
自分の起こしたミスで、お客様が「真剣になって怒っている」のです。自分に対して、「心改めよ」と言っているのです。
あなたのやったことで、これだけ真剣になって感情を露(あらわ)にして、立ち向かってくれる他人がいるでしょうか。
家族でもなく、友達でもなく、スーパーの上司でもなく、あなたと縁もゆかりもない「ひとりの他人」であるお客様が、あなたのやったことに「怒り」をぶつけているのです。
『何と有り難いことではないですか!』
人間は、指摘されないと、自分の過ちに『気づかない』生き物です。
「気づかない限り」やり続けるのです。10代の頃に気づかないと、20代、30代も、そのまま続け、そして気づいた時には、もっと大きな問題として「現れて来る」ことになります。
この出来事を見て、3年前に出会ったU君を思い出しました。彼も、「頭の高い大学生」だったのです。小学生の頃から優秀だから、謝る機会なんか余計に少ない。やっぱり、お辞儀程度の頭の下げ方でした。『頭が下がらない』学生だったのです。だから、何回となくぶつかりました。そこから指導するしかなかったのです。
『自分と真剣に関わり、なり振り構わず、叱ってくれる人』
そんな人が、どれだけあなたのまわりにいるのでしょうか?
そして、そのお客様は、きっと「このお店に戻って来る」と信じています。なぜなら、この店の『プリン』が好きだからです。
私も、この店が大好きなんです。それは、愛のあるスーパーだって感じているからです。
ここまでお読み頂きまして、ありがとうございます。
感謝