東京都知事選挙真っ只中であるが、その原因となった舛添前都知事の辞任のニュースの際に度々取り上げられたのがもう一期前の都知事だった猪瀬氏の退任理由となった5千万円の資金提供問題。都議会で鞄に5千万円が入るかを試されたあのシーンだ。ところであの資金の出所をご記憶だろうか? 徳洲会。徳田虎雄元衆議院議員が一代で築き上げた医療法人グループ。
徳洲会グループを築き上げた徳田虎雄氏とお会いしたのはもう30年以上も前の大学生時代。
確か大学の雄弁会という政治家志望者のサークルが講演会を企画したものに参加した時。
大隈講堂で、幼少期に徳之島で弟を医療が受けられなかったことから急死した事件をきっかけに医師を志したこと、単身で大阪に転校して3年掛かって阪大医学部に入学したこと、卒業後は自分の生命保険を担保に銀行から借金をして大阪に病院を開業し24時間患者受入、患者からの贈物は一切受け取らない、
差額ベット廃止を打ち出して医師会と激しくぶつかっていることを話されていた。
「命だけは平等だ。」「いつでも、どこでも、誰でも最善の医療を受けられるべきだ。」と、持論をエネルギッシュに話されていたのが印象に残っている。
一方で各地で繰り広げられた既存利益代表の医師会との対立は、この国の医療行政を変えなければならないとの思いに行き着き自ら政界に乗り出そうとしていた時期でもあった。
講演会の後、隣の大隈会館に場所を移して懇親会となったが、徳田虎雄氏の隣の席に座ることとなった。
近くで見ると当時は徳田虎雄氏は40歳前後。長髪を掻き上げていて、陽によく焼けていた。
白いワイシャツの袖を捲り上げて、これまたよく日焼けした腕をむき出しにしていた。
焼鳥や乾き物を肴にビールを飲みながら医療と政治に対する熱い思いを吐き出すと同時に、周りの学生に積極的に意見も聞いて回っていた。
そこには今日伝え聞く様な「独裁者」然としたところは微塵も無かった。
確かに抵抗勢力が余りにも巨大で政治力も持ち合わせているので、破壊的な行動を取らないと何も変わらないという意気込みとも、焦りとも取れる言動は見られたが。
あの弟思いの若き徳田虎雄氏と、現在ニュースで見かける車椅子に固定されて眼球の動きで未だ徳洲会グループに指示を出し続けている徳田虎雄氏と何が変わって何が変わっていないのか、もう一回伺ってみたいものである。